第236話 飲み物試作

※今回は三森拓真目線の話になります。


「ただいま……とうとう飲み物に手を出したか」


 帰って来るなり、笑いながら話し掛けてきた新川だが、顔にはだいぶ疲れの色が見える。


「さすが新川、分かってるじゃねぇか、カレーは……」

「飲み物だろ」


 満を持してという訳ではないが、ヤ―セルさんの結婚披露パーティーで串カツが採用されて以後、色々な食材が手に入りやすくなった。

 その中には各種のスパイスも含まれていて、そうなればカレーライスの再現に取り掛かるしかないと、多恵と相談して決めたのだ。


 本日はカレー試作の初日なのだが、それらしい匂いになりつつあるが、正直に言って味はまだまだだ。


「えっ、そうなの? 今でも十分良い香りがしてるぞ」

「まぁ、香りは刺激的だけど、スパイスを調合して試しているだけだから、味の深みとかは全然だ」


 俺と新川が話をしている間も、多恵は配合を変えたスパイスとスープを合わせて味を確かめている。

 小鉢にスープで溶いたスパイスを匙で掬い、香りを確かめた後で口に含んだが、納得がいかないようだ。


「あぁ、新川、おかえり」

「おぅ、ただいま。それ、ちょっと味見させてくれよ」

「いいけど、まだまだだよ」

「ちょっと待った、俺が先に味見する」


 多恵が新川に差し出した小鉢を横から掻っ攫い、味見をする振りをして匙を口に含む。

 うん、確かに今ひとつ間が抜けているような味だ。


「なんて言うか、パンチが無いな」

「でしょ? 新川も味見してみてよ」

「おぅ……」


 多恵は気付いていないようだが、新川は小鉢の中で匙を濯ぐようにルーをかき混ぜている。

 そう、例え間接であろうとも多恵とキスなんてさせる訳にはいかないから、俺が先にしゃぶっておいたのだ。


「そうだな、辛みも足りないし、なんつーか、安いレトルトのカレーって感じだな」

「あぁ、確かに……」


 こいつ、何を辛辣な感想を口にしてんだよ。

 多恵が少し凹んでるじゃねぇか。


「いやいや、まだ試作を始めたばかりだし、作り方とかも本格的じゃないから深みが足りないのは仕方ないだろう。ほら、飴色玉ねぎとか、フルーツのピューレとか、はちみつなんかの隠し味も入れてないし」

「まぁ、そうだね。もう少し配合を固めたら、一度本格的に作ってみようかな」

「それが良いんじゃね。カレーは米との相性とかもあるし」

「だね」


 うんうん、そうそう、やっぱ多恵は笑顔が可愛いよね。

 いやいや、アンニュイな表情も好きだし、エッチな顔ももちろん好きだぞ。


 てか、新川、その生暖かい目はやめろ。


「んで、なんで新川はそんなに疲れてんだ?」

「んあ? そんなに疲れてるように見えるか?」

「あぁ、目が半分死にかけてるぞ」


 話題を変えるために聞いてみたのだが、新川はガリガリと後頭部を掻いた後で、ボソっと話し始めた。


「ユーレフェルトが無くなりそうだ」

「はぁ? もうか?」

「あぁ、たぶん来年の春までには無くなるな」


 これには国同士の話とかには興味を示さない多恵も、目を見開いて驚いている。

 平和な日本で生まれ育った俺達にとっては、そもそも国が無くなるという事態が異例だ。


「そんなに簡単に国って無くなるものなのか? ユーレフェルトだって小さい国じゃないよな?」

「まぁな、ただ状況というか、国を動かしている人間に差があり過ぎる気がする」

「まぁ、王位継承争いのために自分の力を磨かず、俺らを召喚しちまうような国だからな」

「今年の初めの戦いで国の三分の一を失って、その後に残った国の南側三分の一以上を既にフルメリンタが手に入れたらしい」

「三分の二の、そのまた三分の二ってことは、六分の四か……」

「いやいや、三分の二の三分の二は、九分の四だからな」

「わ、分かってるって……ボケてみただけだよ」


 やべぇ、マジボケしちまったじゃねぇか。


「九分の四って、最初の半分以下じゃん」

「あぁ、今現在のユーレフェルトは、フルメリンタの四分の一程度の大きさしかないし、しかも残っている領土の中にも寝返りを決めてる連中がいるそうだぜ」

「あー……それじゃあ無くなるってのも無理は無いのか」

「例え、来年の春までに無くならないとしても、その先は無いな」


 新川が言うには、兵力は勿論だが、物流の面で先が無いのは明らかだそうだ。


「これまで、この辺りの貿易っていうのは東西の方向に流れていたそうだ。西はミュルデルスやマスタフォ、ユーレフェルトを通ってフルメリンタ、カルマダーレって感じだな」

「あぁ、例のセゴビア大橋を通る街道だな?」

「そうそう、そこが春先の戦争で止まった」


 セゴビア大橋が通れなくなったために、街道経由の東西貿易は完全に止まってしまい、海路経由が主流となってしまったそうだ。

 当然、ユーレフェルト国内を経由していく荷物の量は激減した。


「物が動けば人が動き、人が動けば金も動く。その全部が止まった訳だな」

「その通り。んで、そこに目を付けたオルネラス侯爵ってのが独立宣言して、一旦は物流が回復したものの……」

「今度は、そこも完全に止められた?」

「その通り。今は、マスタフォから旧オルネラス共和国を通るルートが出来つつあるらしい」

「ユーレフェルトには行かないのか? まだ人は暮らしてるんだろう?」

「確かに人は暮らしてるけど、どん詰まりの袋小路に行くのと、先が開けて東からの荷も入ってくる場所のどっちを選ぶかって話だ」

「そりゃ、東からの荷物も入って来る方を選ぶわな」

「西のミュルデルスやマスタフォも、あわよくば漁夫の利を得ようと考えてるみたいだし、秋の刈り入れが終わったらユーレフェルトも終わりかもな」


 フルメリンタが秋の収穫前に戦争を仕掛けないのは、食糧不足が起こる事を懸念しているかららしい。

 ユーレフェルトを滅ぼして自分の国にしても、国民が飢えて死んだら意味が無いと考えているようだ。


「難しい話はそのぐらいにして、そろそろ夕食にしない?」


 俺と新川が話し込んでいる間に、多恵が今夜の夕食を仕上げてくれていた。


「おぉ、カレーうどんか」

「カレーライスにするには今いちだけど、うどんの風味付けぐらいにはなると思ってね」

「おぉ、食おうぜ、食おうぜ」

「ちょっと待った、新川」

「何だよ、ここまで来てお預けとか言うなよ」

「着替えるか、エプロンした方が良いんじゃない?」

「あっ……そうだな」


 宰相ユド・ランジャールに見込まれて城に出仕するようになった新川は、当然のように貴族らしい服装をするようになっている。

 馬子にも衣裳ではないが、新川でも貴族っぽく見える服装はカレーうどんを食べるには不向きだ。


「ダッシュで着替えてくるから、先に食っててくれ!」


 慌ただしく自室へと走っていく新川を見送った後、俺は自分の分の丼……というよりもボールを手にとった。

 すかさず多恵が、ナプキンを俺の首に巻いてくれた。


 まずは汁をひとすすり……。


「うん、うどんの出汁と合わさると美味いな」

「だね。カレーうどん用のレシピには良いかも」

「俺、ちょっと七味入れるわ。もうちょい辛い方がいいや」

「うん、その辺は好みでいいと思うよ」


 汁にはとろみが付けてあり、うどんに良く絡んでくれるし温まる。

 ふーふーと少し冷ました後で、ずぞぞ……っと思いっきり啜り込む。


「美味っ、熱っ、寒い時期にはいいな」

「暑い頃に汗だくで食べるのもいいと思うよ」

「だな……美味っ」


 多恵特製のカレーうどんを堪能していると、新川が駆け戻ってきた。


「うぉぉぉぉ……これで何の心配も無く食えるぜ!」

「ぶはっ……ごほっ……」


 上半身裸で駆け戻ってきた新川を見て、多恵がカレーうどんを吹き出した。


「お前はアホか!」

「アホで結構、これがカレーうどんを食う正装だ!」

「なんでやねん!」

「あはははは……」


 大した筋肉も付いていない体で、ボディービルダーのようなポーズを決めた新川の頭を思い切り張り倒すと、ツボにはまったらしい多恵は腹を抱えて悶絶していた。

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