死に物売り

沖田一

1・爪屋

     ―貴方は、貴方だったら、最後に一体何を買うのだろう―


 


 足元を見れば、多様性のある褐色のレンガが敷き詰められている。小さめの車ならギリギリすれ違えるほどの道幅。そしてこの通りの全長は、僕には分からない。闇を照らす街灯は、僕の視力を超えて遥か遠くまで続いている。


 この一見中世ヨーロッパの街並みを思わせる通りの両脇には、様々な建築様式の商店が建ち並んでいる。ある店は通りの雰囲気に則したレンガ造り。またある店は木材をこれでもかと生かした日本建築。またある店はオアシスとなじみそうな土壁の造り。


 僕、千夜ちよはこのなんとも見た目に楽しい商店街に来た(ちなみに断っておくと、僕の千夜ちよという名は苗字だ)。商店街とは言っても、道や店々の構えから受ける印象は「マルシェ」と言った方が正確かもしれない。


 僕がこの中世風マルシェに来たのは、一度や二度のことではない。今日で……いや、数を数えても虚しさが求まるだけだから、それはやめておこう。僕はこのマルシェにただ買い物に来たわけではない。商品の仕入れに来たのだ。


 僕は、ここではない別の場所(空間?)でお店を開いている。そのお店で売るための商品を、はるばるこのマルシェまで買い求めに来たというわけだ。まずはお得意先から。このマルシェの通りに入ってすぐ、一番手前の右側のお店に寄る。


 そのお店はイギリスのチューダー建築を思わせる外観をしている。色の濃い木材と白い外壁で作られた、一階建てのこじんまりとしたお店だ。数段の木の階段を上ると、小さなステンドグラスがあしらわれた扉があり、それを引き開けて店に入る。


 「あら、いらっしゃい千夜ちゃん。」


 「ああ、こんばんわ。ミドル・マダム。」


 ミドル・マダム。それがこの店の女店主の名だ。六畳ほどの売り場面積しかないこの小さな店に見合わない豊満な体付きをしていて、やんわりとカールのかかった金髪をいつも指先に巻き付けて遊んでいる。歳は五十前後くらいだろうか。体型のせいでそう感じるだけなのかもしれない。彼女の肌艶は五十歳というにはあまりに若いのだ。


 僕は「ちゃん」をつけて呼ばれるほど若くはないが、なぜかマダムにはそう呼ばれている。実際、「ミドル・マダム」という名も彼女の本当の名ではないから、そこはお互い様なのかもしれない。


 「ミドル・マダム」という名は、いつだったか、もう忘れてしまったが、いつしか僕は彼女のことをそう呼ぶようになっていた。女性の体形をストレートに愛称にするのは良くないと思ったとか、そういったことが理由だったような気がする。


 「で、今日は何を買っていくんだい?いい爪入ってるよ。特におすすめはその『赤ちゃんの深爪』さ。」


 ミドル・マダムが指さした先にある、ひとつの小瓶に目を向ける。


 「ほお、これは確かにいい品だね。保存状態も素晴らしい。」


 僕はその小瓶を手にとって、あらゆる角度から商品を眺めた。小瓶に詰められているのは、赤ちゃんの爪。とは言っても根本からはがした痛々しいものではなく、切った後の方の爪だ。それが透明な液体に漬けられている。


 「だろう。それ、なかなか入らないから、買っていった方がいいと思うよ。」


 「そうだね。これはいただこうかな。他に、何かオススメはあるかい?」


 マダムは、レジのあるカウンターから動かずに、視線だけを大小の瓶がところせましと並ぶ店内に泳がせる。僕もそのマダムの視線につられて、店内を見渡す。


 「ああ、その『悲しみの棚』の二段目にある、ちょっと青がかった瓶を取ってみなよ。」


 「これかい?これは……一体なんの爪だい?マダム。」


 マダムがオススメだと言った瓶には、鳥のくちばしを思わせる形の爪と、恐らく大人、それも男性のものであろう爪が一緒に入っていた。


 マダムは、一瞬、子供が大人を罠にはめた気になって喜ぶような表情をみせてから、こう答えた。


 「それはね、猫の爪とその飼い主の男の爪の詰め合わせさ。」


 「猫の?」


 マダムの予想外の答えに、僕はまた質問を返す。猫の爪なんて、この店はいつ取り扱いを始めたのだろう。


 「そう、猫の爪さ。猫の爪は薄い層になってるからね。その表面が取れると、そういった形なのさ。」


 「なるほどね……。で、これはやっぱり貴重なものなのかい?」


 「猫の爪自体はそこまで貴重ってわけじゃないけど、飼い主の爪とセットっていうのは珍しいかもねぇ。買っといて損はないよ。」


 「マダムがそう言うならこれもいただこうかな。じゃあこのふたつで、お会計よろしく。」


 僕は、赤ちゃんの爪の瓶と、猫と飼い主の爪の詰め合わせの瓶をカウンターにコトンと置く。


 「ふたつで二千八百円だよ。ちょっと負けて二千五百円でいいよ。」


 「いつも悪いね。マダム。ありがとう。」


 僕が財布からお金を取り出している間に、マダムは手際よく瓶を茶紙で巻き、紙袋に入れる。


 「はい、ちょうどいただくね。それじゃ、またどうぞ。」


 「ええ、こちらこそ。」


 僕はそう言って瓶の入った紙袋を受け取ると、踵を返して店から出た。マダムはいつも負けてくれるし、僕が扉のほうに振り返ったあとでも、まだ手を振ってくれている。気さくで、とてもいい人だ。


 マダムの家から出た僕は、次の店に向かう。次は……そうだな。波でも買おうか。

 


 

 

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