第46話 6日目②おっさんは雑草を駆除する
まずは岩場に寄って用を足してから小川の方に向かう途中、海浜植物ゾーンで薄紫の花を付けた植物が群生しているのを見つけた美岬が歓声を上げる。
「おお、やった! ガクさん、これはハマゴウっすよ。関東より南だとありふれてる海浜植物っすけど、あたしとしては是非とも見つけたかった植物っす!」
美岬に言われてそのハマゴウとやらを観察してみる。
これは浜辺ならどこででもよく見かける植物だが、きちんと観察するのは初めてだ。
地面から縦にまっすぐに伸びた50㌢ぐらいの茎に上から下まで楕円形の裏白の葉がたくさんついていて、茎のてっぺんに房状の小さい薄紫の花がたくさん咲いている。花は房の下から上に順次咲いていくようで、房の下の方はすでに花が散って実になっていて、上の方はまだ
この群生の仕方や、葉の付き方はミントとかバジルのようなシソの仲間に似ているな。特にミントのギザギザの葉をつるりとした楕円形にすればかなり近くなりそうだ。
「……んー、この感じからしてシソの仲間か?」
「おぉ、正解っす! シソ科の低木の一種っすよ」
「……草にしか見えんがこれは木なのか?」
「そっすよね。幹が砂の下を這うように伸びて、葉と花実をつけるための枝だけが地面から出て伸びるから草だとよく思われてるっすけど、ハマゴウはれっきとした木っすよ。内陸の方だと普通に低木になるらしいっす。……関東より北ではハマナス、関東以南ではハマゴウが夏の浜を彩る代表的な花なんで、北のハマナス南のハマゴウっていわれることもあるっすね」
「ほーん。ここには両方あるがこういうのは珍しいのか?」
「んーまあ無くはないって程度っすよ。東海以西だとハマナスはまず見ないっすけど、神奈川や静岡ぐらいなら混在してることもあるみたいっす。この島もたぶん緯度的にそれに近いんじゃないっすかね?」
「なるほど。植生からも色々分かるんだな。……で、美岬はこのハマゴウをどうして見つけたかったんだ?」
「あ、そっすね。じゃあ、とりあえず百聞は一見にしかずということで、葉っぱを一枚取って揉んで匂いを嗅いでみてほしいっす」
言われるままに葉を一枚むしって指で揉んで匂いを嗅いでみると、まるで柑橘類のような爽やかな良い香りがした。
「……ほう、これはまた香りがいいな。シソやバジルやミントとも全然違う、柑橘っぽい匂いだ」
「ハマゴウって漢字だと浜の香りと書いて浜香なんすよ。平安時代から親しまれてきた香木の一つで、その香りにはリラックス効果があるのと、燃やすと虫除けにもなるんで乾燥させて粉末にしたものを蚊取り線香の材料に使うこともあるんすよ」
「虫除けかっ! それは確かに欲しいな」
病気を媒介する蚊への対策はサバイバルにおいて非常に優先度の高い案件の一つだ。このありふれた植物がまさかの解決策だったとは。
「それだけじゃなくて、実を乾燥させたものは
「解熱鎮痛剤! それはめちゃくちゃありがたいな」
「でしょっ! 葛から風邪薬の
ふんすっと両手を握りしめて力説する美岬の頭に手を置いて撫でる。
「まったくその通りだ。病院が無いこの島で薬があるというのがどれだけ心強いことか」
「へへ、この箱庭にはなにげに薬用植物が揃ってるから助かるっすね」
「いや、俺としてはこういうことをちゃんと勉強してしっかり自分のものにしている美岬のこれまでの努力をまず誉めたいぞ。どんなに有用な漢方薬でも使い方が分からなきゃただの雑草だ。ここにある植物に薬草としての価値を付与したのは美岬の知識だ。誇っていい」
「おおうっ? えへへへ。なんかめっちゃ誉められたっす」
「本当にこれはすごいことだぞ。ハマゴウにしろハマダイコンにしろ浜辺ならどこにでもあるありふれた植物だからな。俺にとってハマダイコンにはただの食材以上の価値はなかったし、ハマゴウなんてどこでも見かける雑草でしかなかったからな。それがどうだ、美岬の話を聞いてからは宝の山にしか見えん」
「あは、それあたしもめっちゃ分かるっす! あたしもただの雑草と思ってた植物がけっこう使える薬草って知ってからはお宝にしか見えないっすからね」
「また有用な植物を見つけたら教えてくれ」
「りょーかいっす!」
満面の笑みの美岬の頭から手を下ろして、近くにあるハマゴウの房から実を一つ摘まみ取る。コルク状の殻に包まれた黒粒胡椒のような種子を見て、なんとなく閃くものがあり、指で潰して舐めてみる。
「……っ!」
かなり苦い。だが、さっきの葉よりもずっと濃厚なスパイシーな香りにやはり、と確信する。これは山椒とよく似ている。香辛料として料理の香り付けに使えば今後の料理の幅が広がることは間違いない。思わず口許がほころぶ。
「え? それそんなに美味しいんすか? ……うっ、苦っ!?」
俺の表情の変化に目ざとく気づいた美岬のハマゴウの実を口に含んで盛大にしかめっ面をする。
「そのまま食うもんじゃない。だが、この香りは香辛料として使えると思ってな。このハマゴウのスパイスとしての可能性に料理人の血が騒いだだけだ」
「うぅ、そっちっすかぁ。そっちはあたしはぜんぜん分からないんで、この香りを料理にどう使うつもりかイメージできないっすけど、でもガクさんが美味しくできるってんなら期待するっすよ」
「おう。まかせとけ。いやーしかし、お互いに得意分野が違うってのは出来ることの幅が広がっていいな」
「それはあたしも思うっす。……あたしのちっぽけな知識が少しでもガクさんの助けになるなら、あたしも自分が足手まといじゃないって思えるっすし」
と、また卑屈なことを言い出した美岬のおでこをツンッと突っつく。
「……おーい、またネガティブ草が生えてきてるぞ」
「あぅ。……この雑草は根が強いんで草むしりしてもまた生えてくるんすよぅ」
「油断も隙もねえな。……いいか、美岬は最初から足手まといなんかじゃなかったからな? 美岬がいたから俺はここまで頑張れたんだし、これからも頑張れるんだ。美岬の農業や漢方の知識は新たな一面ではあるが、俺にとって美岬は最初からずっと頼りになる相棒だったぞ」
「…………うー、もぅ。ガクさんはまたそうやってあたしを喜ばせるんだからっ!」
美岬がドンッと頭から俺の胸にぶつかってきてそのままグリグリと押し付けてくるので頭を撫でてやる。だいぶ改善してきたとはいえ、美岬の否定され続けたことによる自己評価の低さには根深いものがあり、ちょくちょくネガティブが雑草のように芽を出すから見つけ次第引き抜く必要がある。
「本心だからな。ただでさえ俺にはもったいないぐらいの彼女が、農業に加えて漢方薬の知識も豊富とか最高すぎるだろ」
「……………………もう、好きっ!」
美岬が抱えていた洗濯物がバサッと地面に落ち、美岬の両手が俺の背中に回されてしっかりとハグしてくる。どうやら雑草駆除に成功したようだ。俺が美岬の頭を撫でていた手をそのまま背中に回して軽くハグを返してから離せば、美岬も俺の背中に回していた両手をほどいて自分で立ち、照れたように笑う。
しかし次の瞬間、足元に散らばった自分の使用済み下着に気づいて顔を真っ赤にしながら慌てて拾い集めるのだった。
【作者コメント】
作者の地元の三重県伊勢の海にはハマナスは無く、ハマゴウはそこかしこに生えてますね。海でのキャンプやバーベキューの時にはハマゴウを生木のまま燃やして虫除けとして活用してますよ。
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