第38話 5日目⑦おっさんは腕まくらをする
俺はポンチョを着て、サバイバルナイフと
近づいて確認してみればそこはやはり湿地帯で、生えていたのは丈が3㍍ほどに成長した葦だった。まあ水辺を好み、海水が混ざっていても平気で生い茂る細長い植物なんて葦ぐらいしかないよな。だがこんなすぐ近くに葦の群生地があるのは実にありがたい。昔から日本人の生活に密着した植物だから何かと使い途が多くて有用だ。
そのまま、葦の群生地の外縁に沿って内陸の方に歩いて行けば、次第に葦が疎らになり、地面も湿地の柔らかい泥からしっかりした土の地面に変わり、木がちらほらと立ち並ぶ林になってきた。針葉樹は松ぐらいで、ほとんどが広葉樹だ。パッと見でシイノキやモチノキがあるのを確認できた。
そして、その雑木林にはもう一つの目的だった小さな川がさらさらと流れていた。予想はしていたが、この小川が灌漑用水のようにこの辺りの木々に水を供給して育てているのだろう。
林の奥の方から流れてきている小川は林と葦の群生地の境目辺りで細かく枝分かれして地中に染み込んで伏流水になっているようだ。この様子ならこの辺りを適当に掘ればすぐに水が湧くだろう。この小川の水が直接飲めなくても、地中に染み込んで濾過された水ならそのまま飲めるはずだ。
知りたいことは知れたので、雑木林で適当に薪になりそうな落ち枝や倒木から切り出した枝を集めてリュックに詰め込み、ついでにちょっとその辺で用を足してスッキリしてから林を出て美岬の待つ拠点に向かって歩き出した。
俺たちの拠点の岩陰は砂浜に面している崖の下にあるが、砂浜は内陸にいくにつれ、砂地に海浜植物が混じりはじめ、やがて完全に土になり、地を這う丈の低い雑草の繁茂する平原になる。だがどうやら雨以外に水が供給されない平原の方は植物の生育には過酷な環境らしく、手付かずの割に雑草の密度は低く、まばらに生えている木も深い地下水源までなんとか根を下ろしているらしい松ぐらいしか見当たらない。
林と拠点の間の平原を歩きながら軽く周囲をチェックしてみたが、ハマボウフウやハマヒルガオといった本土でもよく砂浜で見かける海浜植物やタンポポやオオバコといった見慣れた雑草が混在している。
そして、平原に面している崖に近づくと、そこにそれなりに大きな洞窟がぽっかりと口を開けていることに気付く。LEDライトを持ってきていないので中までは分からないが、それでも今の俺たちの拠点よりはだいぶ広そうだ。場所は俺たちの拠点から内陸側に300㍍ぐらいだろうか。今日はともかく、明日にでもこの洞窟を調べて、条件が良ければこっちに拠点を移すのもありだな。
そのまま崖沿いに海に向かって歩いていけば拠点に戻れるが、その途中で枯れて崖から落ちてきたであろう松の倒木を見つける。ずっと野晒しになっていたようで表皮も無くなりかなり朽ちているが、もしかするとこれは宝の山かもしれない。
俺はサバイバルナイフを抜いて、その背で倒木の幹を叩いてみた。すると朽ちた木の軟らかい感触ではなく、硬い感触と共にコーンと澄んだ高い音がした。これはどうやら当たりだな。
鋸で適当な枝を一本切り落として切り口をチェックしてみれば赤と茶色とクリーム色を混ぜたようなキャラメルみたいな色になっていた。
いいな。これは良いファットウッドになっている。とりあえず人差し指と親指で作った輪ぐらいの太さのファットウッド化した枝を40㌢ぐらいの長さで3本切り落としてリュックに入れ、一度砂浜の筏に寄ってオールを一本外してから拠点に戻った。
「おーい、戻ったけど入っていいかー?」
「大丈夫っすー。おかえりなさーい」
拠点に入ると美岬が満面の笑みで迎えてくれる。今の美岬はボーダーのTシャツに七分丈のジーンズという初めて会った時と同じ服装をしている。ただし、シーアンカーに使った右足だけ膝上のハーフパンツになっているが。
「……おお、なんかその格好の美岬を見たのは数日前のことなのにずいぶん久しぶりな感じだな」
「ずっとガクさんに借りたラッシュガードのパーカーとレギンス姿だったっすからね。下着も含めて久しぶりに乾いた服が着れてめっちゃ嬉しいっすよ」
「そうだな。乾いてる着替えはあっても筏の上じゃ着替えてもすぐ濡れるから着替える意味があまりなかったもんな」
「そうなんすよー。あ、偵察はどうだったっすか?」
「んー、そうだな。とりあえずここからもうちょっと奥に行ったところに大きめの洞窟は見つけたぞ。今日はこのままここで過ごすとして、明日にでも調べに行ってここより良さげだったらそっちに拠点を移すのもいいと思うな」
そう言いながらもリュックを下ろし、集めてきた薪用の枯れ枝を砂の上に出していく。
「ここはちょっと狭いっすもんね。おお、けっこう薪も拾ってこれたんすね。でも完全に湿気てるっすけどちゃんと火はつきますかね?」
「普通じゃそう簡単にはつかんだろうな。だからアルコールを染ませた点火用の紙でまずは松ぼっくりに火をつけてそこからだんだん大きくしようと思ってたんだが……ちょっとそこで良いものを見つけてな」
ファットウッド化した松の枝を取り出す。
「んー、これは普通の枝とは違うんすか?」
「ま、百聞は一見にしかずだ。やってみればわかるさ。とりあえずこの枝をナイフでちょっとずつ削り落としてくれ」
「はーい」
俺がそのへんで拾ってきた石を並べた環の中に美岬が言われるままに自分のナイフでファットウッドを削り落としていく。
鉛筆削りの削りカスみたいな木片がひとつまみ分ぐらい出来たら次に段階に移る。
「よし。じゃあその木屑にファイアースターターで火花を飛ばしてみよう」
「マグネシウムは削らないで火花だけでいいんすか?」
「おう。とりあえずやってみてくれ」
美岬がファイアースターターをファットウッドの木屑に近付け、火打金で点火棒を擦って火花を飛ばした直後、木屑があっさりとオレンジの炎を立てて燃え上がる。
「うそ? こんなにあっさり火がつくってマジっすか」
「これがファットウッドの凄いところだな。天然の固形燃料みたいなもんだからな」
燃え上がっているファットウッドの木屑に松ぼっくりを近付けて炙っていけば松ぼっくりにも火がついて燃え始め、そこにさらに追加でいくつかの松ぼっくりを加えれば安定した強い炎になる。
それから、さっき拾ってきた広葉樹の濡れ枝を燃える松ぼっくりに被せるように組んでいく。
筏から取ってきたオールの柄を鋸で切り、パドル部分に短い竹の柄が付いている状態にして、それをウチワ代わりに使って扇いでやれば、やがて熱で乾いた枝に火が燃え移っていってさほど時間もかからずに焚き火が完成する。
「ま、こんな感じだな」
「さすがに手慣れてるっすねー。で、結局このファットウッドってなんなんすか? 信じられないほど簡単に火がついたっすけど」
「ファットウッドをそのまま直訳すると『脂の木』だな。松の樹脂っていうのは元々燃えやすいんだが、松の木が枯れると樹脂がどんどん木の奥の方に浸透していって樹脂濃度が高い部分が出来るんだ。その樹脂の濃い部分がファットウッドだ。部位としては幹の根本とか、枝の幹から分かれてすぐぐらいのところに上質のファットウッドが出来やすい。これは枝の幹に近い部分から切り出した上物だぞ」
「なるほどっす。確かにこれはすごいっすね。……あー、でも焚き火の明かりってやっぱりいいっすね。なんかホッとするっす」
「そうだな。入り口から外の光も入ってはくるが、中は薄暗いし、ひんやりしてるから焚き火があるのはやっぱりいいよな。キャンプの醍醐味だ」
「別に娯楽といえるようなものじゃないのになんか無性に楽しいっすよね。……ふわぁぁぁ」
隣に座っている美岬があくびと共に俺の肩にこてんと寄り掛かってくる。
「もうだいぶ眠そうだな」
「……だってぇ、やっと安全な場所について、乾いた服に着替えて、暖かい焚き火に当たって、隣に誰よりも信頼してる旦那さまがいる、この安心感のコンボをくらってしまったら強制終了待ったなしっすよぅ……」
そう言いながら美岬は本当に
やれやれ、本当は俺も着替えて体を拭きたかったんだがこうなったら仕方ないか。この安心しきった可愛い寝顔を起こすのは忍びない。
俺は美岬の肩を抱き、そのままゆっくりと仰向けに横にならせ、俺もそのまま一緒に柔らかい砂の上に横になる。肩に回していた腕がそのまま美岬のご要望の腕まくらになってるわけだが当の本人は熟睡モードになりつつあるので全然気づいていない。
ふと気になって腕時計をチェックしてみれば午後の1時過ぎ。何かを忘れているような気がするのだが、俺もまた横になったことで急激に睡魔が襲ってきてもうこれ以上考えられない。
拠点の外で今なおザーザーと降りしきる雨の音とパチパチと焚き火の薪のはぜる音を聞きながら、俺も意識を手放したのだった。
【作者コメント】
ファットウッドは本当に簡単に火がつく天然着火材です。あまりにも楽すぎて別名レイジーウッド(怠け者の木)ともいいます。
松は大地にしっかりと根を張る木なので枯れてもそうすぐには倒れず、立ち枯れ(デッドツリー)のまま数十年や数百年経過するものもあります。そうすると、枝や幹の樹脂が重力に従って次第に下の方に降りてきて、根本付近や枝分かれ付近に高樹脂濃度の品質の高いファットウッドができるわけです。ファットウッド化している木は叩くと澄んだ高い音がします。ファットウッドの良し悪しは水に入れると分かります。良いファットウッドは水に沈みます。
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