第170話 15日目⑯おっさんは嫁の手料理を堪能する

 俺はまずスープの入ったマグカップを手に取り、さっそく一口含む。

 これは美岬が俺のために作ってくれた初めての手料理だ。さっき味見した時は平静を装っていたが、正直めちゃくちゃ嬉しい。やっぱり愛する嫁の手料理って格別だよな。

 やや濁ったスープにフレーク状になった魚の白身と大きなハマグリの身が1つ。上品な出汁の香りとスモーキーフレーバーとコショウの香りが入り混じり、洋風なイメージでまとまっている。


「ふふ」


 思わず笑い声を溢してしまい、美岬に見咎められる。


「むぅ……なんであたしが作ったスープ飲んで笑うんすか?」


「いや、なんかもう嬉しくて」


「はあぁっ!? ちょ、なんなんすか! もう、なんなんすかそれ! もぅー!」


 俺の反応が想定外だったのか真っ赤になって言葉にならずにプルプル震える美岬。


「いや、出汁取りもすごく丁寧だし、骨に残った身も丁寧に外してスープに戻してるし、オリジナル要素のフウトウカズラもいい仕事をしている。そもそも料理が苦手な美岬がここまできちんと美味しく仕上げてるってことは、俺がこれまで美岬に見せて教えてきたことをちゃんと理解して自分のものにしてるってことだし、美味しくしようって愛情がたっぷり込もってるのが分かって嬉しいなぁと」


「あぅ……あ、愛情は確かにたっぷり込もってるっすけどねっ! でも、ガクちゃんの料理だってこれでもかって愛情が込もってるじゃないっすか! おまいうっすよ! なんすかこのテリーヌ! どれだけ手間かけて作ってるんすか!」


 美岬が照れ隠しにオードブルの4層テリーヌを箸で切ってパクリと食べ、くわっと目を見開く。


「あ、すご! なにこれ、めっちゃ美味しいじゃないっすか!」


「それはよかった。かけてるソースも合うはずだぞ」


 言われるままに美岬が次の一切れにソースを絡めて口に運ぶ。

 

「んんー! おいしー! このソースめっちゃ合うっすね! どうやって作ったんすか?」


「魚のアラと岩牡蠣の出汁をベースに、刻んだ干しシイタケを加えて煮詰めて作ったソースでまずレバーペーストとグリーンペーストに味付けて、残ったソースに貝醤油を足してちょっと和風に寄せてから、焼き上がった尾肉のローストをしばらく漬け込んで出来たのがこれだ」


「お、思ってたよりずっと手間がかかってたっす。あ、でもレバーペーストが昨日の夜に焼いて食べたレバーと味が違ったのはそういうことだったんすね」


「まあそうだな。個性が強い食材を組み合わせる時は味付けの土台ベースを同じにすることで統一感を出せるからな」


「……あー、なるほど。人種や国籍が違ってても同じユニフォームを着てたら同じチームみたいな」


「……うまく例えたな。ちなみに尾肉のローストをこのソースに漬け込んだのもテリーヌと一緒に盛り合わせた時に皿としての統一感を出すためだな」


「なるほど。ということは……これを一緒に食べたら……」


 美岬がスライスされたロースト肉でテリーヌを包んで一緒に頬張る。


「んー! んんーっ! ヤバいこれ! すごく美味しい! ガクちゃんも食べてみて!」


「お、おう。それじゃ……」


 目をキラキラさせている美岬に促されて俺も同じようにロースト肉でテリーヌを包み、ソースを絡めて口に運ぶ。


 口に入れた瞬間、極上の脂が口の中でとろけてほのかな甘味と半生レアの肉ならではの柔らかい食感が広がり、噛みしめた直後に内部から濃厚なパテの風味と焼いた肉の味が溢れだし、絶妙の調和を生み出す。

 長時間しっかり焼いてあるテリーヌはこんがりと焼けていて風味が良い反面、どうしてもパサついた食感になる。逆に短時間の加熱で肉にギリギリ熱が通ったレアに仕上げてあるローストは食感は柔らかいがどうしても風味は弱い。しかしこれらを一緒に食べることで互いの欠点を補い合い、1ランク上の料理に昇華している。

 思っていた以上の相性の良さに正直驚いた。


「……ほぉ。これはなかなか料理としての完成度高いな」


「すごいっすね! ローストとテリーヌがお互いの良さを引き立てあって手を取り合って更なる高みを目指してるっす。単品でも美味しいっすけど、一緒に食べた時の相乗効果がヤバいことになってるっす」


「それな。本当はこういう食べ方をするつもりじゃなかったんだが、このテリーヌとローストは一緒にすることで1つのメニューとして完成するパーフェクトマッチの組み合わせだったってことなんだな」


「はぅー。ガクちゃんもうホントにすごいっす。無人島でこんなすごいお料理を作れちゃうなんて感動っす」


 オードブルをすっかり気に入った様子の美岬がしきりに褒めてくれるからこそばゆさを感じる。


「ダッチオーブンを遺してくれた徳助氏に感謝しかないな」


 ダッチオーブンが無かったらそもそもテリーヌもローストも作ろうとすら思わなかっただろうからな。


「ダッチオーブンを見つけた時にガクちゃんがめっちゃ喜んでた理由がよく分かったっす。確かにこれは良いものっすね。でもこれを使いこなしてこういう料理を作っちゃうガクちゃんはやっぱりすごいって思うっす。しかもあたしの為にその料理の腕を奮ってくれるとか嬉しすぎて、もう…………うー、気の利いたセリフが思い付かないからストレートに言っちゃうと、大好きっす!」


 満面の笑みで愛情の直球を投げてくる美岬の姿に、その笑顔の為に払った努力が報われた達成感を感じる。


「はは。喜んでもらえて嬉しいよ。そのみさちの笑顔ですべてが報われたよ」


「えー? 報酬があたしの笑顔って安過ぎません? こんなのガクちゃんに対してはいつでもばらまいてるじゃないっすか」


「何を言う。俺にとってはプライスレスだ。そもそも自分が愛する嫁を悦ばせてると実感する瞬間こそが男冥利みょうりに尽きるというものだぞ。自分で言うのもアレだが男ってのは案外単純かつ奉仕することに喜びを見出だす生き物だからな。相手に尽くして、それを高く評価されたり感謝されたりするだけでいくらでも頑張れるんだ」


 美岬が呆れたように苦笑する。


「……んもう、ガクちゃんってばどれだけあたしのこと好きなんすか。嫁をそんなに甘やかすと調子付いて後が大変っすよ?」


 何を言い出すかと思えば。そもそも美岬が普段から遠慮がちでほとんどワガママらしいワガママを言わないから甘やかしているのに。周囲を大人に囲まれた環境で育ったからというのもあるだろうが、美岬は年齢の割に精神が大人びてるからな。もちろんそこに不満などあろうはずもないが、年上の俺に合わせようと無理して背伸びしてるんじゃないかと心配になる時もある。


「みさちはワガママ言わないからなー。俺への要求も当然の権利というか控えめすぎるぐらいだから俺としてはもっと遠慮なくワガママ言ってほしいぐらいだけどな。ということで甘やかしは継続します。異議は認めません」


「くっ! まさかの更なる甘やかし宣言。ちくせう。だがあたしも屈するわけにはいかないっす! ガクちゃんがあたしを堕落させようとするというなら、あたしも精一杯抵抗して愛されるいい嫁になってやるっす! あたしの感謝と愛情をこれでもかと思い知らせてやるっすよ!」


「みさち、恐ろしい子! どれだけ俺を萌え殺すつもりだ」


「あたしだって日々だんな様の甘やかし沼で溺れ死にさせられそうになってるからおあいこっす。目には目、歯には歯っすよ」


「この島は古代バビロニアだったのか」


 屈託なく楽しそうに笑う美岬は、今のところあまり無理しているようには見えないが、引き続き注意は払っておこう。








【作者コメント】

 岳人はついに念願の嫁の愛情たっぷりの手料理を食べることができました(岳人が美岬の手料理を食べたがってるシーンを過去に書いた覚えはあるのだけどどこだったかなぁ?)

 そういえば私の友人の母親がめっちゃメシマズで、そのくせ食べさせたがりなので私もちょいちょい差し入れを貰いますが、食べるとだいたいスンッとチベスナ顔になります。

 そんな彼女はいつも「愛情たっぷりこもっとるで美味しいで!」と言いますが、愛情はいらんからもうちょっとまともに味付けてって思うのです。むしろ本当に愛情がこもってるならもうちょっと美味しくする努力をしてほしいなーと伸びきった味の薄いパスタを食べながら思うのです。いやこれ絶対いらんから押し付けとるよな。

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