34 ▼ラスト・ワルツ▼




領主用の馬車に乗って、俺はレンブルフォート領の南の方、のどかな田園風景の広がる地域まで来る。


「…あ! 見えてきた! あれじゃない? きれー!」


エリオットは馬車の窓から身を乗り出して、外の方を指差す。


ぶどう農園だ。低いぶどうの木が列になってどこまでも続いている。けっこう広くて、景色がいい。この辺りで収穫されるぶどうは品質が良く、ワインの原料になる。ここで生産されるワインは味が良いことで有名でレンブルフォートの名産品の一つだ。このぶどう農園とワイナリーが例のレンブルフォート貿易株式会社に買収されたらしいので、何か無茶なことをされていないか心配になったので様子を見に来た。ここのワインが無くなってしまうのは俺としても不本意だからな。酒があまり飲めない俺でもここのワインは好きだ。その話をうっかりエリオットに話したらついて来られてしまった。


馬車がワイナリーの前まで来て止まる。


「着いたよ! 行こう!」


エリオットがはしゃいでいる。まあ酒好きな彼女のことなんで無理もないが…


「はは。楽しそうですね、エリオットさん」


アナスタシアが微笑む。なぜこいつもいるのかと言えば、同じ理由だ。何気なく話したら一緒に行きたいとせがまれてしまった。アナスタシアもワイン好きってのがちょっと意外だ。まあ、いい気分転換になるだろうし、今はちょうど収穫の季節だからきっと楽しめるだろうと思って、ついでに連れて来た。エリオットにはアナスタシア近辺の調査をこっそり依頼しているから少し不安に思ったが、まあそこのところは一応彼女もプロだしなんとかしてくれるだろうと思っている。


ここは観光地としても有名で、俺にとってもちょうどいい息抜きになる。なにせ毎日毎日脅迫じみた文言を王国占領軍から聞かされているからな…たまには俺も空気のいい所で少しのんびりしたい。てか買収うんぬんはぶっちゃけ言い訳で本当の目的はそっちだったりする。


…ま、たまには、ね。


俺たちは馬車を降りる。ワイナリーの入り口に待機していた案内人が走り寄る。


「…お待ちしておりました! ルシーダ殿下!」


懐かしい肩書きで呼ばれた。レンブルフォート人だ。


「俺もう殿下じゃないよ。ところで、王国の連中は?」


「今はいませんが、しょっちゅう出入りしてますよ。昨日も軍人が数台の装甲車で」


「王国軍も? こんなのどかな所に?」


「よく分かりませんが貿易会社の役員と睨み合っているようですね」


王国側もいろいろ事情があるらしい。王国軍はあくまでレンブルフォートの利権を牛耳っているのは自分たちだと主張したいだろうからな。


少し話を聞いた感じだと、今のところ横暴なことはされていないようだ。今まで通りレンブルフォート人がレンブルフォートのワインを作らせてもらえるらしい。まあこの後どうなるか分からんがな…特に商売に関しては…


とりあえず大丈夫そうで安心した。




▼  ▼  ▼




せっかくなのでワイナリーを見学する。地下の貯蔵庫には熟成中のワイン樽がたくさん並べられている。


ひんやりした空気。けっこうお酒の臭いがする。


「こちらは去年のものですね」


案内人が丁寧に説明してくれる。


「ルシーダ、最っ高の眺めじゃない?」


「樽しか無いじゃん…」


「これ全部ワインだよ?」


「ワインだな」


「だってなんだかワクワクしない? アナスタシアさんは?」


「そうですね。僕もいい眺めだと思いますよ。ここで何年もワインを寝かせると思うとちょっとロマン感じますね」


なんでお前エリオットに敬語なの。


「すみません、僕ら試飲できますか?」


アナスタシアが案内人にさらっと聞く。ちゃっかりしてんな。


「ええ、もちろんですよ」


「やったあ!」


エリオットが飛び上がる。頼むから飲みすぎないでくれよ…




▼  ▼  ▼




ワイナリーの外、庭になっている所で休む。おしゃれなテーブルとベンチが設置されている。俺たちは3人でテーブルを囲む。時刻は夕方、夕日の赤い光がぶどう農園全体を照らしていて、これがまたけっこういい景色。風も涼しく吹いている。ほんといい季節だよな。


おすすめの一品を試飲させてもらえることになった。領主でよかった。


グラスに入った宝石のような赤い色のワイン。少し揺らして、鼻を近づけ香りを嗅ぐ。すんごいジューシー。


口に含むとみずみずしいぶどうの香りがふわーっと広がる。ぶどうの幸せ感じる。フルボディだから重いが、飲みにくくない。ここのワインの特徴だ。


あかんこれ飲みすぎる…


「…いやー、やっぱわたし悪くないよね!? うん! そう! 報告書の出来が悪いとか、そんなんそっちの都合でしょってカンジ!」


エリオット、酔うのはやくない?


「そう思うでしょ? ルシーダ?」


「うんそうね」


今日は俺も少し酔っている。


「アナスタシアさんもそう思うでしょ?」


「エリオットさんはいつも頑張っていますよ。見てくれている人はちゃんといますから安心してください」


「さっすが! アナスタシアさん!」


さすが。酔っ払いのあしらい方がうまい。そうそう、こいつプロだった。


「このワイン、本当に美味しいね。聞いた通りだよ」


「奴隷館では飲まなかったのか?」


「僕らは飲ませてもらえなかったよ。お客さんが飲んでたから、ずっと気になってたんだよね~」


アナスタシアはグラスに口をつける。話し方がいつもと少し違う。こいつもちょっと酔ってんな。三人で酔っ払って、大丈夫か? このワイン度数高くない?




▼  ▼  ▼




日が落ちた。周囲が藍の光に包まれる。


庭のあちらこちらに設置されていたランタンに火が灯される。夕刻と夜の中間の時間帯なのもあって、ちょっと幻想的で不思議な感じ。綺麗だ。


心地いい。いい酔い方ができた。まいったなこりゃ。


「いい時間だね。この時間帯で外でお酒飲んでると、ジグ思いだすよ」


早いテンポの民族舞曲だな。確かにここで踊れたら楽しいかも。踊れたらだが。


「ジグ? 奴隷館で踊ってたのか?」


「休みの日にね、パブでニキータが女の子と踊ってたんだ。僕も教えてもらったんだよ」


「ああそうなのね…チャラいやつ…」


「…ねえ、ルシーダ、ちょっと踊ってよ」


「はぇ?」


酒が回っているのか突然ダンスに誘ってくる。


「なんでだよ、ジグとか俺踊れないぞ」


「いいから。お願い。僕、今とっても気分がいいんだ」


アナスタシアは立ち上がって、微笑みながら俺の手を取る。この酔っ払いめ。しゃーない俺も立ち上がる。


「楽しそう! 頑張ってね、ルシーダ!」


エリオットが外野で機嫌よさそうに応援してくる。彼女の絡みはこうやって対処すればよかったのか。今日は一つ学んだ。


「…最近、お前なんだか機嫌いいよな」


「そうかな? まあ、順調だからね」


「順調?」


「君にももうすぐ話せるよ」


アナスタシアは俺の手を握ったまま、少し離れてポーズを取り、ささっとステップを踏む。姿勢がいい。しかも手足が長いからけっこうダンスが様になる。


「こうだよ、分かる?」


「分からんて」


「やってみて」


しかたなく俺はさっきアナスタシアが踏んだステップの真似をする。


タタタン。


「あはははっ!」


後ろでエリオットが爆笑する。


「笑うなって」


フツーに恥ずかしいのです。


「ごめんごめーん」


エリオットが笑いながら顔の前で両手を合わせて謝る。


「…ルシーダって踊り苦手なんだね…」


「だから言ったろ」


「ポルカの方がいいかな? ジグより簡単だよ」


「無理だよどっちも! 俺の壊滅的リズム感見ただろ」


「うーん、困ったね…ああ、じゃあワルツなら踊れるんじゃない? 宮廷で習ったでしょ?」


ワルツは確かに教養で習った。でも宮廷で舞踏会なんてほとんどなかったし、最後に踊ったのは子供の時だな。立派な舞踏広間はあるんだが、接待だったり会議とかに使われていた。


「習ったけど…ほとんど覚えてないな」


「基本のステップくらいは覚えてるでしょ?」


「最初の1、2、3くらいは…てかお前ワルツ踊れるの?」


「もちろん」


「…え? 本当に? どこで覚えたんだ? パブでワルツ踊らないだろ」


「そりゃ僕も皇族だからね」


「なんで? そんな機会無かったはずじゃ?」


「まあ試してみれば分かるよ」


アナスタシアは俺に近づいて、向き合ってワルツの形に組む。まあそういうならやってみないでもないが…


「…ん、待て。こうだろ?」


アナスタシアの組み方が少しおかしかったので組み直す。


「え? 最初ので合ってるよ」


アナスタシアがやり直す。


「いやこれじゃ俺が女役になっちゃうだろ」


「そうだよ?」


「なんでだよ! 今の場合お前が女役だろどうみても!」


「そうかな? ルシーダ女性役すごく似合うよ」


「いいから組み直せ」


「やりにくいよ。僕の方が背も高いし」


「じゃあジャンケンしたら?」


エリオットが提案する。


「…よし、じゃあジャンケンだ。負けた方が女役だぞ。いいな?」


俺はアナスタシアに確認する。


「オッケ」


アナスタシアも承諾。これは負けられん。


「じゃあいくぞ…さーいしょーはグー!」


アナスタシアがパーを出す。


「待て待て!」


「僕の勝ち」


「あのなー! 最初はグー、だろ! 普通!」


「聞いてないよ?」


「ずるいぞ!」


「よく言われるよ」


「とにかくもう一回だ、いくぞ、じゃーんけーん…ぽん!」


俺はパーを出す。アナスタシアはグーっぽかったが瞬時に指を2本出してチョキにする。


「待て待て! 今お前グーだったからな! 見てたぞ!」


「え? 僕チョキだよ? 僕の勝ちじゃない?」


アナスタシアは顔の近くにチョキをもってきてピースサインする。


「さっきからお前ずるいぞ!」


「ずる得意なんだ」


アナスタシアはにこにこしている。かわいいポーズとってもだめなんだからな、この酔っ払い!


なんか今日ダメだな俺たち…


「そこまでして俺を女にしたいのか…」


「い、言い方がちょっと…僕はただ、君をエスコートしたいだけだよ」


「…ええい、これで最後だからな! ちゃんとやれよ!」


「分かったよ。もうずるしないよ」


「いくぞ、じゃーんけーん…ぽん!」


俺がチョキで、アナスタシアがグー。


負けた…普通に負けた…


「じゃ、僕が男役で踊るね?」


「あ、ああ…」


ま、男に二言はあるまい…


俺が女役、アナスタシアが男役で最初のポーズを組む。


…ん!? アナスタシアの首筋に手を触れて思わず驚く。


こいつ肌めっちゃすべすべやーん!!


初めてアナスタシアに触れたけど、ここまで肌綺麗なやつ初めてかもしれん…どうなってんの…本当に男?


「…ル、ルシーダ、くすぐったいよ…」


「え?」


…しまった! 手触りが気持ち良くて思わずさすってしまっていた。


「あ、ご、ごめん! つい…」


「いいよ」


アナスタシアは穏やかに微笑む。


「じゃ、ステップ踏んでみようか」


1、2、3。1、2、3。


基本的なワルツの最初のステップを踊る。久しぶりだな…ちょっと足がもたつく。


「んー…やっぱ女役はちょっと慣れないな」


「これから練習すればきっとうまくなるよ」


「するか!」


1、2、3。1、2、3。


ワルツだって決して得意なわけじゃない。この通り運動神経皆無。


グラッ!


少しふらつく。


アナスタシアが咄嗟に抱き上げる。


「大丈夫?」


アナスタシアが心配して聞いてくる。


「あ、ああ…」


見上げる。顔近い。


こいつ髪の毛サラッサラや…なんか周りにお星様がキラキラ飛んどる…


「続ける?」


「あ、あと少しだけな…」


1、2、3。1、2、3。


気づいたが、アナスタシアってエスコートうまいな。


「…んふふ。ルシーダ、ヘタだね」


分かってても言うなよな。


「どうせ俺はセンスゼロだよ…」


「大丈夫。僕に任せて」


アナスタシアに身を任せてステップを続ける。


1、2、3。1、2、3。


お? なんかいい感じになってきた。踊りになってきたというか、さっきまでよりも楽にステップが踏める。


「いいよ。その調子」


アナスタシアの顔を見上げる。いつもの優しい笑顔がいつもよりずっと近くに。


すっげー王子様。


いや本当に皇族なんだけど…っていやいや、なにときめいてんだ俺!? これは…そう、こいつが女みたいだから、なんか妙に緊張してしまうだけで…でも今俺女役で、アナスタシアが無敵の王子様スキル発動させててそれで…あー! わけ分からんくなってきた!


「ルシーダ?」


アナスタシアがステップを踏みながら話しかける。


「なんだ?」


「顔赤いよ」


「ええっ!?」


「耳も」


「…ま、待って、ストップストップ」


アナスタシアがステップをやめる。


「…い、いやこれは酔っ払ったからで…ほ、ほら、ランタンの灯りで照らされてさ…お前も顔赤いからな?…久しぶりに運動したら、なんか熱くなってきたな…」


アナスタシアの顔をちらりと見る。余裕なのがなんかちょっと悔しい…


「んふふ…そうだね。じゃあこのくらいにしとこうか」


手を離す。


アナスタシアって…たらしかも…いや俺が勝手にドキドキしてただけか…


「…ルシーダってさ、モテるでしょ?」


いやお前の方がモテるだろ…


「なんでだよ。全然いいトコ無かっただろ」


「だからだよ」


ちょっと意味分かりません。


「…ありがとう。楽しかったよ。最後に君と踊れてよかった」


…?


「…最後?」


「なんでもないよ」


「そ、そうか…まあ、俺もありがとう」


全てワインのせいだ。



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