第3話
俺がここに来てから、1日が経った。
正直、かなり気分は最悪だ。マジで扱いは家畜並みだ。飯はドロドロの味のない粥のような何かが少し、もちろん風呂もシャワーもない。
一応、身体を清めるための水と布は用意されるが、トイレはなく部屋の隅でするしかない。糞尿の臭いで、鼻が曲がりそうだ。
こんな衛生状態と食事じゃまず一週間はもたないと、俺は確信した。バーゲン品として外に並べられた連中は、まだいい方なのかもしれない。
牢も一応観察した。床は土で、格子は鉄……ではなく青銅か何かでできているようだった。鋳造技術もないのだろうか。
観察は部屋の狭さもあってすぐに終わった。逃げる方法が、とりあえずはなさそうなことだけは間違いなさそうだった。
それが済むとやることがないから、ほぼ空腹に耐えながら横たわって過ごすしかない。眠ろうとしても、こんな固い床じゃ眠れるわけもない。
ケネスはというと、具合が悪いのか呻き声をしきりに上げていた。話して気を紛らわそうにも、これでは難しい。
もっとも、会話が聞かれようものなら魔法で殺されるだろうことも見当が付いた。あの時、俺とケネスはかなり危ない橋を渡っていたのかもしれない。
客は、一向に来なかった。そんなにニーズがあるわけでもないのか、大体はバーゲン品を買って済ませるのか……
時折、牢が開く音は聞こえた。一応、誰かが入ってきたか、あるいは出てはいるらしい。……生死のほどは定かじゃないが。
いよいよ、これはヤバい。
ケネスと目が合った。一応、周りに人はいなさそうだ。
「…大丈夫か」
「あまり……大丈夫じゃ、ないな。酷く、熱っぽい。感染症を、起こしたかもしれない」
俺は息を飲んだ。ケネスは今日で、ここに来て4日目のはずだ。この劣悪な環境で、感染症を起こさない方がおかしい。
そして、ここに助けは来ない。抗生物質も、もちろんない。そうなると、その帰結は……
「……クソっ」
吐き捨てる俺に、ケネスが笑いかけた。
「大丈夫、だ。私は簡単には死なない。……神(クライスト)は、私がどこにいても、見守って下さる」
「プロテスタント、か」
ケネスが満足そうに頷く。俺は、ヒューイット家が名門であるのを思い出した。穏健リベラルを代表する男として、ケネスは将来を嘱望された政治家だった。
予備選こそ左派のリンダ・ガーネットに敗れはしたが、彼が将来のアメリカを背負って立つ男であるのは、疑いなかった。
「私の心には、常に神がいる。福音派のような盲信ではない。全ての自由を、支えてくださる存在……それが神だ」
「……ならこの場からの自由を祈れよ」
小さく、ケネスは首を振った。
「私がこうしているのも、神によって与えられた、何かしらの意味がある」
「どういうことだ?」
「私は……ヒューイット家は、世界を善くするために存在している。それは、ステイツを善くすることだと思っていた。
ただ、現実は甘くなかった。自由を叫ぶ者は、別の不自由を相手に強制する。そして民は、それに気付かない……。リンダ・ガーネットを見て、それを痛感した」
そうだ。ガーネットはいわゆる左派ポピュリストだった。そして、ケネスは彼女に敗れた。
発足したばかりのガーネット政権がどうなるかは分からない。ただ、主流派エリートのケネスからしたら、耐え難いものだったのだろう。
俺はふと、この男がなぜここに来たのか疑問に思った。
「そういや、何であんたはここに?俺は酔っ払ってたら、急に穴みたいなものに落ちたんだが」
「私も似たような、ものだよ。酒を飲み、マンホールに落ちた。そうしたら、この有り様だ」
「深酒か」
「ご想像に……ゲフゲフッ……お任せ、する」
苦笑しながら、ケネスが咳き込んだ。……相当、具合が悪そうだ。
「すまん。……無理、させちまったな」
「構わない、よ。一つ、頼みがある……」
「何だ?」
その時、誰かが来る気配がした。お喋りの時間は、終わりのようだ。
「◆◆★!!」
商人の部下が、何か叫んでいる。……話しているのが、バレたのか?
「離してよ!!」
フランス語?とにかく、若い女の声がした。恐らく、俺たち同様に異世界から来たばかりのようだ。
「★★○▲……◇○◆!」
「何言ってるか分からないのよ!!きゃあっ!!?」
激しく何かがぶつかる音。そして、布が引き裂かれる音がした。……これは。
ケネスが、目を伏せた。奴も分かっている。……陵辱が、始まろうとしていた。
「やだっ!!?……むぐっ、こんな、のって……!!誰か、助けてよぉ!!!」
上から誰かかが階段を駆け降りる音がする。そして「ガアッ」と短い男の叫びがした。……これは。
「……○○★★!◆◆……」
「はあっ、はあっ……助かった、の……?」
「◆◆◆★……」
ガチャリ、と俺の隣の牢が開けられた。チラリと見えた女の顔は、相当な美人だ。
ブロンドで鼻は高く、しかも背も高い。年齢は俺よりやや若いくらい……このあどけなさからすれば、10代かもしれない。モデルと言われても通りそうな外見だ。
「きゃあっ」という声が、地下牢に響く。
なるほど、そういうことか。
男に比べ、女の価値はここでは大きい。それも、遥かに。
男は単純な労働力、ないしは鉄砲玉にしかならない。しかし女は、娼奴という使い道がある。
売られる前に傷物にされては、価値が落ちる。だから、手をつけようとした商人の部下は止められたのだ。あるいは、殺された。
「……命が、軽いな」
ケネスが、苦しそうに呟いた。
「誰なの?英語!!?」
俺は小さく「黙れ」と英語で言う。
「……ここの奴らに言葉は、多分通じない。抵抗したりすれば、あっさり殺されるぞ」
「え」
「生き延びたければ、黙ることだ。……ここは多分、奴隷商人の屋敷。解放されるためには、売られるか死ぬかだぜ」
「嘘……嘘よっ!!」
「黙れと言ってるだろうが。……ただ待つしかねえんだよ」
俺は正直苛立っていた。こいつの巻き添えになって殺されるのは、まっぴら御免だ。
「ちょっと待ってよ?ここどこなのよ!?パリにある円形劇場に、あたしはいたんじゃないの?」
「黙れ。もう話さねえ」
女の啜り泣く声が聞こえる。……その時、俺は気付いた。
ケネスが、気を失っている。
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