第116話 12日目⑥おっさんは巻き貝への理解を深める

 満潮時には海に沈むが干潮時には干上がる砂地に、楯干たてぼしトラップを仕掛けたのは昨日の午後の干潮の時だった。その後、夜に満潮になり、早朝に干潮を迎えているが、この時はトラップのチェックはできていない。そして今日の午前中の満潮を経て、再び干潮になったのが今だ。


 潮干狩りの跡の潮溜まりプールの周囲を葦の柵で囲い、陸側だけ開けてあるというだけの簡易トラップだから当然強度は大したことないんだが……。


「ありゃ。壊されちゃってるっすねぇ」


 最初に仕掛けた楯干しトラップは周囲を囲む葦の柵の一部に無理矢理こじ開けられたような隙間ができていた。

 干潮時に閉じこめられた大きな魚が完全に潮が引く前に柵を破って逃げたようだ。


「思ってたより大物が掛かってたっぽいな」


「柵が葦だとやっぱり強度不足っぽいっすね」


「そうだな。楯干しは本来は太い杭と丈夫な漁網で作るものだからな。……そういえば沖縄では石垣を組んで作った魚垣ナガキという似たようなコンセプトの罠を昔から運用してたらしいから、ここもやっぱり石積にした方がいいかもな」


「安普請はダメっすねー」


「それな。とはいえ、この場所でもそれなりに大きい魚が入る可能性があるって分かっただけでも収穫だ。今度もうちょっと真面目に作り直そう」


「そっすね。あ、でも潮溜まりプールに何やら小魚が閉じ込められてるっすよ」


 言われて見ればメダカぐらいの小魚の群れが残った潮溜まりの中を泳ぎ回っている。それを見てハッと思いつく。


「その小魚は捕っていこう。煮干しにできそうだ」


「なるほど。出汁用には確かに良さげっすね」


 持ってきた小篭を使って潮溜まりの中を掬えば5㌢ぐらいの小魚や小エビが捕れたのでそのままビニール袋に入れる。残る数ヶ所の楯干しトラップもチェックした結果、同じような煮干し用の小魚たちに加え、25㌢ぐらいのカレイが1匹入っていた。

 そして何故かどの潮溜まりにも5、6個のバイ貝が入りこんでいたので拾っておく。バイ貝というのは殻長5㌢~7㌢ぐらいの巻き貝で形はタニシに似ている。日本では昔から食用としてお馴染みの旨い貝だ。


「なんでこんなにバイ貝が入ってるんだろな?」


 結局バイ貝は16個にもなった。


「たぶん、撒き餌として入れてた貝の内臓とか魚のアラに引き寄せられたんすよ。バイ貝って肉食っすから」


「肉食ってまじか」


「バイ貝は海の掃除屋なんすよ。主食は死んだ魚の腐肉っすからね。だから魚のアラを入れた蟹カゴを仕掛けておくとけっこう入ってるっす。投げ釣りのゴカイにも食いつくんでちょいちょい釣れるっすし」


「そうなのか。知らんかった」


 さすが漁師の娘だけあってこういうことはよく知ってるな。俺は肉食の貝がいるということすら知らなかった。サザエやアワビが岩に付着している藻を食っていることや、牡蠣やムール貝が水中のプランクトンを食っていることは知っていたから、てっきり貝類全般がそうなのかと思っていた。

 その事を美岬に言えば、巻き貝には肉食のものがけっこういると教えてくれた。


「代表的なのはツメタ貝っすね。白っぽくて丸い饅頭みたいな巻き貝っすけど、こいつらはアサリやハマグリを食い荒らすんで漁師の天敵っすよ。うちの島でも定期的に駆除してるっす。浜に落ちてる貝殻に1~2㍉ぐらいの小さな丸い穴が開いていたらツメタ貝の仕業っす」


「あー、そういう貝殻はたまに見かけるけどそうだったのか」


「あと、たぶんこの辺にはいないと思うっすけど、亜熱帯以南にはイモ貝っていう猛毒の針を持ってる貝がいて、そいつらは毒針で近くにきた魚を仕留めて食べるヤベー奴っす」


「ああ、沖縄でハブ貝とかアンボイナと呼ばれてる奴だな。猛毒なのは知ってたが、まさか獲物を狩るための物とは思わなかったな」


「あ、さすがガクさん。危険生物としては知ってるんすね」


「そのへんは昔、東南アジアを旅した頃に知った知識だ。亜熱帯や熱帯の海の生き物は毒持ちが多いからな」


「なるほど。納得っす」


 獲物を持って一度拠点に戻り、昨日から干し網で乾燥させていた葛粉をチェックしてみたらすっかり乾燥していた。新しいビニール袋を準備して、そこに板状に乾いている葛粉を手で適当なサイズに割りながら入れていく。かなりの量ができたからこれで当分の間、葛粉には困らないだろう。


 そして小川から冷えて固まったゼラチンの入った大コッヘルを回収してくる。濃度が高いのでゼリーのような感じではなく、ういろうとかコンニャクのようになっている。

 それをまな板の上で薄く切る。ただ、ゼラチンの場合、葛粉のように不織布の上に広げて干すことはできない。そんなことをしたら不織布と一体化して剥がせなくなってしまう。

 仕方がないので、採集用に使っているビニール袋のうち、くたびれている2枚を切り開いてシート状にして干し網の上に広げて、その上にスライスしたゼラチンを並べていった。

 ゼラチンを天日干しにすると乾く前に熱で溶ける可能性があるので、林の木陰に干し網を吊るして乾燥させることにした。


 ようやく大コッヘルが空いたので、夕飯作りにかかりたいところだが、その前に煮干しだけ先に作ってしまおう。


「美岬は煮干しの作り方は知ってるか?」


「知ってるっすよ。うちの実家でも作ってるっすから。海水で小魚をちょっと茹でてから干すんすよね」


「そうだな。じゃあ俺は晩飯に使う食材を調達してくるから煮干しの方をやっててもらっていいか? 海水を沸騰させてから小魚とエビを茹でて、小篭に上げるまでしておいてほしいんだが」


「おまかせられ!」


 そんなわけで煮干しは美岬に任せて、俺はいくつかの食材を集めてくる。

 岩場で出汁用にカメノテ、林で薬味として三つ葉、平原の海浜植物ゾーンで葉物野菜としてハマヒルガオと実ダイコン。

 それらを集めて拠点の炊事場に戻れば、すでに美岬は煮干し用の小魚とエビを茹で終わり、小篭に盛られたそれからはホコホコと湯気が立っていた。


「お、いい感じに茹で上がったな。じゃあこれはこのまま一晩吊るしてある程度の水分を抜いてから、燻製小屋から煙が出なくなったらその中で熱乾燥で一気に仕上げるか」


「あ、そっか。燻製小屋で熱乾燥ができるんだったすね」


「そういうことだ。さて、じゃあいよいよお待ちかねのシーラカンスの試食といこうか」


「わぁー! パフパフ♪ ドンドン♪ 盛り上がってまいりました! 実況はワタクシ美岬と、ワイルドな見た目からは想像もつかないほどの甘やかし系スパダリの岳人でお届けします! さあガクさん、コメントをどうぞ!」


「そうだな。1つだけ言わせてもらうとすれば、美岬はどちゃくそ可愛い。以上だ」


「ほわあぁぁぁあ!? なんでそうなるんすかぁ! 会話のキャッチボールになんで魔球で返すんすか!」


「きっと視聴者はそういうのを望んでいると思うんだ」


「誰っすか! その視聴者!」


「もちろん俺だ。全俺が総立ちして拍手喝采スタンディングオベーションして、いいねボタンを押しまくって、リツイートしまくった結果としてバズり、『美岬れ』はトレンドワード入りしたというわけだ」


「なんか大事おおごとかつ、すでに『美岬蕩れ』がバズッたことになってるっ!?」


「……さて、美岬を愛でるのはこれぐらいにしてシーラカンスに話を戻そう」


「……強引に軌道修正したっすねぇ。いいっすけど」


 まな板の上にさっきまで小川で冷やしていたシーラカンスの肉ヒレの1つを出す。太さ約10㌢、長さ約20㌢で胴体とは違って細かい鱗に覆われていて自在に動くようになっている。切り落とした断面から覗く身は透明感のある白身で胴体のような脂っぽさはない。


「とりあえずこの肉ヒレ1本を色々試してみて、その中で一番まともな方法で残りの3本を料理するとしようか」


「なるほど。いきなり本番じゃなくて試食はしてみるんすね」


「さすがに不味いと言われている未知の食材でぶっつけ本番は怖いな」


「そっすね。それはあたしも同感っす」


 そんなわけでシーラカンスを使って料理を試作して味見してみることにした。







【作者コメント】

 バイ貝は下が砂地の海で投げ釣りの置き竿をしてるとポツポツ釣れます。作者はこの貝をわざと狙って釣ります。

 色々試してみてたどり着いたバイ貝の釣り方はこちら。

 投げオモリにメバル用の胴つき仕掛けを付け、その下に1号ぐらいの小さなオモリを付けます。餌は1㌢ぐらいに切った塩サバを針先に被せるようにして刺します。

 仕掛けを投げ、置き竿で5分待ってから上げます。バイ貝がいればこれで釣れます。たまにアナゴも掛かってきます。


 バイ貝は椎茸出汁と生姜と醤油で煮付けて、そのまま煮汁に一晩ぐらい浸けておくのがオススメです。マジでお酒が進みます。バイ貝の肝はサザエのように苦くなく、新鮮な焼き秋刀魚の肝に似ています。


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