第26話 4日目⑥おっさんは火山の火口に迷いこむ

「正面に暗礁! ブレーキっす!」


「おう!」


「右の進路はヤバそうなんで左に進路を取るっす!」


「任せた!」


 正面の暗礁に釣竿を突いた美岬が筏の慣性力を上手く利用して進路をずらし、筏の右側を暗礁が通りすぎていく。


「次、左前方の岩礁。海中の暗礁が筏前方まで伸びてるっすから今度は右に進路を取るっす! ブレーキ今っす!」


「おう!」


 美岬の合図に合わせてシーアンカーを引いてブレーキをかける。


「すいません! ちょっと舵取り甘かったっす! 左側ちょっと擦るかもっす!」


「当たるぞ! 衝撃に備えろ!」


──ガツン! ガリッ! ガリッ!


「ちょっと外枠の竹を擦っただけだ。問題なしっ!」


「前方しばらく暗礁なしっす」


「おう。ブレーキ弛めるぞ」


 シーアンカーのロープをするするっと繰り出していく。進行方向に目を向ければ、海底火山の最頂部である沖磯がかなり近づいている。

 一番大きな岩礁が幅30㍍ぐらいで水から出ている部分は高さ20㍍ぐらいありそうだ。それから3㍍ぐらい離れた場所に幅20㍍ぐらいで高さ8㍍ぐらいの少し小さな岩礁が並んで立ち、三重県の伊勢にある夫婦岩を彷彿させる。特に目立つのはその二つの岩礁で、それ以外にも小さな岩礁は無数にあって俺たちの行く手を阻んでいる。あの辺りは特に水深も浅く、浅いとそれだけ波が大きくなるので、岩に打ち付ける波もかなり激しい。


「……なんか、近づいてみるとまるで壁というか柵みたいな感じで岩礁が横並びにずっと続いてるっすね。通れそうな場所がほとんど無いっすよ」


「そうだな。元々はそれこそ城壁みたいな横長の岩礁だったのが長年の侵食で今みたいな感じになってるみたいだな」


 見た感じ、例の夫婦岩の間ぐらいしかこの筏が通り抜けられそうな隙間はない。そして、筏を乗せた潮の流れそのものも二つの岩礁の間に向かって流れている。まるで城壁とそこにある門のようだ。


「あの夫婦岩みたいな岩礁が大きすぎて、その向こうが完全に死角になっててここからじゃ見えから、この先がどうなってるかがわからないのが怖いっすけど、あそこを通る以外に選択肢無いっすもんね?」


「そうだよな。出たとこ勝負になるが、気をつけて行くしかないな。ここは俺も舵取りに参加した方がよさそうだな。俺が後ろで筏が旋回しないように調整するから、美岬は進行方向の障害物を避けることに集中してくれ」


「了解っす」


 俺はシーアンカーを握る手を離し、両手に革手袋を着けて筏の一番狭くなっている船首に陣取る。今は船尾を前にして進んでいるからこちらが後ろになる。

 前で美岬が舵取りをして、筏が勢い余って旋回して岩にぶつかりそうになったら、この手袋を着けた手で岩を押して軌道修正するつもりだ。ここなら左右どちらにも対応できる。



「そろそろ突入っすよ!」


「おう。深さはどうだ?」


「十分っすね。ここは普段から水の通り道になってるんすね。海流で自然に浚渫しゅんせつされてるみたいっすから漁船でも通れるぐらい水深あるっす。邪魔な暗礁も無さそうっすよ」


「分かった。じゃあ気を付けるのは左右の岩壁だけだな」


「よーそろー」


 風と海流に推されて筏は岩礁と岩礁の間の幅3㍍ほどの水道に入っていく。この場所は流れが速く、ウォータースライダーのようなスリルがある。この勢いで岩礁にぶつかったら下手したら筏はバラバラになるだろう。命懸けのウォータースライダーに俺も美岬も一言も発さずにただただ筏の操作に集中する。

 筏の下も同じ方向に水が流れているのでここではシーアンカーがまったく役に立たず、ともすれば回転しそうになる筏を美岬が左右の岩を棒で突くことで、その都度 修正しながら流されていく。美岬が左右の岩礁を突き、勢い余って筏が回りそうになったら俺が岩を手で押して岩に当たらないようにする。筏の全長が3㍍ぐらいあるので横向きになって岩と岩に挟まりでもしたら詰みだ。


「岩の間を抜けるっすよ!」


「前方への注意を怠るなよ!」


「いえっさー!」


 狭い岩の間の水道を抜け、広い場所に出る。水道から抜けた瞬間、水の流れが緩やかになり、筏の速度もゆっくりになったので周囲を見回す余裕ができた。

 そこは、直径200㍍はありそうな、岩礁がドーナッツ状の大きな輪になっている環礁の内側だった。


「え? なんでこんな地形になってるんすかね?」


「うーん、これは……たぶんカルデラだ。ここはずっと昔は火山島だったんだろう。火山の噴火で地下が空洞化したところで地面が陥没してクレーター状になったところに海水が流れ込んで海に沈んだって感じじゃないかな」


「あー、なるほど。ここは昔の火口だったんすね。あたしの実家の島にも小さなカルデラがあるっすけど、ここはカルデラがでかすぎて島のほとんどが沈んじゃって、壁みたいにここを囲んでる岩礁帯が陸地の名残……カルデラの外縁山ってわけっすね」


「そういうことだろうな……おぉっ!?」


「うぇ!? な、なんすか!? 座礁するような暗礁なんて無かったっすよ!?」


 呑気に話しているといきなり筏に急制動がかかり、二人揃ってつんのめりそうになる。座礁したわけではない。慌てて調べてみればシーアンカーが流れが緩やかになったので沈んでしまい、海中の暗礁に根掛かりしてしまったらしいということが判明する。


「あっちゃあ。根掛かりっすか。どうするっすか?」


「うーん、そうだなー」


 改めて周囲を見回せば、幸いにしてこの辺りには座礁しそうな浅い暗礁はないし、カルデラ内はうねりが入ってこないので外海よりはだいぶ波も緩やかだし、巨大な夫婦岩の風裏になるので風もあまり強くない。これはむしろ台風からの待避場所としてはかなり理想的じゃないか?


「……なんか、このままここで台風をやり過ごすのがいいような気がするんだがどう思う?」


「……あたしも今それに思い至ったっす。ここって割りと理想的な停泊地っすよね。むしろここから流されないように根掛かりを強化したいぐらいっす」


「根掛かりの強化はまた考えるとして、とりあえず一段落ということでちょっと一休みするか?」


「賛成っす。ふわぁー、ずっと神経尖らしてたから疲れたっす」


 美岬がエアーマットレスにこてんとひっくり返る。俺も仰向けに寝転がるとすぐそばに美岬の顔がある。足はそれぞれ船首と船尾に向いていて顔だけがそばにある状態だ。


「……舵取りお疲れ。おかげで無事に安全地帯にたどり着けた」


「ガクさんのブレーキ操作が絶妙だったからあたしも舵取りしやすかったっす。シーアンカーでのブレーキ操作、むっちゃしんどかったんじゃないすか?」


「まあそれなりにな」


「あ、痛そう」


 右手を目の前に掲げて見れば、ずっとロープを握りっぱなしだった手のひらには赤くまめができている。道理でヒリヒリするはずだ。

 その手のひらの向こうに見上げる空は相変わらず分厚い雲に覆われているが、幸いにして今は雨は降っていない。だが上空の風が強いようで流れは速い。


「……台風本番はこれからだからな。今夜はおそらくまともには寝られないだろうから、今のうちにもし寝れるなら寝て体力温存しておいた方がいいぞ」


「そっすよねー。今は割りと穏やかなこの環礁内も台風が近づいてきたらかなり荒れるっすよね」


 そのままなんとなく会話も途切れ、俺も目を閉じて体力温存に努めているうちにいつの間にか意識を失っていたのだった。





【作者コメント】


 熱帯や亜熱帯の海には環状に発達した珊瑚礁である環礁ラグーンが多く見られますが、日本の緯度は高いので火山活動によるカルデラ地形としました。

 ちなみに美岬の故郷の島のイメージは伊豆諸島の青ヶ島で、二人がたどり着いた岩礁帯やカルデラ式海底火山も同じ伊豆諸島にあるベヨネース列岩や孀婦岩そうふいわをイメージしていますが、実際にこういう場所があるわけではありません。それでも、孀婦岩はそこに実在するカルデラ式海底火山の外縁山の一部ではあるので、二人がたどり着いたカルデラ環礁という地形は可能性としては十分にありえました。

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