13話 重めの一撃を食らいまして1

 お花とお茶とお琴の授業を同日に受けるという滅茶苦茶なスケジュールの中、いつもは厳しい先生から「休憩にするから散歩でもしてきなさい」と部屋を追い出されてしまった。

 私があまりにも授業に身が入っていなかったか、あまりにもしょぼくれた顔をしていたか。もしくはそのどちらもだろう。


 昨夜は彦太のことが気になって、なかなか寝付けなかった。

 それならば追い出された後でも、夜のうちに様子を見に行けばよかったのに。なんなら、そのまま自分の部屋へ引っ張って泊まらせたってよかった。

 でも、できなかった。

 私が恵まれていて、そのことに気づいていなかったのは事実だ。彼の言うことはもっともだ。


 それはわかったのに、彦太が頑なにあそこに居続ける理由が、わからなかった。

 あんな、自分から死のうとしているような。自分をないがしろにするようなこと。


 わからないうちはきっと、私に、彼をあの暗い場所から引っ張り出すことはできない。


 前世の記憶がある今の私は、精神年齢と人生経験だけなら立派な大人だ。それなのにあんな小さな子どもに突き放されただけで、ここまでダメージを負うとは思わなかった。

 経験があると言っても、この身体は9歳児。メンタルも9歳程度なのだろう。……それ以下かも。


 ぐるぐる同じところを回ってしまう思考を止められない。もうそれならこの際、戻ってお花の授業に没頭してしまおうかと歩みを止めた時、音が聞こえた。


 すぐに音を追って走りだす。

 道場でも仕合場でもない、離れの方だ。

 誰かが洗濯用の物干しを落としたとか、お椀を落としたとか、そういった音じゃない。ほぼ毎日竹刀を握っていればわかる。


 あれは竹刀で、人を、殴る時の音だ。


 お花の授業の時は、なぜだか知らないけれどそれなりの衣装を着なければいけないらしく、着せられた裾の長い着物は走るのには向いていない。

 裾をめくりあげて足を突き出して廊下を走ると、後ろから女中の誰かの怒ったような叫びが聞こえた。


 声は届かなかったことにして、目指す場所へ一目散に走る。

 もともと、小蝶は脚は速いのだ。目的地までは、ものの数十秒。


 中庭で殴られていたのは、彦太だった。

 細い手足を地面で縮こまらせて、背中を丸めて竹刀を受けている。

 殴っていたのは、私の兄達。

 

 視覚した瞬間、私は迷うことなく大きく息を吸っていた。


「こらー!なにしてるの!」


 吸い込んだ息を高い声と一緒に吐き出すと、脇の木に止まっていたらしい鳥が、羽音を立てて飛び去った。

 もっとドスの聞いた声が出ればよかったんだけど、兄達は組んだ腕も振り下ろした竹刀もそのままに、堂々とその場に立っている。

 見つかって慌てるそぶりもないのは、悪いことだと微塵みじんも思ってないのだろう。


 彦太からは、昨日あきらかな拒絶をされてしまったわけだけど、こんな現場を見せられては、放っておくなんてできない。

 おせっかいだ。

 これが彦太にとってはよいことなのかも、わからない。

 だけど、子供が殴られているのを見過ごすなんて嫌だ。誰かが地面に伏すのを見たくない。誰かが傷つくのを、もう見たくない。


「兄上方!どうして彦太をいじめるのですか!」

「小蝶か。相変わらずのお転婆だな。斎藤家の姫らしく、母上のようにふるまえないものか」

「今は私のお行儀の話は関係ないでしょう!彦太を殴るのはなぜですか。理由もなく殴っていたのなら、私にも考えがありますよ」

「うるさいぞ小蝶。兄上はこいつに稽古をつけていただけだ」

「そんなよくあるいじめの言いワケ通用しますか!これは暴力です。犯罪です!」

「はん……?下の者に何をしようと勝手だろう。そもそも、こいつは人質でも客でもなんでもない、ただの居候だ」


 彦太と兄達の間に割って入る。彦太はまだ地面にうつむいたままで、表情は見えないが、年上のふたりに殴られて怖かっただろうに、泣いている様子はない。

 両親が亡くなったばかりで辛いことがたくさんあっても表に出さない、強い子だ。


「女子供に暴力をふるうなんて、斎藤家の嫡男として恥ずかしくないのですか!兄上はいじわるですが、もっと分別のある方だと思っていました。同じ家の人間として、恥ずかしいです」


 子供相手に正論で返すのは、前世の記憶持ちとして大人げないとは思うが、人を殴って楽しむような嗜好は大人として身内として、なんとか正さねば。

 以前の小蝶もこんな感じに弱いものをいじめを楽しんでいたので人のことは言えないけど、だからこそわかる。

 この嗜好を放っておくと、周りの人も本人も辛いだけ。


「うるさい!小蝶のくせに生意気を言いおって!弱い犬を殴って何が悪い!」

「い、犬!?なにを言って……」

「こいつの父は負け犬なんだ!戦場でもなく病で死ぬなど、武士として情けない、弱い負け犬だ。そのうえ自分の子供に家督もやれずに乗っ取られた!負け犬の血が流れてる、こいつも負け犬だ!」


 孫四郎が思い切り指さす。その瞬間、黙って聞いていたおとなしい子供の目が、まったく違う色に変わった。


 纏っていた空気が一瞬で凍り、弾けたように地面が蹴られる。氷が割れるような高い音が、辺りに響いた気がした。


 彦太は細い腕で落ちていた喜平次の竹刀を掴むと、大きく振りかぶって孫四郎に向かう。


「父上を悪く言うな!!」


 彦太を止めようと手を伸ばすけど、間に合わない。


「兄上!」

「きゃああ!孫四郎様!?」


 騒ぎに集まってきたのか、遠くで女性の悲鳴があがる。


 凶器とも言える強度に変わった竹が振り下ろされる。

 人の肉を通り越して骨に当たる鈍い音が、私の耳に大きく響いた。

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