第172話 15日目⑱おっさんはヨメと洗いっこする

 風呂桶の代用品である大型クーラーボックスは蓋が嵌め込み式なので完全に外すことができ、本体のサイズはだいたい幅100㌢、奥行き50㌢、深さ40㌢ぐらい。刻印されている容量では200㍑となっている。

 こういう大型クーラーボックスは風呂桶と同じく底に排水栓があるので使用後は底から排水できる。


 水を溜めることと排水することを考え、大型クーラーボックス──以後風呂桶は小川の傍、俺たちが普段から水浴びと洗濯に使っているあたりの川岸に設置する。

 この場所は海竜を解体していた小川の河口付近より50㍍ほど上流に移動した辺りで、周囲に目隠しになる木々が立ち並んでいるので拠点の方からは見えないし、洗濯した衣服を干す場所にも事欠かない。上は開けているので解放感もある。


 ただ、湯を沸かすための炊事場のかまどからはかなり離れているので、この場所で風呂を使い続けるならこの辺りに湯沸かし用のかまどを作る方が現実的だろう。今回はある意味試験運用みたいなものだから、炊事場のかまどで沸かした湯を真鍮バケツと大コッヘルで何往復か運ぶことになった。


 風呂の湯はそこまで熱くなくてもいいから、小川の冷水で風呂桶をある程度まで満たし、そこに熱湯を注いで温度を上げ、ぬるま湯程度に温まる程度にするぐらいならさして時間も労力もかからない。

 寒い季節なら熱い風呂にも入りたいが、今はまだ8月の終わりで普通に暑いからな。

 だいたい1時間弱ぐらいで風呂の準備は整った。


「お、お、お風呂を準備するだけで、け、結構汗だくになっちゃったっすね!」


「そ、そうだな! 早く汗を流さないとな」


 意識しまくって声が上擦っている美岬につられて俺まで緊張して心臓がバクバクと早鐘を打つ。


「あ、あのガクちゃん! まだそのちょっと、心の準備というか、その、いきなり全部を晒けだすのは恥ずかしいっていうか! でも見られたくないとかそういうことじゃないので、近くの灯りだけ消してもいいっすか?」


「お、おう。おけおけ! じゃあ灯りを消すな」


 作業用の灯りとして近くに立ててあった松明たいまつの火を消すと、辺りは真っ暗になり、途端に小川のせせらぎの音、梢の揺れる音、虫の鳴き声、すぐ傍にいる美岬の息づかいがやけにはっきりと聴こえはじめる。


 一番近くの松明は消したが、ここと拠点を結ぶ通り道にも松明は灯してあるので、暗さに目が慣れてくると遠くの松明の光と降り注ぐ青い星明かりによって周囲にあるものが判別できるようになってくる。

 人間の順応力というのはすごいもので、光源が少ない場所で生活しているとだんだん夜目が利くようになってくる。

 俺もこの島にきた当初より確実に夜目が利くようになったし、美岬もそうらしい。細かい作業は無理だが、星明かりがあれば拠点からここまで灯り無しで歩いてきて、水を汲んだり水浴びするぐらいの簡単な作業なら支障なく行えるようになった。


 今も暗くて多少ぼやけてはいるが、美岬の姿は十分に判別できているし、美岬が俺の顔を見上げて照れくさそうに笑っているのも分かっている。


「ふぅー、ちょっと気持ちが落ち着いたっす。じゃあ、改めてお風呂タイムっすね」


 言われてみれば確かにさっきまでの緊張がずいぶん和らいで気持ちにゆとりができていることに気づく。


「ああ。そうだな」


 そのまま美岬がくるっと俺に背を向けて服を脱ぎ始めたので、俺も暗黙の了解で反対側を向いて服を脱いで裸になった。着替えや石鹸などの風呂用品を入れた篭からタオルを手に取り、さりげなく前だけを隠して振り向けば、美岬もまたタオルを持った手を胸に当てて、垂れた布でかろうじて大事なところを隠した状態でこちらに向き直っていた。

 見えそうで見えない、そのあまりにも煽情的な姿につい目が離せなくなる。


「あぅぅ……やっぱり暗くても恥ずかしいっす。そんなにじっくり見ないでほしいっすよぅ」


「いや、でも、今夜はずっと見ていてほしいって言ったのは美岬だろ」


「あぅ……そうだったっす。たしかに言っちゃったっすねぇ…………うぅ」


 美岬が観念したように顔を背けながらそっと自身を隠していたタオルを下ろし、その裸体を俺の前に晒す。


 綺麗だ。というのがまず真っ先に浮かんだ感想だった。


 手足も顔も小麦色だからてっきり元々そういう肌の色だと思っていたが、普段は服に隠されている身体は意外と色白で、暗がりの中で美岬自身が光を放っているような錯覚さえ感じた。


 この漂流生活で美岬はダイエットに成功してかなり痩せたが、ただ細くなっただけじゃない。

 魚介由来の良質タンパク質中心の簡素で少なめの食事、畑仕事や採集などの肉体労働によって余分な脂肪が落ちると共に適度な筋肉が付き、女性らしい柔らかな曲線は残しつつもほどよく引き締まった理想的なプロポーションを獲得していた。


 なにより美岬自身が自信を取り戻してポジティブになったことで猫背気味だった姿勢が良くなり、まとう雰囲気も明るくなって、初めて会った時とはまるで別人レベルの快活で健康的な美少女に変貌している。

 テレビで見るアイドルにも引けを取らない、一般人の普通の生活ではまずお目にかかることがないような美少女が、その美しい裸体を俺だけに見せてくれていることに感動すら覚える。


「……肌……元々はかなり白いんだな」


「うぅ……やっぱ色の違いが気になるっすよね。思いっきりTシャツ焼けしてるから恥ずかしいっす」


「いや、そこは全然気にならない。普段見えてる肌が小麦色だからちょっと意外だっただけで……今の美岬はすごく綺麗だ。星明かりの下に浮かび上がる姿がまるで幻想的な絵画みたいで……正直、美しさに感動してる自分がいる」


 夜闇の木立を背景に、満天の夜空の星とそれを反射して煌めく小川のせせらぎの僅かな光によって彩られる美少女の裸体。ラッセンの『ハナの月影ブルーハナムーン』を連想した。


 美岬がくすりと笑い、歩み寄ってくる。


「もぅ……ガクちゃんってば嫁贔屓よめびいきが過ぎるっすよ。綺麗だって言ってもらえるのは素直に嬉しいっすけど、表現がオーバーっす。でも、ガクちゃんにそう言ってもらえて恥ずかしさより愛しさの方が大きくなっちゃったから……その、ちゃんと近くで見て触って確かめていいっすよ。あたしは絵と違って触れて抱ける現実の女で、他の誰でもないあなたの嫁っすよ」


 そう言いながら俺の手を取り、自分の左胸のふくらみへと誘導する。俺の手のひらにちょうど収まるリンゴサイズのそれは柔らかくて弾力があり、汗ばんでしっとりとしていて、トクトクと早鐘を打つ心臓の鼓動をダイレクトに伝えてくる。


「ああ、柔らかくて温かくて、心臓の鼓動がすごく早いな。緊張してる?」


「あ、当たり前じゃないっすか! そういうガクちゃんはどうなんすか?」


 美岬が手のひらを俺の胸板に当てて確かめてにぃっと笑う。


「……ふふ。余裕ぶってるけどガクちゃんだってめっちゃドキドキしてるっすよ?」


 今更取り繕っても意味がないし、そんなつもりもない。


「ばれたか。やっと美岬を抱けるのが嬉しくてちょっと期待でヤバいことになってる」


「素直っすね。でも、本番はちゃんとお風呂で身体を綺麗にして、色々準備してからっすよ。そ れ よ り、あたしはもう全部見せてるのにガクちゃんだけ大事なところを隠しているのはずるくないっすか?」


「あ、ちょ待て」


 いたずらっぽく笑いながら俺の最後の砦であったタオルを奪い取った美岬が、ここまでのやりとりとスキンシップですっかりたかぶってしまっているソレを見て固まる。


「……あ、はわわ。なんかすごいことになってるっすね」


「この状況でたないわけないだろ。いきなりこの状態を見せるのは刺激が強すぎるだろうからまず心の準備をしてもらって、と思ってたのに」


「……いやその、ちょっとびっくりしただけなんでぜんぜん大丈夫っす。えっと……ソレは女には無い物だからその状態だとどんな感覚なのか全然想像もできないんすけど、そんなに大きくなって痛かったり苦しかったりとかはないんすか?」


 初めて目の当たりにした勃起したイチモツにビビりつつも、男にしか分からない感覚を理解できずに心配してくれる美岬。


「いや。そういうのはないな。ただ、男にとってこの状態は……なんというか、お預け状態に似た辛さはあるな。例えば、空腹状態で目の前に大好物の料理があって、でも食べられない時みたいな」


「それってかなり辛いやつじゃないっすか」


「まあな。俺が昔タバコを吸ってたって話はしたけど、勃起したままの状態はニコチンが切れた時の禁断症状に通じるものはある。でも、男の場合とりあえず射精さえすればそういう禁断症状じみたものは一瞬で鎮静化するから、何かの拍子にムラムラして勃起しても自慰である程度コントロールできるし、そもそも男にとって勃起はあまりにも当たり前の現象だから慣れるけどな」


「…………なるほど。女子が生理に慣れるのと似てるかもっすね。とりあえず、男の人にとってのその勃起状態は、痛くはないけど長くその状態が続くと結構しんどいってことは分かったっす。……それで、その……はしたないってことは重々承知してるんすけど、もし触られても痛くないなら、その、ガクちゃんのソレ、触ってみるのって駄目っすか?」


「Oh……そうきたか」


「駄目っすか?」


 興味津々な様子でお伺いを立ててくる美岬に思わず苦笑する。

 まあ、そりゃ自分にはない異性の性器を初めて見たならどうなってるのか気になる気持ちは分かるよ。俺だってそうだったし。


「……ここまできて駄目とは言わないけどな。でも、せめて先に洗わせてくれないか? 美岬だって洗う前に大事なところをじっくり見られたり触られたりは嫌だろ?」


「はっ! はわわわ! そ、そっすね! 初めて本物を見たショックでちょっと我を忘れてたっす」


「自分の身体は見慣れていても異性の身体ってのはある意味神秘だもんな。好奇心を抑えられないその気持ちは分かりすぎるぐらい分かるけど、相手の気持ちをおもんばかることも忘れないようにしなきゃいけないよな。お互いに」


「あぅ。ごめんなさい」


「俺も別に怒ってるわけじゃないから気にするな。それより早くサッパリしよう。掛け湯してやるからこっちに来てしゃがみな」


 洗面器代わりのバケツで湯を汲み、自分と美岬の頭から掛けていく。それから石鹸を泡立てて身体を洗っていく。


「あったかいお湯はやっぱり気持ちいいっすね」


「だな。普段は身体が冷えないように大急ぎのカラスの行水だもんな」


「ねえガクちゃん、背中洗ってあげようか?」


「いいのか? なら頼む」


「おまかせられ。代わりにまたあたしの髪を洗ってほしいっす」


「お安い御用だ」


 ちょいちょいスキンシップをしてじゃれあっているうちにお互いの間にあった緊張状態が解れ、いつしかいつもの二人の距離感に戻っていた。









【作者コメント】

 思ったより長くなってしまったけど大事なシーンだし、途中で切るのはさすがにアカンやろと増量版での公開です。……この内容なら年齢制限に引っ掛からないはず。


 作中で言及したクリスチャン・ラッセンの【ハナの月影ブルーハナムーン】という絵は、個人的にラッセンの絵の中で一番好きな作品で、この物語を書く上で大きな影響を受けたものです。

 画集ではハナの月影という邦題が付けられていましたが、それで検索してもなかなかヒットしないので、原題のブルーハナムーン(BlueHanaMoon)で検索するとすぐ見つかります。よかったらチェックしてみて、あー作者はこういうイメージでこの作品を書いてるのかーと共感していただけると嬉しいです。


 今回のお話を楽しんでいただけたら是非とも応援よろしくお願いします。

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