第52話 6日目⑦おっさんはスコップで料理する

 一度拠点に戻って獲物を下ろし、バーベキューの準備を始める。


 昨日は拠点内で火を起こして煮炊きをしたが、火起こしの直後はけっこう煙が充満していた。煮炊きだけであれなら、ましてやバーベキューを拠点の中でやろうものなら間違いなく煙と熱で大変なことになるだろう。それで、この機会に拠点の外に料理のための設備を整備することにした。

 今後、拠点内はあくまで寝室兼倉庫として使用し、料理と食事は基本的に外でしようと美岬と話し合って決めた。すぐには無理だが、調理場兼食堂スペースにする場所も、雨が降っても大丈夫なようになるべく早く屋根をつけて東屋あずまやのような感じにするつもりだ。

 作業台や食事用のテーブルや椅子などもいずれは揃えていきたいが、とりあえず今は焼き物や煮物をするためのかまどを作ってバーベキューだ。


 溶岩が冷えて固まった火成岩は、冷える過程で柱状や板状に割れることがあり、この現象は柱状節理ちゅうじょうせつり板状節理ばんじょうせつりと呼ばれる。俺たちがいるこの箱庭も元は火口であったことから岩場には柱状や板状に砕けた石や岩が多い。


 岩場からカマボコ板からレンガぐらいまでのサイズの板状の石を集めてきて、環状に並べ、薪をくべる開口部だけは大きめの石を組んで頑丈に作るが、そこ以外は、環状に並べた石の上に一回り小さな環状に石を積み、その上にさらに一回り小さな環状に石を積み、というのを繰り返し、上に上に積み上げていくことで、下が広く上が狭まった壺のような形のかまどに組み上げる。


 この形は燃焼効率が良く、上の狭まった部分に火力が集中するので調理もしやすい。これはメキシコで昔から使われている壺型チムニーに近い。

 目地材モルタルを使わずにただ石を積んだだけだから使ってみて改善点が見つかればまたバラして組み直せる。

 30分ぐらいの作業時間で完成したかまどのサイズは高さ40㌢、土台部の直径45㌢、上部の直径30㌢、上部の開口部の内径20㌢といったかまどとしては小ぶりなものだ。

 小ぶりといってもこれの制作を一人で全部やったら1時間かけても到底終わらなかっただろうが、美岬が何度も岩場とここを往復して素材の石を集めてきてくれたから俺は組み上げるのに集中できたのでかなり早く作ることができた。


「ありがとな。美岬が頑張ってくれたから思ってたより早く出来上がった」


「…………」


 汗だくになって肩で息をしている美岬がペットボトルの水を飲みながらいい笑顔でサムズアップしてくる。


「ここからは俺のターンだ。メシの準備ができたら呼ぶから、美岬は陰で休憩してていいぞ」


「……あざっす。じゃあちょっとだけクールダウンさせてもらうっす」


 崖下の日陰に移動した美岬が砂地にこてんとひっくり返る。そんな美岬を横目に、俺は完成したばかりのかまどの中に薪を組み、ファットウッドとスダジイの細枝を使って火をつけ、後は開口部から風を送り込んで、そこそこ大きな薪に火が燃え移るのを見届ける。ここまでしておけば後は放っておいても燃え続ける。ある程度全体的に火が回って火力が安定するのを待つ間に貝の下拵えを進めていく。


 取ってきた獲物のうち、アサリ、赤貝、カサガイ、カメノテは夜に回す。理由はアサリは砂抜きが必要で、それ以外は調理に手間がかかるのですぐに食べるのが難しいからだ。

 大きいコッヘルに小石を下から1/3ぐらいまで敷き詰め、その上にアサリを並べ、赤貝、カサガイ、カメノテを適当に入れ、海水をヒタヒタになるぐらいまで入れたら後は日陰で使うまで放置だ。下に小石を敷いておけばアサリが吐いた砂が石の隙間に落ちるので砂抜きが効果的に行える。アサリ以外はただ死なないように水に浸けているだけだ。


 ハマグリの下拵えは、ナイフで蝶番ちょうつがいを切っておくだけだ。蝶番はプラスチック程度の硬さしかないのでナイフで簡単に切れる。

 ハマグリをそのまま焼くと、大抵の場合、火が通って口が開くと同時にひっくり返って旨味たっぷりの貝汁スープがほとんどこぼれてしまうことになる。そうなる原因は、熱が通ることで、殻が開かないように内側で引っ張っている筋肉である貝柱がその力を失って殻から外れ、殻を開こうとする蝶番のバネの力が一気に解放されることによる。

だから先に蝶番を切っておけば焼けても口が急に開いてひっくり返ることはなくなる。焼きハマグリの貝汁を楽しみたいならやっておくべき処理だ。


 岩牡蠣は特に下拵えは必要無い。元々の殻に重さがあるから火が通ってもゆっくりと蓋が開くだけでひっくり返ることはない。


 あとムラサキイガイ……いわゆるムール貝だが、こいつらは砂こそ噛んでいないが岩にくっつくために何本もの丈夫な糸――足糸そくしを殻の蝶番付近から出している。

この足糸が残っていると食べる時に髪の毛を口に入れてしまったような不快感を感じることになるので調理前にこの足糸を取り除くのがこの貝の下拵えとなる。切ってしまうと足糸の一部が内部に残ってしまうので、抜き取るのが正しい。

 殻の尖った方を上に向け、足糸を摘まんで下に向けて引っ張れば抜き取ることができるが、これをやってしまうと貝がすぐに死んでしまうので調理直前にするのがベストだ。


 そんな感じで下拵えを終えた頃にはかまどの火も安定していい塩梅あんばいになっているので、拠点の中から食器用のコッヘルや軍手を取ってきて、ついでに美岬にも声を掛ける。


「おーい、美岬。そろそろ焼き始めるぞ」


「わーいっ! もうお腹ペコペコっすよ」


 むくっと起き上がり、いそいそと近づいてくる美岬。だが、火の燃え盛るかまどを見て首をかしげる。


「ガクさん、このかまどでどうやって焼くんすか? 金網とか無いっすよね?」


「そういう時はこいつの出番だ」


「おおっ! そういう使い方っすか!」


 俺がスコップの刃の部分をかまどの上に乗せると美岬が感嘆の声を上げる。


「スコップやすきの刃を鉄板として野外料理に使うのは実は昔から行われていてな、すき焼きの語源も元々は鋤の刃で料理したからだという説もあるぐらいだ」


「あ、そうなんすね」


「サバイバル用の折り畳みスコップも最初からそういう用途を前提に作られているものも結構あるから、俺もそのつもりで火にかけても問題ないやつを選んでるんだ。……まあ良いものはそれなりに値は張るけどな」


「なるほど。スコップってこういう状況サバイバルだと無いと困るレベルで大事っすもんね。どうせ持ってなきゃいけないものなら、なるべく高性能なものを選ぶのは納得っす。値段が高いのは……良いものなら当然っすよね」


 俺の隣にちょこんと座ってうんうんと頷く美岬。良いツールを揃えることに嫁の理解が得られずに忸怩たる思いをしている諸兄に聞かせてやりたいセリフだな。


 やがて、しっかり予熱されたスコップの表面から白い煙が立ち昇り始め、手をかざせば痛いほどの熱さが感じられるようになったので、まずは岩牡蠣2個とその隙間にムラサキイガイ――もうムール貝でいいか、を並べて焼き始める。岩牡蠣が大きすぎるのでハマグリを一緒に焼けるスペースはない。


――ジュウゥ……


 濡れたままの貝をスコップに並べた瞬間、蒸気が立ち昇り、海の家でお馴染みの匂いがし始める。


「おー! やっぱこれっすね! この浜焼きの匂いが島育ちにはたまらないっす!」


 鉄板焼きは、直火の網焼きに比べると火が通りにくいので、裏技として小さいコッヘルに汲んだ海水を少しスコップに流し込む。


――ジュワッ ボコボコボコ……


 一瞬で沸騰した海水と蒸気が一気に貝を加熱していき、まずムール貝が、次いで岩牡蠣の殻の口が開き始める。そのまま水が完全に蒸発するまで待てば焼き上がりだ。

 ムール貝はまとめてコッヘルに入れ、岩牡蠣は大きすぎてコッヘルに入らないので軍手をはめた手で持って食べることにする。焼き上がった貝をまずどかし、スコップの空いたスペースに第二陣のハマグリを並べて焼き始める。こうしておけば食べているうちに次のが焼けてくるだろう。


「よし、さっそく食うか」


「わぁい! いただきまぁす!」


 左手に軍手を嵌め、右手に小枝の箸を持った美岬がさっそく焼き牡蠣に手を伸ばす。牡蠣の少しだけ開いた口を箸を巧く使ってこじ開けると、白く濁った貝汁スープから湯気が立ち昇り、生に比べるとかなり縮んでいるがプリプリとした旨そうな身が姿を見せる。

 牡蠣の殻に直接口を付けてスープを啜った美岬が恍惚とした表情を浮かべ、次いで箸で摘まんだ牡蠣の身をぱくっと一口で頬張り、熱さでハフハフしながらも満面の笑みで口を動かす。本当に嬉しそうに食べる姿を見ているとこっちまで嬉しくなってしまう。


 俺も美岬と同じように牡蠣の殻を開け、まずはスープを啜り、次いで身を食べてみた。スープは適度な塩加減とほのかな甘味と溶け出した牡蠣の旨味が絶妙のバランスで組み合わされ、何も味付けをしていないのに完成された奥深い味わいになっている。そして身は、熱で縮むことで適度な歯応えが生まれ、また味も濃縮されてレバーパテのような滑らかでありながら力強い風味が楽しめた。生でも旨かったが、焼いたものにはまた別の魅力があって甲乙つけがたい。


「……旨いなー」


「……旨いっすねー」


 空の牡蠣殻を持ったまま二人揃ってしみじみと呟く。本当に旨いものを食べるとただ「旨い」としか出てこなくなる。まだ焼き牡蠣しか食べていないのにすでに満足度がすごいことになっている。



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