32 ▼ドレスアップ・エレノア▼
「…なっ…なっ…なっ…っ!」
俺は震える手でエレノアを指差す。
「…あのな、そんなバケモノでも見たように驚かなくてもいいだろ…」
エレノアは少し頬を赤らめながら目線を逸らす。
「…あの、照れてる?」
「照れとらんわ!」
エレノアがいつもの調子で怒鳴る。
「ヒィィ! す、すまん…」
中身はいつもの海賊海軍エレノアのままのようだ。恐いんだがちょっと安心する。
帝都の宮廷近く、いわゆる一等地に突然建ったでっかい建物。まだメインフロアが仮完成しただけだが、増改築が急ピッチで進められている。王国風の近代的な重厚な建築で、レンブルフォートの帝都の雰囲気と合っていないので、ちょっと異質な感じがする。新しく設立された、フランタル王室貨幣鋳造庁直属、レンブルフォート貿易株式会社の本社だ。その実体は、レンブルフォートからあらゆる資源を二束三文の格安の値段で買い叩いて、フランタルの商品を高額なふっかけた値段でレンブルフォートに輸出する、植民地実効支配をかためる主要な組織の一つだ。要するに略奪だ。やってくれるよな。その設立パーティーに呼び出されたので、不本意だがしかたなく来ている。まあこれも仕事なんだよな…
ちなみに王室貨幣鋳造庁というのは、王国の財務一般の業務を取り仕切る強い権限を持った庁だ。昔はその名の通り貨幣を発行していたらしいがいろいろあって今は王国中央銀行が紙幣の発行を独占して行っている。レベッカ、じゃなかったレディ・バンカー理事長のボスのいるところだな。あのエルフちゃんと仕事してくれているだろうか…後でまた予算書送っとこう。なんだかんだ言ってちゃんと金をくれるので助かる。
パーティーなんてのん気なもんだが、この国営会社は色々な資本が入っていて、既存の出資者に対する説明と、新規の出資者を募る目的で、こんな面倒で金のかかることをしているということらしい。なので当然パーティーも豪華で、王国としてもこの組織に力を入れている感じが伝わってくる。これだと貿易で財と影響力を蓄えるのにそう時間はかからないかもしれない。うかうかしてると俺んとこの領主府の立場もあやうくなる可能性もある。そのぐらいの組織だ。気をつけないと。出席している顔ぶれを見ると、やはり経済界の人物が多いような気もするが、レンブルフォート関係の主要ポストの関係者は一通り来ているようだ。軍部の人間も多い。
まさかそこで、海賊海軍大尉のエレノアのこんな姿を見ることになるとは思わなかったが…
「なぜだ!? エレノア!?」
女子力マックスのドレス姿。清楚な透明感のある水色のドレスだ。なぜだ。マジでなぜなんだ。ノースリーブなので肩から腕にかけてのタトゥーが派手に見えちゃうじゃないか。肘上まである長い手袋。髪をアップスタイルに纏めて上品な髪飾りを付けている。いつもと違う赤い口紅が、エレノアの雰囲気とあいまって、オンナ、って感じ。総合して、エレガント。見本のような正装。どこぞの貴族のお嬢様なんよ。
「だからアタシはヤだったんだよ…」
「…エリザベェェス!」
パーティー会場の奥から野太い大声が響く。スキンヘッドのむさ苦しいオッサンが走り寄って来る。正装で勲章をつけている。そうそう、これが俺の軍人のイメージ。
「おお! いつになく美しいではないか! 我が娘エリザベス!」
オッサンがドレス姿のエレノアに抱きつく。
「…勘弁してくれよ親父…」
「今何と?」
「うむ? おお、コイツがレンブルフォート領主になった小僧か!」
オッサンはエレノアをはなして、俺をじろじろ見る。側に立っていた執事が俺に説明する。
「ルシーダ閣下、フランタル王国の元海軍中将、ラグナート男爵様でございます」
「マジか!」
「ハハハッ! 聞いてはいたが本当に娘っ子にしか見えんな!」
ホント声デカい…声だけで倒されそう。
「…ってことは?」
俺はエレノアを見る。
「はい。男爵様のご息女、エリザベス様でいらっしゃいます」
ええーっ!!
「エレノア、貴族だったの!?」
ガチで貴族のお嬢様だった。
なるほど。元海軍中将の男爵の娘、だからその若さで海軍大尉で、戦艦の艦長なんだな。もちろん本人の実力もあるだろうが、少し不思議だったんだ。
「いちいちやかましいんだよ!」
エレノアが怒鳴る。親子揃ってすごい威圧感。この親父でこの娘ってワケか…
▼ ▼ ▼
面倒な挨拶を一通り済ませて、俺はドレス姿のエレノアと一緒にパーティー会場から出る。ここなら二人で落ち着いて会話できる。
「それなんだい?」
エレノアが、俺が抱えている書類の束を見て言う。
「この会社の関係書類だよ。帰ってから目を通さないといけないんだ」
「へえ、ぼうや、ちゃんと仕事してるんだね」
「だるいわ…」
まあサインするだけなんだけどね。しかし、さっき少し説明受けた感じだとなんかえげつない商売のこと書いてあるらしいが、本当にこれに俺の名前書いて大丈夫なのか? だからといって署名拒否はできないんだが…実質命令だからね…レンブルフォートはこれから先どうなってしまうんだ…
「…随分豪勢なパーティーだな。王国ってすごいな。まるで戴冠式だよ」
「そりゃあ大金が動くからね。みんな必死さ。最初が肝心なんだよ、ここで主導権を握れるか、権益を確保できるかでほとんど決まっちまうから。後から巻き返すのは大変さ、勝った者が全てを持っていく。ここから新しく財閥が一つ二つできるんじゃないかって話だよ」
「なるほど…納得だ」
「それも全部レンブルフォート人の犠牲の上に成り立つ繁栄なんだけどね。ぼうやにとっちゃ不愉快な話以外の何ものでもないだろうけど」
「遺憾だな」
何もできない自分が情けなく感じる。
…
ところで。
「…それにしても驚いたよ。その、なんと言うか…」
言っていいか迷う。
「何だい?」
「その…に…似あってると…お、思いマス…」
「…」
…お、怒られるかな?
「い、いや! すみません」
「ありがとう」
エレノアが微笑む。意外。怒らなかった。
「この会社は王室直属の重要なやつで、お偉いさんも王国からわざわざ来るっていうし、アタシもそういう身分だからさ、どうしても出席しなきゃいけなくて、失礼できないだろ? まあしゃーないわな、今回は」
「まさかのまさかだわ。ご令嬢様だったとは」
「王都の軍部省で大臣に会ってもらった時に、もう知ってると思ってたけどな」
ああ…そういえば少し会話してたような…全然覚えてないわ。
「だからアタシがぼうやのお付きの護衛を任されたんだよ。自分の出自は正直疎ましかったんだけどね、でもだからこうしてぼうやと出会えたってこと考えると、貴族の娘も案外悪くなかったかもね」
「なんで嫌なんだ?」
「アタシは自由に生きたいのさ」
エレノアはどこか寂しそうに呟く。何か思うところがあるんだろう。横顔がいつもと違うのでちょっとドキッとする。あ。今気づいたが、エレノアが耳に付けているピアス、サメのデザインだ。さすがオンナ海賊、ぶれないな。そこだけかわいいとか絶妙かよ。いいなあ。俺も今度してみようかな…
「エレノアって、本名はエリザベスっていうんだな」
エレノアが強烈な眼光で睨んでくる。
「今度その名前で呼んだら容赦しないからな! アタシはエレノアだ!」
「はっ、はいっ…」
コワ…やっぱり怒る…
「…で、でもなんで名前まで変えたんだ?」
「そりゃあ…生きていくためにはさ、捨てなきゃいけないものもあるってこと。自分らしい生き方に、親から貰った名前が足枷になることもある。アタシにも色々あんのさ…ぼうやなら分かるだろ?」
貴族の令嬢であるが故の事情か。確かに察しないわけでもない。
「…アタシは別にいいんだよ。アタシは三人姉妹でね、アタシは末っ子。上の二人はちゃんとお嬢様やってっからさ」
「そうか…」
「まあ色々あったけどね…海軍に入る時も最初は反対されたけど、勝手に入隊試験を受けたんだ。親父と殴り合いの大喧嘩してね。今となっちゃ懐かしいな」
「あのごついオッサンと!? 元海軍中将だろ」
「勝ったけど?」
「嘘やん」
「はははっ」
エレノアは楽しそうに笑う。ドレスアップしているからか、なんかいつもより綺麗だ…
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