17話 君と友達になりたくて2

「一応、当人の意志も聞いておくか。彦太郎、お前はどうする」

「……おおせのままに」


 後ろで、彦太は静かに、深々と畳へ頭をつける。首を差し出すように。


 父は「そうか」とだけ答えると、刀を戻して座りなおす。

 私はそれでも馬鹿みたいに、意味のない手を広げ続けていた。


「畳が汚れる。冗談だ。彦太郎、お前は書状の通りそこの伝五郎と今夜のうちに城を出るように。小蝶、別れを済ませておきなさい」

「い……いやです。だって、行ったら殺されちゃうんでしょう?」

「そうだな。まあ、そこの男が光安を裏切って道すがら別のところへでも逃がせば、生き延びられるかもしれんが。他家に縁もなにもない子供が、どこまで逃げられるかといったところだな。もっとも、これはそこの男が、自分の母と妻を犠牲にせねばならん話だがな」


 そんなの、無理だ。

 彦太は、そんなこと望まない。

 この子は誰かの幸せを壊すくらいなら、自分が犠牲になるタイプの子だ。付き合いは短くても、それくらいわかる。


「小蝶、何度も言うが、無意味にここに置いておくことはできぬ。儂はな、無駄なものは一切排除して、ここまで登り詰めた。人質の意味もない、嫡男こどもたちともめごとを起こす、姫には怪我を負わせる。そんな価値のない子供を、家臣や子供たちを危険に晒してまで庇う意味があると思うか?」


 困惑する私と、逆に落ち着いた様子の彦太をチラと見て、父は淡々と続ける。


「まだ不満があるのなら、小蝶、」


 お前が決めなさい。


 そう言い放った父が向けるのは、小蝶に向けるには初めての、固い表情、冷たい声。


 まだ子供の私たちは、護られるべきものだと思っていた。

 父は私に甘いし、謝ったらゆるしてもらえて、彦太は生家に戻ったら両親はいなくても、大事にしてくれる親戚がいて家臣がいて、安全に暮らせるのだと思った。

 彦太がこんな、危険な状況にいる子供だなんて知らなかった。


 いや、たぶん私が、筋トレにかまけて考えなかっただけ。ここは戦国時代なのに。



 ここにいたら、いずれ返せと言われて返せば殺される。ここを離れたら、その場で殺される。

 

 どうしたらいいの。

 護るって言ったのに。誓ったのに。

 庇うためにあげた腕を、そろそろと畳につけた。こんな腕じゃ、誰も護れなかったんだ。


 後ろで黙ったままの彦太の顔を見た瞬間、私は思いきり、腕だけでなく全身でその小さな体を抱きしめていた。


「ありがとう、小蝶」


 最後の別れと言わんばかりの優しい声で、彦太が囁く。

 父にまでは届かない声量にして、ちゃんと、敬語ではなく、私の友達の彦太の言葉にしてくれた。


 私への気遣いなんていらないのに、どこまでも優しい子だ。

 細い背中に両手をまわして引き寄せる。

 離したくない。この両手を離したら、この子とはもう会えなくなる。


「利政様は、噂とは違うお優しい方だ。どう考えても厄介者の僕を、血の繋がりだけでここに置いてくれた。これ以上お父上を困らせちゃだめだ」


 抱きしめるというよりは、縋り付いているだけだ。

 私の小さい手では、短い腕では、この子の小さな背さえ、守ってあげることができない。悔しい。


「父と母に生かされたこの命に、意味があるのかって、ずっと考えてた。どうして母上は、僕を一緒に連れて行ってくれなかったんだろうって」


 私と同じ、よりも小さい彦太の肩が、少しだけ動く。

 見上げているのだろうか。何を見ているのだろう。今、この子の瞳は、どんな色をしてるの。


「でも、君と友達でいられた時間は、否定したくなるくらい、楽しかった。父も母も、皆、苦しんで死んだのに。こんな風に楽しんじゃだめだって、笑っちゃだめだって思ってた」


 思い出すのは、初めてこの子が笑った時の、ぎこちない笑顔。

 昨日見せてくれた強い怒りの感情。

 涙。


「ひどいことを言ってごめん。君が、友達だって言ってくれて、本当は嬉しかった。一緒に強くなろうって言ってくれて。君が、僕に共に生きてもいいって、意味をくれた。きっとこの時間ときは、最後に友達と遊べるように、君に出会えるように、父と母が与えてくれたんだ」


 同い年とは思えない、落ち着いた、けれどまだ幼さの残る声で、彦太は続ける。


「ありがとう、僕と一緒にいてくれて。友達になってくれて」


 一度だけ背中に、返された手の感触。

 優しく押された手に促されて、私は縋り付いていた力を緩めた。


 恥ずかしくもはしたなくも、人前だというのに、彦太は我慢しているというのに、目からぼたぼた落ちていた涙を拭う。

 袖で拭いてしまったから、きっとまた先生に怒られるだろう。


 父は私に決めろと言った。

 父は、城の外でも有名になるほどの合理主義者だ。意味のないことを、娘にさせるとは思えない。


 ちゃんと考えろ、なんとかできるはずだ。

 私はマムシの娘なんだ。戦国武将の娘だ。


 本能寺の変を回避するんじゃなかったのか。

 こんなところで、ちいさな友達ひとり護れないんじゃ、そんな大それたことできるはずない!


 静寂に、ずずっ、と鼻を啜る間抜けな音が響いた。


「……彦太郎、私に、あなたの命を預けてくれる?」

「?はい。小蝶様」


 父の言った言葉の意味を、間違えないように何度も頭の中で咀嚼する。

 前世にいた頃とは違うのだ。

 むしろ前世の知識があったことで、戦国時代ということを忘れかけて、私は世情について学んだり知識を吸収することをおろそかにしていた。

 今は前世の、何もしなくても平和に暮らせた時代の記憶なんて、邪魔をするだけでなんの役にも立たない。


 こっちの常識で、きちんと考えて行動しなければ。

 父の正面へ向き、まっすぐに見上げる。


 大丈夫だ、私ならできる。

 だって私は、マムシの娘で、織田信長の許婚いいなずけで、さらにすごいことに前世の記憶持ちなんだから。

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