第34話 5日目③おっさんは島に到達する
カルデラ環礁から出た外洋の荒れ方は凄まじかった。
外洋のうねりは陸に打ち寄せる波と似て非なるものだ。暗礁帯やカルデラ内では波しぶきや砕け波を伴ういわゆる陸に打ち寄せる波となっていたが、カルデラを出て、その周辺の浅い海を抜けて外洋に出た途端、波がうねりに変わったのが分かった。体感的に波の圧力は横方向に来る押し流す力だが、うねりの圧力は下から来る突き上げるような力だ。
一瞬で20㍍ほどの高さまで持ち上げられ、次の瞬間には20㍍下に落とされる。これがずっと続く。一言で表すなら、絶え間なく続く山と谷だ。
遊園地にバイキングというアトラクションがあるが、あれは意外と外洋でうねりに翻弄される船を忠実に再現してるんだな、と妙に納得してしまった。そして、現実ではそれに暴風雨がもれなくセットで付いてくる。
この状況では下手な抵抗など無意味などころかかえって有害になる。シーアンカーを回収して、うねりに完全に筏を委ねた方がかえって安定することに気づいた。シーアンカーを回収してからは筏は前後左右関係なく回転するようになってしまったが、それでもうねりとシンクロして上下するようになっただけ安定感は増した。
そんな感じで嵐に耐えること数時間。腕時計でチェックすると午前10時を回った頃に、突然それは俺たちの前に現れた。
雨が絶え間なく続いていたのでかなり近づくまでその存在に気づかず、本当にいきなり目の前に出現したような錯覚を覚えた。
それは行く手に立ち塞がる垂直に切り立った壁のような崖だ。しかもそれが右にも左にも見渡す限り続いている。崖に打ち付けた波が戻ってきて次の波と打ち消し合うので、今なお続く嵐の只中にあって、海面だけが妙に穏やかになって体を起こす余裕ができる。
「え? 崖っすか? なんで?」
筏の上に身を起こした美岬が意味が分からずに混乱しているが俺も同感だ。突然に雨の向こうから現れた断崖絶壁のインパクトが強すぎて思考が停止してしまったが、まるでイギリスのドーバーの
「……っ! 美岬、これは島だ!」
「はわっ! そうっすよ! 崖があるってことは島っすよね!」
とはいえ、この場所はとてもじゃないが上陸出来るような場所じゃない。断崖絶壁という地形もそうだが、絶え間なく押し寄せる大波が上陸を許さない。跳ね返ってきた波と打ち消し合って穏やかになっているといっても、それはあくまでも外洋に比較しての相対的なものでしかなく、現実としては10㍍の波が4㍍になったに過ぎない。4㍍の波が打ち寄せる中であんな断崖絶壁に取りついてよじ登るなんてどう考えても無理だ。しかも波による永年の侵食で下の方が削られて崖そのものがオーバーハングしている上に崖の高さもざっと100㍍はありそうだ。ここまで難易度が高いと試してみようという気も起こらない。
「とりあえず、この崖沿いに進んで行ってまずは風裏を目指そう。これだけ高さがあれば風裏まで行けば台風が過ぎるまでやりすごせるはずだ。もし上陸出来そうな浜があったら上陸を試してみればいいし」
「そっすね。あたしもそれで異論ないっす」
「じゃあ、この島を逆時計回りで進むぞ」
「あいあいさ」
それぞれでオールを握り、打ち寄せる波と跳ね返ってきた波が力を打ち消し合う、比較的海面が穏やかな場所を選びつつ筏を漕いで進んでいく。
カルデラから出る前に台風の風が西寄りになっていたことからして、その風に流されてきた俺たちはたぶんこの島の西岸にいるのだろう。そして台風がこれから北上していくことを考えると島の南側に向かうならより早く台風の影響が小さくなるはずだ。
崖を左側に見ながら進むこと1時間。台風のピークはなんとか過ぎたようで雨も風も少しずつだが弱まってきた。風向きも西から北寄りに変わってきたので南に向かう俺たちにとっては追い風になってきている。
雨足が弱まったのでこの島の様相も少しずつ明らかになってきた。
まず、この島はかなり大きな島だ。西岸に沿ってすでに体感的に数㌔は南下しているがまだ島の南端にたどり着かない。仮にこれが南北に細長い形の島だとしてもそれでもかなりの大きさになるだろう。
そして、ここまで平均すると100㍍ほどの高さのオーバーハングした断崖絶壁がずっと途切れずに続いている。崖の上には植物の緑が繁茂し、木々の姿も見えているがその先がどうなっているかは下からは分からない。
「まるでテーブルマウンテンだな」
「なんすか? テーブルマウンテンって」
「山って普通は円錐形のイメージだろ?」
「そっすね」
「テーブルマウンテンってのは上が平らになってて、縁が切り立った崖になってる山のことだ。メサ型台地とも言うが、日本だと香川の
「なるほど、まあこういう感じなんすね」
「そういうことだ。もしこの島の海岸線が全周がこんな感じだったらまさにテーブルマウンテンってことになるだろうな」
「なんでそういう地形になるんすかね?」
「もともとは普通の山だったのが、地盤の柔らかい部分が雨や風で削り取られて固い地盤だけが台形状に残ったもの……という説が有力だけど実際どうかは分からんな。海底で平らに広がって固まった溶岩台地が隆起してできたという説もある。いずれにせよ、人間の観点からは考えられないほどスケールの大きい話だからな。それこそ何億年とか何十億年というような」
「ははは、そこまで規模の大きい話になると脳ミソが理解するのを拒否するっすね」
「ま、もしこの島がテーブルマウンテンだとしたらすごく古い島で、元々はこれよりずっと大きかったんだろうってだけの話だ」
「なるほどっす。……お、ガクさん、あれ、島の南端じゃないっすか?」
「そうみたいだな。さて、島の南側はどうなってるだろうな」
「上陸出来そうな浜があるといいっすね」
「そうだな。いいかげんに地面が恋しいよな」
島の南端……というか西岸の南端はそれまで続いてきた崖がただ途切れているだけに見える。さて、あの先はどうなっているのやら。
浜になっていることを期待しつつ、西岸の南端の岬を回った俺たちの目の前に現れたのは、今までと変わらない断崖絶壁が北東方向にどこまでも続く海岸線だった。ここからはせいぜい数㌔先までしか見えていないが、見える限りずっと断崖絶壁で上陸出来そうな場所はない。
「…………」
「…………」
二人でしばらく言葉を失い、思わずため息が出た。ようやく島にたどり着けたというのに上陸出来ないというこの徒労感。
「ガクさん…………これは、さすがにちょっとつらいっす」
美岬が口をへの字にして目からポロポロ涙をこぼす。俺も正直泣きたい。
「……ああ。ちょっとこれはキツいな。……とりあえず、風裏には入れたから、風と雨と波の影響が少なそうなところでちょっと休憩しないか?」
「……ぐすん。ふぁい」
そのままちょっと進んで、小さな入り江のような場所を見つけたのでその中に入った。入り江といっても崖が『く』の字状にちょっと陸側にへこんでる程度だが、入り江の周りに岩礁が立ち並び消波ブロックのような役割をしているようで入り江の中は波も穏やかだった。
侵食によってややオーバーハングしている崖だが、満潮時に水に浸かる下部は特に波による侵食が顕著で、今がちょうど干潮と重なっていることもあり、俺たちは崖の下にできた隙間に筏ごと潜り込むことができた。
この場所が待避場所として使えるのは干潮時だけだろうが、それでも軒下のような場所で雨宿りができるのは嬉しい。手頃な岩に錨綱を結んで筏が流されないように固定する。
この崖下の隙間は干潮時の今は海面と天井の間が2㍍ほどあり、奥行きもかなりありそうだ。満潮時は天井まで水位が上がるだろうが、今がちょうど干潮のピークぐらいだからあと数時間はここにいられるだろう。ここでしばらく休憩して英気を養ってからまた崖沿いを北上して上陸出来そうな場所を探さないとな。
「さて、ちょっと休憩するか。潮が満ちてくるまで、あと数時間はここにいられるはずだ」
「……あ、じゃあトイレしてくるっす。嵐の海じゃおちおち出来なかったんで」
「おう。あ、断熱シート使うか?」
「や、このガクさんから借りてるポンチョが大きいから問題ないっす」
「おっけ。じゃあ俺はその間に食べるものを準備しておこう。昨日の昼以降なにも食ってないからな」
「あー、そういえばお腹すいたっすね」
美岬が用を足しに行っている間に食事の用意を始める。ここは幸いにして雨と風の影響はあまりないから火が使える。
コッヘルに雨水を入れて海水で塩味を調節し、シングルバーナーで沸かし始め、ヨコワのジャーキーを手で千切りながらその中に入れていく。ジャーキーは旨味成分が多いからきっと良い出汁が出るはずだ。
「これはスープっすか?」
「ヨコワのすまし汁ってとこかな。俺もトイレ済ましてくるから鍋見ててもらっていいか?」
「了解っす」
用を足して戻ってきて、続きに取り掛かる。グツグツと煮立った煮汁を味見してみれば良い感じにジャーキーもふやけて柔らかくなり、煮汁の方も良い出汁が出て旨くなっている。これに仕上げとして風味付けの醤油を垂らせば完成だ。
「まあこんなところだろう。これと高カロリー携行食を半分ずつってところだな」
「温かい汁物が食べれるのは嬉しいっす。寒くはないっすけどずっと濡れっぱなしだったっすからねー」
ようやく美岬の顔に笑顔が戻ってくる。さっきまでかなりションボリしてたからな。
小さめのコッヘル2つに汁を注ぎ分け、携行食1本を2つに割って1つずつ取る。
「さて、何はともあれ腹ごしらえだ」
「いただきます」
【作者コメント】
作者の文章力では脳内のイメージをちゃんと伝えられているのか不安なので、イメージに近い実際の地名を例として挙げたりしています。よかったらググって見てください。
この島のイメージはベネズエラのギアナ高地のテーブルマウンテン(アウヤンテプイ)です。そして高さ100㍍の崖のイメージとしてはイギリスのドーバー海峡沿岸にあるドーバーのホワイト・クリフが分かりやすいかなと思います。
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