第163話 15日目⑩おっさんは友情を再確認する

 かまどから赤々と燃えている熾火を隣の火床に移し、握り拳サイズの石を3個使ってゴトク代わりにして鋳物のフライパンスキレットの予熱を始めていく。

 さすがに20年も放置されていたから多少の赤錆は付いていたが、徳助氏がしっかりシーズニングしてくれていたからそこまで酷くない。砂で錆をこすり落とせばすぐに使える状態だった。


「シーズニング? ってなんすか?」


「鉄の鍋やフライパンをあらかじめ空焼きすることで表面を酸化被膜で覆って、錆びにくくする加工のことだ」


──ジュウゥ……


 脂身をスキレットの中で転がしながら油をしっかりと馴染ませていく。油のはぜる音と香ばしい煙にワクワクを隠しきれない様子の美岬。


「えっと、空焼きすると錆びにくくなるんすか?」


「そうだなー……厳密には鉄を高温で加熱することで表面を酸化鉄に変化させてるんだけどな」


「んんー? 酸化鉄ってさびのことっすよね。普通の錆とどう違うんすか?」


「普通の錆は赤褐色の赤錆だが、この火入れによって出来る錆は黒いから黒錆と呼ばれるんだ。自然発生する赤錆は粒子が大きくて結合が弱いから、隙間から水分や酸素がどんどん内部に浸透していって、どこまでも酸化が侵食しまうんだが、空焼きによって発生する黒錆は別名『安定錆』ともいって、粒子が細かくて結合が強いから、黒錆で表面を覆われた鉄は内部に水分や酸素が浸透しなくて酸化が進まなくなるんだ」


「ほへー。錆もいろいろあるんすねー」


「そうだな。ぶっちゃけステンレスも同じようなものなんだがその話はまあいいか。そろそろ焼き頃だな」


「おぉ! 待ってました!」


 十分に温まって油もしっかり馴染んだスキレットに、大きめの楕円形の成型ステーキを2枚並べる。


──ジュワァァァ……ジュワァァァ……


 立ち昇る肉の焼ける香ばしい匂いに美岬が歓声を上げる。


「うわぁ! これ絶対美味しいやつー!」


 蓋をして蒸し焼き状態でしばらく待つ。その間に干している途中の半生シイタケをいくつか一口サイズのぶつ切りにしておく。天日で干されたことでかなり旨みが強くなっているはずだ。


 数分して蓋を開けると、上側はまだ生っぽいが、スキレットに接している下側から半分ぐらいは火が通って色が変わり、溢れた油混じりの肉汁がぶつぶつとはぜていた。

 肉をひっくり返し、空いている隙間にぶつ切りのシイタケを投入して、油と肉汁を絡めながら箸で転がしながら焼いていく。キノコはよく油を吸うからこういう風に使えば余分な油分と旨みを吸収して旨い付け合わせになるんだよな。


 ステーキは頻繁に引っくり返さないのが上手い焼き方のコツだ。片面ずつじっくりと焼き、シンプルに塩だけで味を付けて焼き上げる。


 テンションのおかしくなった美岬がソワソワしだす。


「ガクちゃん! あれやってあれやって! イケボで「肉、食うかい?」って言って!」


 何かのネタだろうか。よく分からないがリクエストにお応えする。


「……肉、食うかい?」


「い、いいんですかっ!」


「……なんだこれ?」


 焼き上がったステーキとシイタケを牡蠣皿に盛り付けて美岬に差し出せば、満面の笑みで受け取りながら説明してくる。


「渋いオジサマキャンパーが通りすがりのJKをこのセリフとスキレットで焼いた分厚いステーキでメロメロにするんすよ」


 その状況を想像して苦笑する。


「それは……手口が凶悪すぎないか? 餌付けなんてレベルじゃないだろ」


「そっすね! つまりガクちゃんは落とすべくしてあたしを落としたってことっすよ。本当に悪い男っす! なんすかこの贅沢なステーキ! あたしたち、遭難して未開の無人島で漂流生活してるはずなのに、本土にいた頃よりずっと良いもの食べてるっすよ」


「……なるほど。言いたいことは分かった。その上で俺が言いたいことは一つだ」


「な、なんすか?」


「肉、食うかい?」


「いただきまぁーす!」




 成型肉はナイフを使わなくても箸で簡単に切れる。箸で切ればドロリと熱々の肉汁が溢れてくる。中心部は、火は通っているが固まりきっていないピンク色。完璧な焼き上がりだ。

 最初の一切れを頬張れば、火傷しそうな熱さと旨みと濃厚な肉の味が口の中で爆発する。


「うまっ!」「んん───っ!」


 美岬は言葉にならずに足をジタバタさせている。分かるぞ。想像を超えたこの肉の旨さは筆舌に尽くしがたく、とても表現できるものではない。

 本番である夕食に先駆けて肉の味を確認することが目的の試食のつもりだったからシンプルに塩だけで焼いたのに、すでにこれだけでメインディッシュにできるぐらい完成している。一応下味は付けているが本来の味がぼやけるほどではない。


 水棲爬虫類であることや海ガメに少し似ていることや肉の質から、スッポンに近い味ではないかなと予想はしていた。

 しかし、実際に食べてみた肉の味はスッポンを遥かに超えていた。味の系統は確かにスッポンに通じるところはあるが、どちらかといえば鴨肉に近いと感じた。スッポンと鴨肉のいいとこ取りの上位互換、それがこれだ。

 とはいえこれはいろんな部位の寄せ集めだからそれぞれの部位の個性はこれからは分からない。

 夕食用に取り分けてある尾肉やヒレ肉がいったいどんな味わいなのか今から楽しみになってきた。


「はうぅ……やばいっす。本当に美味しすぎるっすよこのお肉」


 最初の衝撃から立ち直った美岬がうっとりとした表情でしみじみと言う。


「確かにこれは期待以上だ。俺もこんな旨い肉は初めてだ」


「ただでさえ柔らかいのに、口の中でさくっとほどけて、とろっと溶けて……このお肉は飲み物っすよ」


「そうか飲み物だったのか。この油の質がまた素晴らしいな。クセがなくてまろやかで、まるでクリームみたいだ」


「お肉にもクセとか臭みとか全然ないっすね。お肉そのものの個性はあるんすけど、嫌な感じじゃなくて、ただ、未体験の新たな扉を開いてしまった感じというか」


「確かに。これは牛でも豚でも鳥でもカメでもない、海竜というまったくの別ジャンルの肉だな。未体験だけど間違いなく旨いことだけは理解できる、そんな感じだ」


「はうぅ……幸せぇ。こんな美味しいお肉が食べれるなんて夢みたいっす。あとこの味がよく染みたシイタケも美味しいっす」


「確かにこれだけでも十分満足できるが……まだだ。まだ終わらんよ」


「ば、馬鹿な!? み、見せてもらおうか」


「忘れたのか? この肉はまだ変身を2回残している」


「まさかっ! ここからまだ上がるだと! ボンッ!……な!? スカウターが!」


 美岬が擬音まで入れながらノリノリで寸劇に乗っかってくる。


「ぶはっ!」「あひゃひゃひゃっ!」


 同時に吹き出し、お互いにぺちぺちと叩き合って笑う。


「あーもー、楽しいっすねー! ガクちゃんと出会ってから、あたし毎日がすっごく楽しいっす」


「俺もだ。みさちと会う前は……半分死んでたからな。今は毎日が充実してるし楽しいよ」


「波長が合うっすもんね。もし恋愛感情がなかったとしても親友にはなれそうなぐらい。あ、もちろん今さら恋愛感情抜きの関係になりたいなんて微塵も思わないっすけど」


「言いたいことは分かるよ。確かに仲のいい夫婦やカップルは男女の関係であると同時に親友でもあることも多いからな。元々趣味友から発展した仲だったり、子供の頃から友だちだったり……俺が見てきた限りそういう二人は無理せずに長続きしているように感じるな」


「あは。いいっすね。じゃああたしたちもそんな夫婦を目指しましょっか。これからも仲良くしてくれよなっ親友♪」


「ああ。これからもよろしくな、親友」


 美岬がにんまりと笑って握り拳を目線の高さでこちらに向けてきたので、俺もまた同じように握った拳を伸ばして、拳同士を軽く打ち合わせたのだった。







【作者コメント】

 小ネタ満載。昔の少年漫画とかキャンプとか釣りとか、オッサン趣味の女子っていいよね。

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