15話 重めの一撃を食らいまして3
「彦太、私ね、お稽古のあと素振りと腹筋と腕立て伏せ100回やってるの」
「………え?」
突然の話題に、少年はきょとんと大きな目をさらに丸くした。目じりに涙が溜まっているように見えたけど、続ける。
「素振りは100回なんだけど、腕立てと腹筋は50回ずつで100。半分くらいで辛くなるんだけどね。残りは根性でなんとかなるわ。成長したらもう少し回数を増やしてこうかなって思ってるんだけど、今はこれが限界で」
「な、なんでそんなことを……」
「なんでって……言ったでしょ?強くなって、彦太をまもりたいからよ」
彦太だけじゃない。
鈴加も、父上も、全員とは言わないけど、せめて、私に良くしてくれた人を守れるだけの力をつけたい。
そのために、できることからやった。
「本能寺の変までにできるかぎり基礎体力をつけて、できるだけ強くなっておかないと。魔法もチートもスキルガチャもないんだもの、やれることからはじめないとね」
「???」
「私にも、もって生まれた才能なんてないよ。そりゃ、前世よりは多少運動神経よく産んでもらえたなーとは思うんだけど。でも私は、才能なんかに頼らず、友達をまもれる自分になりたい。彦太が望んでなくても、誰も望んでなくても、私は強くなりたい。私が、あなたを護るから、」
「だから、もう、ひとりで死のうとしないで」
ずっと不思議に思っていた。どうしてあんな、あえて死に急ぐような場所で暮らしているんだろうって。会った時からずっと、光のない目をしているんだろうって。
さっきのでようやくわかった。
彼は、死にたいんだ。
子供だからそこまで明確に死を意識していたわけじゃないだろうけど、お父上を馬鹿にされて怒ったのを見て気づいた。
あれは、はじめて見せた彼の感情。
ここへ来てから、師匠に怒られても、父上に褒められても、私と笑ってる時でさえ動かなかった、彼の心。
お父さんのことが、大好きだったんだね。
彦太の大きな目が、ようやく、きちんと私を見てくれた。
けれど瞳の中に私の姿がうつったのは一瞬で、長い前髪が風で揺れて、その綺麗な顔が歪んでいく。館は山麓に作られているから、この季節、夕刻になると風が強く吹くのだ。
「小蝶……っ、だって、だって、僕には何もないんだ。綺麗な部屋で暮らす価値なんてない。あたたかいごはんを食べる価値も。父上も、母上もいない。小蝶みたいな強さも才も、そう思って、だけど」
ぶんぶん、と頭を大きく左右に振るから、涙が粒になって散っていく。
痛いほどに握りしめていた手を、私も冷えた指でその上から握った。
ふたりとも、お世辞にもあったかいなんて思えない。
触れた指は少しだけ、出会った時よりも指の皮が固くなっていた。
彼は頭が良くて、優しい子だ。
住むところや食べるものもない貧しい民がいるのに、城主の家族でもない自分があたたかい場所にいるべきではないって思って、部屋を出た。
寒さで死ぬかもしれないとわかってたけど、両親のところに行けるならそれでもいいと思った。
剣の才があるように見えた私に嫉妬したけど、私は嫉妬に値するような才能の持ち主じゃなかった。
だけど、理解しても、それを肯定してしまったら、自分の中になんの価値もないって、認めることになってしまう。
自分の価値を否定するのは、辛いよね。
わかるよ。
前世ではそうだった。
努力したって、認められないこと、たくさんあるよね。大好きな人に認めてもらえないと、死ぬほど辛いよね。
「彦太、筋肉をつけましょう」
「へ?」
また突拍子がなさすぎたかもしれない。彦太は涙のたくさん溜まった目で、こちらを見て首を傾げた。
「筋肉は裏切らないし、ネガティブになってもすべて解決するって、前に読んだ本に書いてあったの。だからね、一緒に筋トレしましょう。私が教えるから」
「き、きんとれって、なに?」
「筋力トレー……体を鍛えるってこと。積み重ねが大事だから、毎日やっていきましょうね。成長期に無茶な筋トレは毒だから、無理のないかんじで。そしたら、兄上なんか目じゃないくらいすぐ強くなれるわ。あとポジティブになれるわ、たぶん」
個人差あるとは思うけどね、と続けると、彦太は泣きながら、「なにそれ」と言って少しだけ笑った。
力ない笑顔だけど、今はこれでいい。
「彦太郎」
太陽が沈んでいく。先がわからないのって、少し、とっても、怖い。
それでもこの小さな手を離さないと、決めた。
「一緒に強くなりましょう。きっと、友達とならもっと強くなれるわ。みんなにも、自分にも、認めてもらえるように」
握った手は、すこしだけ固く、そしてあたたかい。
「生きる価値があるって、思えるように」
私はこの子を、死なせない。
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