第13話 3日目②おっさんはJKを泣かせる
開いた日傘の下で背中合わせに座って海上を見張る。優先度が高いのは捜索の飛行機や船、島や岩礁、雨雲や島に掛かった動かない雲、役に立ちそうな漂流物だが……該当するものが何も見えない。
「今日は目につく範囲には何も見えないっすねー」
「そうだなー」
「……そういえば、あのヨコワを全部魚肉ハンバーグかジャーキーに統一しなかったのは意味あるんすか?」
「もちろん。まず、消化器系の内臓肉は衛生的な観点からして火を通すのは必須だ。それでまんべんなく火を通せて保存性も上がるボイル調理のレトルトハンバーグにしたわけだが、燃料に限りがある以上、ハンバーグを作るために沸かしたお湯をそれだけにしか使わないのはもったいない。だから残りの身の一部もついでにレトルト加工してツナにした。ここまではいいか?」
「はい。ここまではオッケーっす」
「かといって全部レトルト加工するのは今度は栄養面で問題が出る。特に漂流生活で供給が難しいビタミンCなんかの水溶性ビタミンは熱で破壊されやすいからな。それで天日干しのジャーキーだ。自然乾燥程度の熱では水溶性ビタミンは破壊されないし、水分を飛ばして保存性も上がるし、完成品は火を通さずにそのまま食えるから熱に弱い栄養素も無駄なく摂取できる」
「おぉ、なるほどっす。やっぱりおにーさんはパネェっす。調理師ってみんなそこまで考えて料理するんすか?」
「……いや、そんなことは無いと思うぞ。調理師の仕事はいかに美味くするかだ。そういうのはどっちかといえば栄養士の領分だな」
「おろ? じゃあおにーさんはなんでそこまで考えてるんすか?」
「…………俺には妹がいてな、子供の頃から難病で体が弱くて食べれるものが少なかったんだ。だから何とか食べれるもので出来るだけ美味しく、そして栄養面でバランスがいいものを、と考えてやってきた結果だな」
「めっちゃいいお兄ちゃんじゃないっすか。おにーさんの面倒見の良さはそうやって培われたんすねー。それならなおのこと妹さんの為にも無事に生還しなきゃっすね。今頃すっごく心配してるっすよ」
……嗚呼。そのうち話すことにはなると思っていたが、とうとうこの話題になってしまったか。
なるべく平静を装いつつ、何事もないように答える。
「……うちの妹、もう死んでるんだよ」
「…………え?」
振り向いた美岬の視線から目を逸らして水平線を見ながら独白する。
「この春のことだ。
最初に船で出会った時に店の方は事情で休業してるって言ったけど、その事情ってのがこれなわけだな。……っておい、美岬ちゃん!?」
「……ううぅ……ふぐっふぐっ……ふえぇぇん」
振り返ると美岬が涙をボロボロ溢して泣いていた。
「……えーと、参ったなぁ。まさか泣かれるとは思わんかった」
「……えぐっ……だってぇ……妹さんの気持ちとか、おにーさんの気持ちとか想像しちゃったら……悲しくて泣けてきちゃったんすよぉ」
「そうか」
俺と妹に感情移入して泣いてくれた美岬に心が暖かくなるのを感じ、俺は座ったまま体の向きを変え、なおも泣き続ける美岬の頭に手を置いてくしゃくしゃっと撫でた。
「俺と妹のために泣いてくれてありがとな」
「……ふえぇぇん……か、悲しいのはおにーさんなのに……すいませんっす。も、もうちょっとで落ち着くっすから……」
「気にするな。美岬ちゃんのその優しさが俺は嬉しかったぞ。……それに、妹が俺と美岬ちゃんを引き合わせてくれたんじゃないかって気もするしな。……今度こそきっちり助けろよって」
「ど……どういうことっすか?」
「俺の妹の名前もミサキなんだ。だから船で名前を聞いた時に正直 動揺したし、だからこそ同じ名前の美岬ちゃんを放っておけなかったってのもあるし、それで一緒にいたからこそ今ここにいるわけだしな」
美岬がポカンと呆ける。そして次第に顔が青ざめてくる。
「……マジっすか。じゃあもしあたしがミサキじゃなかったらどうしたんすか?」
「さぁな? あの時は俺が“シェルパ谷川”だって美岬ちゃんに気付かれて、そのあと美岬ちゃんの名前ネタで話が広がったから、あれがなかったらそのまま話が途切れて自然に甲板で別れてた可能性もあったよな。もちろん別の話題で盛り上がって一緒にいたかもしれんけど」
「……あたし、生理で体調が悪くなかったらあんなに船酔いしてなかったと思うんすけど、あたしが普通の状態だったら声かけてくれたっすか?」
「それはまずないだろうな。そもそも俺はなるべく他人とは関わりたくなかったし」
「……ってか妹さんがもし今も健在だったら、おにーさんは最初から旅に出てないで今もジビエレストランをやっててあの船に乗ってないっすよね?」
「まあそうなるよな」
「怖っわぁ! ……あたしが今生きてるのってかなりの綱渡りの結果じゃないっすかぁ! 自分でも気づかずに生きるか死ぬかのターニングポイントを危機一髪で通過済みとか、今めっちゃ背筋がぞわっとしたっすよ」
美岬が両手で自分の体を抱いてぶるぶるっと震える。
「俺としては名前の偶然の一致ってだけでもすごいと思ったが、なかなかギリギリのタイミングで噛み合ってたんだな」
「あたし、今まで悩みの種でしかなかったミサキって名前と生理に生まれて初めて感謝してるっす。ミサキでよかったっす。生理でよかったっす」
「ははは」
「いや、笑い事じゃないっすよ。自慢じゃないっすけど、あたし、おにーさんがいなかったら船から落ちたあの時に溺れ死んでた自信あるっすから」
「生き延びれて良かったなぁ。結果的にこうして最初の危機を脱したんだから、何がなんでも生き延びてやろうな」
「うっす。あたしに出来ることはなんでもするんで頼りにしてるっすよ」
「おう。俺もミサキをまた看取るのはゴメンだ。俺より先に死ぬのだけは許さんからな」
冗談めかして言ったが俺の本心だ。
「おうふ。サバイバルマスターのおにーさんより先に死ねないって生還一択しかないじゃないっすか。でも望むところっす。おにーさんのサバイバル技術を徹底的に叩き込んでほしいっす」
「言うじゃないか。だが任せておけ。美岬ちゃんが最悪一人になっても生き残れるように鍛えてやるからな」
俺がにやりと笑って拳を突き出すと、美岬もにっと笑って拳を合わせてきた。
「へへっ。今後もよろしくお世話になるっす」
「…………おう」
ありがとう、という言葉を思わず口にしそうになったが、それは違うなと思い直してただ同意するだけにとどめる。
生きる気力を失っていた俺にとってこの子の存在がどれほど支えになっているかは今さら言うまでもない。この子が一緒でなければ俺はまだ半分死んだような無気力状態から脱せていなかっただろうし、今のように笑うこともできなかっただろう。美岬には本当に感謝している。
だがそれは俺の内面の問題だからそれを口にしたところで彼女を困惑させて不安にさせるだけだろう。今、俺が彼女への感謝を表せる方法は、頼れる大人を演じて彼女を安心させてやることであって、俺の弱さを見せて不安にさせることじゃない。
そこのところは間違えないようにしなきゃな。
【作者コメント】
昔の船乗りたちの死因の多くを占めていたビタミンC不足が原因の壊血病は偏った食生活だと現代でも普通にかかる病気です。といってもビタミンCを取りさえすればすぐに治りますけどね。原因不明の怠さを慢性的に感じているなら、意識的にビタミンCを摂ってみてはいかがでしょうか?
ただ、ビタミンCは体内で生成されず、余剰分はすぐに尿で排出されてしまうので少量ずつでも毎日摂ることが大事です。緑茶を毎日飲む習慣はいいですよ。
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