8話 彦太郎と剣術を習いはじめまして

 父上はその日のうちに指南役の先生へ話を通してくれたらしく、翌日からお稽古が始まった。


 ちゃんとした道場は兄や他の家臣のみなさんが使っているため、場所は離れにある中庭。

 先生と庭師の方が落ち葉や石を片付けて場所を作ってくれたらしい。

 明日からは、私も落ち葉の片付けを手伝おう。


 鈴加が用意してくれた袴を穿いて、髪を高い位置で邪魔にならないように結ってもらい、駆け足で修練場へ向かった。

 袴で走ったのなんて、前世も含めて生まれてはじめてだけど、なかなかに走りやすい。

 長い髪が背中をぱたぱたと打って揺れる。まるで背を押してもらっているみたいで、心地いい。


 先生はどんな方だろう。

 従兄弟の彦太郎はどんな子だろう。母方の親戚だそうだけど、兄上達みたいに意地悪な子じゃないといいな。




「おはようございます!今日からよろしくお願いします!!」

「うむ。小蝶姫様ですな。利政様より言いつかっております。姫様でも容赦はしませんから、覚悟なされよ」

「はい!」


 挨拶と第一印象は大事だ。


 中庭へ着くと、先生らしき初老のおじさんと小さな男の子が待ってくれていた。

 先生の名前は、竹治郎たけじろうさん。父がまだ武士として駆け出しだったころに剣を教えた方だと言うことだから、今60歳くらいかな?

 前世の日本だったら定年前だしまだまだ現役だろうけど、人生50年の戦国時代ではもうだいぶご隠居の身。私のために、無理して先生になってくれたのだろう。感謝しなければ。


 そして、その隣。同い年と聞いていたけど、私よりも小柄な、俯きがちの男の子。

 前髪が長くて表情が良く見えない。随分とおとなしそうな子だ。「彦太郎」って名前から、もっとやんちゃで活発そうな子を想像してた。

 前世の記憶にある元気いっぱいな小学生とも、兄上達ともずいぶんと違う。


「彦太郎、こちらが小蝶姫様だ」

「はじめまして、彦太郎。私のことは小蝶と呼んでね」

「はい、小蝶様……」


 よろしくね、と差し出した右手はスルーされ、彦太郎は地面を見つめたまま、さらに深々と頭を下げた。

 目を合わせない、というか、1ミリも私を見ようとしないんだけど……


 これってもしかして、怯えてる?

 記憶が戻る前に横暴パワハラマンだったこと、誰かから聞いているのかも。


 女中や家臣のみなさんはわりとマシになったけど、異母弟妹達は、いまだに怖がって私に近づいてこないし。私の顔は小さい子にとっては、いじめっ子って感じで怖いわよね。


「えっと、名前、彦太って呼んでもいいかしら?」

「はい。お好きに……」


 あ、この感じ。やっぱ怯えてる。

 友好度マイナスの時の鈴加と同じ、固い声。


 鈴加はあれから、多少なりとも笑顔を見せてくれるようにはなった。

 それでもまだ、私を全面的に信頼しているわけではないと思う。頭の良い人ほど、簡単に他人を信用しないものだ。

 きっとこの子も、頭のいい子なのだろう。


「ありがとう、じゃあ彦太ね。私のことも好きに呼んでね。敬語もなしで!私たち、兄弟弟子きょうだいでしになるんだもの。よければ友達になってくれると嬉しいわ」


 今度はしゃがんで目線を合わせるのを試みた。

 地面を見つめ影を作っていた顔は、私の顔が突然近くにきてびっくりしたのか一歩後ろに引いてしまったけれど、もう俯いてはいない。


 綺麗な子だ。美少年と形容できるほどの長い睫毛が、前髪の隙間からも見てとれる。

 肌は少し青白かったけれど、陽の光を浴びてみるみる朱が差してきた。

 黒目がちな瞳が、ぱちぱちと瞬いている。


 よかった。やっぱり小さい子と話す時はしゃがんだ方がいいのね。

 怖がらせないようにゆっくり右手を出すと、今度は握り返してくれた。


 あたたかい、まだ子供の手だ。

 緊張からか少しだけ汗ばんでいる。

 豆やタコが出来ていないので、剣術は完全初心者の私と同じレベルかも。競争相手ができるのは嬉しい限りだ。


「では二人とも、始めますぞ。まずは基本の構えを教えましょう」





 父上が直々に選んでくれた先生というだけあって、竹治郎師匠は教えるのがとても上手だった。

 刀(真剣じゃないけど)を握ったのは初めてだったわりに、お昼過ぎにはそこそこ形になってくれた。と思う。


「二人とも、初日にしてはよく頑張りましたな。今日できなかった分は、明日できるようになればいい。では」


 二人で口々に「ありがとうございました」と挨拶をして、今日のお稽古はここまで。

 ゆっくりとした足取りで帰っていく師匠を見送る。


 疲労感はあるが、それ以上に心の中にぽわぽわと、熱いお風呂につかったときのような充足感が生まれてる。

 私、剣術のお稽古なんてしちゃったんだ。

 前世では剣道も柔道も、テレビで見るくらいで未経験だったのに。


「疲れたけど、楽しかったわね。彦太も楽しかった?」

「あ、うん……」


 はじめは敬語が取れず一歩どころか五十歩は引いていた彦太も、何度も話しかけるうちにようやくタメ口で話してくれるようになった。


 貰った竹刀ちくとう(竹で出来た棒だった。前世の剣道で使ってたような竹刀しないって、ないんだって。)を風呂敷に巻いてしまいながら、彦太の顔を見てみる。

 教会の聖歌隊にいそうな美少年の顔には、泥汚れがついていた。


 彦太はよく言えばおとなしい、悪く言うと目が死んでる系の子で、この時代には珍しい、あんまり覇気がないタイプ。

 先生は柔和な見た目とは裏腹に指導は厳しくて、まだ基礎の基礎くらいのレベルなのに私も彦太も何回も転び、服は土と砂だらけだ。


 そこまで汚れていない方の袖で頬をぬぐってあげようとしたら、反射か、手が当たって払われた。


「!?なにを……」

「あ、ごめんね。びっくりした?」

「いや……ごめんなさい。なんでもない」

「ううん。いきなり触ろうとしてごめんね。土がついてたから」

「それなら、君もついてるよ」

「えっどこ?」


 剣のお稽古のことはお城の他のみんなも知ってるけど、顔まで泥んこの格好で帰ったら、さすがに怒られるかも!

 特に、新しくついたお作法の先生は「姫の自覚を持ちなさい」ってうるさいのよね。


 彦太に取ってもらおうと顔を差し出すと、おずおずと指が伸びて、額を軽く払ってくれた。

 まさかおでこだったとは。どんな転び方したんだ私。


「ありがとう、彦太」

「いや……」

「彦太も少し赤くなってるわね。ぶつけたの?」

「ああ、うん……えっと、夕日のせいだと思う」


 言われてみれば、さっきからお日様は真っ赤になって西の山へ沈むところだった。

 この屋敷は高い場所にあるからまだ陽が差しているけど、城下の方はもう暗くなっている時間だろう。

 こんなに時間を忘れて体を動かしたのは、前世でもあまり記憶にないことだ。


「彦太、剣術は好き?」

「え?特に、好きともなんとも……」

「そうよね。私もまだ、剣が好きか嫌いか、私にあってるかどうかはわからないけど、わかるまで頑張りたいなって思ったわ。いつか強くなって、あなたのこともまもれるようになる!」

「それはいいよ」

「ええ!?」


 かっこいいこと言ったつもりが、淡々と拒否された。ちょっとショック。


「僕は、男だし、小蝶にまもられるのは、ちょっと……」

「あはは、そっか。そうよね」


 なるほど。こんなに小さくても、男の子的なプライドがあるのか。そのへんは戦国時代の男子だなあ。なんだか微笑ましい。


 剣術が嫌いと即答しなかったのなら、きっと大丈夫だろう。

 彦太は素直で真面目な子だ。先生の言ったことを一生懸命に達成しようとする姿勢は、とてもきれいだった。


 一緒に強くなりたいし、強くなってまもってあげたい。

 彼は私の、このせかいでできたはじめての友達だ。


 風呂敷の端をきゅっと縛ると、武骨ながら竹刀袋のできあがり。ただの竹の棒でも、こうしてみると自分だけの大切な刀のように見えてくる。

 お守り代わりに、使わないときも部屋に飾っておこう。


「じゃあ私、部屋に戻るわね。あまり遅くなると、鈴加に怒られちゃう」


 袋を落とさないように抱えなおして彦太を見れば、彼は私よりも数倍は綺麗に刀を包み終わっていた。私が不器用に包むのを、待っていてくれたらしい。


「また明日ね、彦太!」


 大きく手を振ると、彦太は控えめに右手を振り返してくれた。

 全身で刀を抱くようにしている様はどこか儚げで、やっぱりまもってあげたくなる。



 そういえば、彦太はどこの部屋にいるのだろう。私と反対方向に歩いていくってことは、母屋おもや

 預かってるって聞いてたけどご両親は一緒にいないのかしら。


 明日聞いてみよう。

 もう少し、もっと、仲よくなりたい。

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