船が沈没して大海原に取り残されたオッサンと女子高生の漂流サバイバル&スローライフ ─絶体絶命のピンチのはずなのに当事者たちは普通にエンジョイしている件─
第91話 9日目⑧おっさんはコーヒーを淹れ、糖化を説明する
第91話 9日目⑧おっさんはコーヒーを淹れ、糖化を説明する
縄文パンを焼き終わって空いたかまどに、水を入れた大コッヘルを掛けて沸かし始めたところで美岬からお呼びがかかる。
「ガクさん、スダジイに焼き色がついてきたっすけどどうっすか?」
美岬が焙煎しているスダジイを見れば全体的に茶色くなっているが焙煎度合いとしてはまだ浅い。シナモンローストってとこだな。
「まだちょっと早いな。もっと焦げ茶色になるまでだ」
「了解っす。そういえば聞いてなかったっすけど、このスダジイは何にするんすか?」
「ああ、昼に美岬が飲みたがってたアレだ」
「ほ? アレ? ……ってまさかコーヒーっすか?」
「おう。そのまさかだ」
「おうふっ……マジっすか。スダジイがコーヒーの代用品になるとは思わなかったっす。殻を焙煎して煮出すとルイボスティーで、中身を焙煎したらコーヒー。実は生食もできて、縄文パンの材料にもなるって、ちょっと万能すぎないっすか?」
「まあな。ついでに木の方は椎茸のホダ木にもなるし、木炭の材料としても重宝されてるな。割れやすいから建材としてはあまり使われないが、有用で昔から日本人の生活に密着しているからこそ、これだけ日本中に広がってるんじゃないか?」
「あ、なるほど。用途が広いからこそ、昔から積極的に植林されてきて今では日本中どこででも見かけるようになってるんすかね」
「たぶんな。それにスダジイは寿命も長いし、ドングリは発芽条件が整うまで発芽せずに待てるから、一度植林されたらじわじわ拡がっていくんだろうな」
美岬が焙煎をしてくれている間にコーヒーの抽出用のフィルターを準備する。俺が持ち込んでいる救急用品にガーゼが入っているので、それを裁縫セットの糸と針でちょいちょいと袋状に加工するだけだからほんの数分で終わる。
ガーゼの袋フィルターを作っている間に焙煎状態が
粉砕されたスダジイの粉をガーゼ袋に入れて中身が出ないように口を紐で結び、紅茶のティーバッグの要領で、沸いた湯を掬った小コッヘルに直接浸して抽出する。
ちなみにこの方法は普通のコーヒーでやっても問題ない。市販の緑茶用のお茶バッグに挽いたコーヒー豆を入れておけば、ケトルやドリッパーがなくてもお湯さえあれば気楽にアウトドアでコーヒーを楽しめるからあまり多くの道具を持たずにキャンプする人間にはお薦めの方法だ。
スダジイのドングリコーヒーの抽出を待つ間に使った調理器具の片付けを進め、食卓代わりのまな板の上に、縄文パンと桑の実ジャムの乗った皿と茹で野菜とアイナメの
「よし、じゃあ夕食にしようか」
「わぁい♪ 待ってたっす! 縄文パンとドングリコーヒーがめっちゃ楽しみっす」
「期待しすぎるとがっかりするぞ」
「正直、味はそこまで期待してないっす。それより資料でしか知らない縄文パンという未知への好奇心というか学術的な期待感が大きいっす」
「ん、ならいいか。食べよう」
「いただきまっす!」
ちょうどいい濃さに抽出されたドングリコーヒーをそれぞれの手に持ったハマグリ殻の湯呑みに注ぐ。
「おお、見た目は完全にコーヒーっすね。匂いも芳ばしくてコーヒーらしくなってるっす」
俺はドングリコーヒーを一口啜る。ほのかな苦味と甘味が口の中に広がり、本物のコーヒーほどの強い香りは無いものの、優しい香りと滑らかな口当たりで十分にコーヒーの代用品と呼べるだけのクオリティだ。
「あれ? 期待するなと言う割りには、なんか普通に美味しいっすね。それに酸味が全然ないからめっちゃ飲みやすいっす。あ、あたしこの味けっこう好きかもっす」
ドングリコーヒーを飲みながら美岬が嬉しそうににへらっと笑う。
「お、そうか。スダジイのドングリならいくらでも手に入るから気に入ったならよかったな」
美岬が次に縄文パンに手を伸ばす。端の方を指で割って欠片をカリカリと噛み砕く。
「あれ? これも期待してたより美味しいっすよ。もっとスダジイそのままな味と思ってたのに、焼き栗みたいに香ばしくなってるっすし、食感はほどよくパリパリで塩味も利いてて普通に美味しいじゃないっすか」
「期待してなかった方が意外に美味しいと嬉しいだろ?」
「……なんという孔明の罠。まんまと騙されたっす」
「実際、すごく美味いというわけではないが、悪くはないだろ?」
桑の実ジャムをちょっと乗せて一緒に食べてみれば、ジャムの甘味と酸味がパンの塩味とサクサクの食感と相まっていい感じになっている。
「ジャムはやっぱり間違いないっすね。ジャムそのものにもうちょっと甘味があると最高っすけどこれはこれで美味しいっす。それに、原料が同じだからか、縄文パンはドングリコーヒーとの相性も抜群っすね」
縄文パンとドングリコーヒーの食い合わせは確かに悪くない。
「甘味かぁ。ジュズダマで甘酒でも作ってみるか? あるいは葛粉とハマダイコンの絞り汁で水飴を作ってみるのもありかな」
「…………」
現在の手持ちの材料で作れる甘味として思い付いたものを口に出しながら、茹で野菜とアイナメのサラダを食べながらふと気づくと美岬がフリーズしていた。
「……? どうした美岬、手が止まってるぞ?」
「なんか今、ありえないことが聞こえた気がしたんすけど……甘酒とか水飴とか言わなかったっすか?」
「言ったぞ。それがどうした?」
「ほんとに作れちゃうんすか? サトウキビとか
目をぎらつかせながら美岬が身を乗り出してくる。
そんなに甘味に飢えていたのか。そういえば、この島に上陸する直前も高カロリー携行食の甘さに感激してマジ泣きしてたな。
「お、おう。騙してないから落ち着け。
「じゃあ早速今からジュズダマを取りにっ!」
「今日はもうダメだ。そもそも夕食の途中だろう。明日以降だ」
「…………うぅ。つい取り乱してしまったっす」
「美岬が甘味に飢えているのはよく分かったから。出来るだけ早く作ってやるからもうちょっと待て」
「はぁーい。……それにしても、甘酒とか水飴ってどうやって作るんすか?」
「そうだな……甘酒の場合は
水飴の場合は、消化酵素のアミラーゼを多く含む食品──麦芽とかダイコンとかサツマイモとかヤマイモなんかをすりおろしたペーストとデンプンを混ぜて、これも50~60℃ぐらいで数時間加熱すれば酵素作用で糖化して甘くなるから、それを布で絞って、絞り汁を煮詰めればできるな」
「ほぇー。そんなので甘くなるんすね。糖化? ってどういう原理なんすか?」
「まあ原理としてはどっちも同じなんだが、甘酒の場合は、麹が穀物の炭水化物をブドウ糖に分解することで甘くなる。水飴の場合はアミラーゼが炭水化物を麦芽糖に分解することで甘くなるんだ。で、この50~60℃という温度が大事でな、消化酵素は働くけど雑菌はほとんど繁殖できない温度だから、この温度より低いと雑菌が繁殖して酸っぱくなるし、高いと酵素そのものが不活性になって甘くならなくなる」
「ほほう。……んー? 甘酒も水飴も炭水化物が分解されて糖になるんすよね? なら炭水化物さえ入ってれば糖の原材料は麦でも米でも芋でも何でもいいってことっすか?」
「お、正解だ。原材料の種類によって味の癖は変わるが、基本的に炭水化物と麹もしくはアミラーゼさえあれば糖は作れるぞ」
「おぉ。じゃあ、アミラーゼが元々たくさん入っているサツマイモとかだとそれだけで糖を作れちゃったりするとか?」
「その通りだ。美岬は知ってるだろうがサツマイモは掘ったばかりだとあまり甘くないんだ」
「あ、そっすよね。しばらく天日干しにすると甘くなるっすね。……あ、もしかしてそれも?」
「そう。天日で温められて芋に含まれる
「おふっ! まさかそんな裏技があったとは! あ、でも炭水化物が糖に変わる仕組みはなんとなく理解できたっす」
「うん。今はとりあえず知識として知っておけば十分だ。実際にやってみればちゃんと理解できるだろうからな。……それより、そろそろ雨が降りだしそうだから急いで食べてしまおう」
それからほどなくして、分厚い雲の薄暗い空からポツリ、ポツリと雨が当たり始め、たちまちのうちに本降りになる。俺と美岬は辛うじて雨に濡れずに拠点内に待避することができたのだった。
【作者コメント】
今回のエピソードは、この作品で是非とも書きたいと思っていた内容の1つでした。
中世ヨーロッパ風の異世界を舞台にした転生主人公の知識チートのスローライフ物でよくある展開として、日本のスイーツを再現しようとするものの砂糖が手に入らなくて主人公が苦労するというものがありますが、それを読むたびにいつも『なんで麦芽糖を使わんのよ?』と思っていたのです。
そもそもエールやビールがある世界なら、麦芽糖はあるに決まっているのです。麦芽糖液を発酵させたものがエールやビールになるのですから。麦芽糖液を発酵させずに煮詰めた物が水飴になります。
発芽させた麦の芽、いわゆる
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