11話 私はなにも知らなくて

「どうしのたの小蝶?こんなところで」


 夕暮れの中、アホヅラで立ち尽くす私と、私が戸口を塞いでいるせいで困っている彦太。

 その顔は、どうして私がいるのかと、本当にただ疑問に思っているようだった。


「ごめんなさい急に訪ねて。鈴加に聞いたら、彦太がここで暮らしてるって言うから……。彦太、本当にこんなところで暮らしてるの?」


 ここは、どう見てもただの土蔵だ。

 数日前から、彼は世話係の下男が止めるのも聞かず、もといた一室からここへ移った。

 鈴加が言うには、喜平次に「居候」などと揶揄され孫四郎に嫌味を言われたからだと言うことだ。


 あの兄上どもは、どんだけ性格悪いのよ!

 元の小蝶も人のこと言えないけど!


「うん。ここで寝泊まりさせてもらってる」

「こんなところで?布団も、なにもないのに?」

「そうだよ」


 太陽が沈みはじめているせいであたりは薄暗くなってきて、彼の幼い表情が読み取れないほどにかげる。普段から長めの前髪で隠しているけど、今日はそれ以上に。


 いつもと違う雰囲気を感じ取って、兄達への怒りで上がりかけていた体温が、みるみるうちに冷えていった。


「兄上達に、なんて言われたの?いじわるされたのなら、私から父上に言って……」

「ちがうよ。斎藤家の人は優しいから、僕を邪険にしたり意地悪をする人はいなかった。僕が望んで、ここに来たんだ」

「いやいや、私に気を使わなくていいのよ?嫌なことがあったんでしょう?でなきゃこんな、納屋みたいなところで……」


 はあ、と彼は小さくため息をついた。

 抱えていた水桶を戸の内に入れると、中身をこぼさぬ様にゆっくりと置く。

 当たり前の、いつものことと言わんばかりの所作に、私だけなのだ、と責められているよう。

 この場で異質なのは、私の方だと。


「城下の民に比べたら、ここなんてマシなほうだよ」


 はじめて聞いた、冷たさのある声に、瞬きをすることしかできない。

 少年はふるりと首を左右に振る。

 同い年とは思えない、落ちついた表情で、わがままな妹をさとすかのように続けた。


「お父上に言っても無駄だよ。甘やかしてくれる父君に言えばなんでも望んだ通りにしてもらえるって、思わない方がいい。僕ははじめに与えられた部屋から自分で出たんだ。そんな面倒な子供を、利政様がどうにかするために動くはずがないよ」

「それがわかってて、なんで……」

「ここの方がお似合いだから。僕は、ここでいい」


 なにを言ってるんだろう。9歳の子供が。ちょっと家出ってレベルじゃない。

 土蔵の中には、当たり前だが暖房器具はない。

 今の季節は我慢が出来ても、真冬になれば美濃は雪だって降る。むしろ、内地なので積雪は多い。

 小蝶の部屋には火鉢がある。ふかふかの布団もある。

 何もないこんなただの物置小屋で過ごしたら、一日で凍死だ。

 頭のいいこの子が、それらをわかっていないはずがない。


 夜になれば誰も通らないこの場所は、暗くて寒くて、怖いはずだ。

 子供がひとりでこんなところで暮らすなんて、自殺行為だ。


「だめよ……彦太、こんな何もないところじゃ死んじゃう……。そうだ、私の部屋に行きましょう?彦太くらいなら一緒に寝られるわ」


 正体のわからない焦燥や不安がぐるぐると渦巻いて、彼に、誰にも見られないように裾を握った。


「君と、同じところにはいられない」


 彦太は最後に、首を一回だけ横に振る。


「君にはわからないよ。僕や、下の人間の気持ちは」


 初めて見る表情だ。

 怒りだろうか、憐みだろうか、このくらい色の瞳は、私に何を伝えたいんだろう。

 わからない。


「恵まれているくせに、何も見ようとしない。綺麗な着物も、豪奢な飾りも、親から与えられた剣の才も、すべて周りの大人たちが、君を盛り立てるために与えただけのものだ」


 冷たい風に手指が冷えて、固まってしまったように動かない。

 伸ばせば届く距離にいるのに、どうしようもないくらい、彦太の声は遠くから聞こえた。


「小蝶様、お帰りください」



「あなたは、ここにいるべき人じゃない」

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