第十六話 羽音
街道を横切り、森に向かって草むらを無理矢理進む。整地されていないから起伏やら岩にぶつかって客車がひっくり返りそうになるが、オサムシは全力で前に進んでくれる。だがこれなら走った方が速い。
「降りろ! 走った方が速い!」
虫車を停めてそう言い、俺は客車の壁板を叩く。俺が御者台から降りると、アレックスとオリバーも客車から滑るように降りてくる。二人とも弩を抱えていた。
「確認するが、相手は一人か?」
「姿が見えたのは一人だ。しかし奥にいないとも限らん」
俺の問いにアレックスが答えた。そしてオリバーが続ける。
「しかし多くて二人だろう。奴らもそれほど戦力は割けないはずだ」
「まあよく分らんってことだな。一人であることを祈るぜ。一応聞くが、荷はそのままでいいのか。まさか盗んでいくやつはいないと思うが。なんか入ってるんだろ? 昔の武器が」
「格納容器はロックしてある。デスモーグ族なら開けられるだろうが、普通の者には開けられない。盗まれるのはまずいが、しかし見張り番を立てるわけにもいかん。このまま行くしかない」
アレックスが俺とオリバーを見て言う。
「では私が先頭で行く。ウルクスは真ん中。オリバーは最後だ」
その言葉に、俺とオリバーは頷く。一番安全なのは真ん中だ。一応考えてはくれているらしい。
「分かった」
「了解」
アレックスを先頭に森に入る。人の手が入っていないのはもちろんだが、見たところ虫の棲んでいる様子もない。踏み跡や木に傷があったりするものだが、そういった痕跡がない。虫の密度の低い森らしい。
ジョンか誰か分からないが、デスモーグ族がここを選んだ理由があるのだろうか? 単に研究所までの中間地点と言うだけでどこでも良かったのか。それともここに何か、奴らにとって有利となるものがあるのか。
旧世界の施設、あるいは武器。もしくは操りやすい虫がいる? 今までに見たのは顎虫だけだ。他にも操れるのかどうか。アクィラの話ではカミキリムシも操っているという話だし、アクィラ自身もトンボを呼び寄せていた。他に何ができるのか、見当もつかない。
だが何であれ、俺たちは行くしかない。
何が出ようと、これでもモーグ族の戦士が二人いるんだ。顎虫だって弩で簡単に片付けてくれる。過度に恐れる必要はないだろう。
デスモーグ族の痕跡を追いながらアレックスは進んでいたが、急に足を止めた。道が、というほどはっきりした道でもないが、太い木で左右に分かれている。
「どうした? トラップか」
後ろのオリバーが声をかける。そして弩を構えながら周囲を警戒していた。しかし、こんな藪の中では見えるものも見えない。すぐそこにしゃがんでいたって分かるか知れたものではない。
「痕跡が……すまない。よく分からない」
「何?!」
アレックスが戸惑うように左右の道を交互に見ている。
「何言ってる! 右だろ、よく見ろ! 分け入った跡があるだろ?」
「これ……これか! 分かった、すまない」
そう言い、アレックスはまた進んでいく。
そうしてかれこれ五分は進んだだろうか。森が途切れ、日が射している場所が見えてきた。痕跡はそっちの方に続いている。
アレックスが右の拳を上に挙げた。止まれ、の意味らしい。だが言われなくても分かる。誘いこまれているのだ。出た途端に攻撃を受ける可能性がある。
「どうすんだよ?」
藪の中にしゃがみこみ、小声で聞く。
「痕跡のラインから離れた位置で二手に分かれて突入する。ウルクス。君は私の方に来い。安全を確認してから私に続け。六十秒後に行く」
「分かった」
「了解」
オリバーは少し下がり、左の方へ向かった。アレックスと俺は右手の方だ。
森の途切れている場所はなだらかな岩の斜面になっていた。斜面の上の方は切り立った断崖で、
誂えたような場所だぜ。俺はそう思った。狙うには持ってこいだ。
岩の斜面には誰もいなかった。アクィラは当然いないし、デスモーグの野郎もいない。奴らはここで何を企んでいるんだ。
もうじき六十秒経つ。
アレックスの仮面が俺を向き、手で数え始める。五、四、三、二、一。アレックスが弩を構え斜面に躍り出る。俺は
しかし、何の反応もない。木々のざわめき、鳥の声だけが聞こえる。無音ではないが、静かな時間が続く。
何だ? 何もしてこない? ひょっとして単に逃げていっただけなのか? そんな馬鹿な。流石にそこまで間抜けじゃないだろう。
そんなことを考えていると、妙な音が聞こえ始めた。
ガチ、ガチ。
金属の擦れる音、そして嚙合わせる音。
おいまたかよ。音は前からじゃない。後ろから聞こえてくる。
振り向いて確かめるより早く、俺は斜面の方に駆けだした。
藪を抜けるとすぐ前にアレックスがいた。その脇を通り抜けながら俺は叫んだ。
「顎虫だ!」
その一言で察したのか、アレックスは藪から跳んで離れる。そして弩を藪に向ける。藪の植物を押し倒しながら、そいつが姿を現した。
顎虫。
しかもでかい。
だがアレックスは冷静に弩で顎虫の腹、その中心より少し後ろ寄りを撃ち抜く。機械虫の心臓部分、コアのある辺りだ。顎虫の体が痺れたようにひきつり、そのまま地面に倒れ込む。まだ目は光っているが力を出せなくなっており、じきに死ぬだろう。だがそれを待たず。アレックスは弩を顎虫の頭に近づけ、容赦なく撃ち込んだ。呻くような音を出し、目の赤い光が消えて死んだ。
オリバーの方も顎虫をやっつけている。今更顎虫が出てきても、この二人がいるなら大した問題じゃない。旧世界の弩って奴は頼りになるぜ。
だが、様子がおかしい。また顎虫が来て、アレックスもオリバーも弩を撃ち続けている。いくらなんでも来すぎじゃねえのか。
顎虫の屍を踏み越えて、また別の顎虫が来る。その隣からも顎虫。撃つのが追い付かず、アレックスは少しずつ後ろに下がっていく。オリバーもだ。もう十匹くらい殺してる。
まずいな。物量で押してくる気か。矢が足りるのか?
俺も加勢すべきか? そう思いスリングの凍結球を手に取る。そして、ふと、後ろを振り向いた。
そこには顎虫の群れがいた。アレックス達が撃ち殺したのと同じ数くらい、いや、少し多いか。二十匹はいる。アレックス達はまだ気づいていない様子だった。冗談じゃねえ。どこからこんな大軍を呼んできたんだ。
「後ろからも来てるぞ!」
俺は凍結球を顎虫に撃ちながら叫んだ。三匹ほどが凍り付いている。だが焼け石に水だ。多すぎる。
「後ろは任せる! こちらは手一杯だ!」
アレックスからそう返ってきた。確かに弩は強力だが、一匹当たり平均二発で仕留めている。それを考えると俺のスリングの方が早い。殺すことはできないが、一発で数匹を動けなく出来る。
俺はアレックスと背中合わせに立ち、顎虫にスリングを撃ちまくった。凍結球ももらっておいてよかった。まだ虫車に予備があるから、全部使ったってかまわない。出し惜しみしている場合じゃない。一発で数匹を凍り付かせていく。
「伏せろ、ウルクス!」
アレックスの声が聞こえた。
何かと振り向きかけた俺を、アレックスの白い腕が突き飛ばした。
轟音。そして爆発的な風圧で俺の体は数ターフ飛ばされる。斜面に体を打ち付け、まだ治りきっていない背中が痛みを主張し始める。
今のは……ストライカー? さっきまで立っていた所に砂煙が立っている。アレックスも後ろに倒れ込んでいるが、すぐに立ち上がっている。まだ寝ているのは俺だけだ。
「モーグ族! ここがお前たちの墓場だ!」
俺たちが来た道の辺りに黒い仮面の男が立っていた。ジョンと同じ格好で、全身が黒ずくめだ。しかし声は違う。もっと若く聞こえる。
「我々の悲願は達成される! だがお前たちがそれを見ることは叶わん!」
そのデスモーグ族の男は何かの機械をアレックスに向けていた。あれがストライカーらしい。
俺はストライカーの向いている方向から飛びのく。
そしてまた轟音。アレックスのいた辺りが吹っ飛ばされる。岩場が浅くえぐれている。一体どういう武器なのか想像もつかないが、俺がまともに食らえば死は免れないだろう。アレックスは避けながら弩で応戦し始める。
そして顎虫だ。こいつらはまだ片付いていない。デスモーグ族を気にしつつ、顎虫に凍結球を撃ち込む。
オリバーも向こう側でせっせと顎虫を殺している。だが矢が尽きたのか、今度は棒で戦い始めた。あれはなんとかブレードだ。痺れる奴。刀身が伸びてしなっている。器用に顎虫を躱しながら、オリバーはブレードで顎虫を痺れさせていく。電気は効きが悪いはずだが、その武器は効果があるらしい。
その間もデスモーグはストライカーをぶっ放す。俺はそのたびに冷や冷やするが、アレックスがうまく位置取りしているおかげか、俺の方に流れ弾はほとんど来なかった。
そして五発撃って弾が尽きたのか、デスモーグはストライカーを腰に戻し、今度は剣を抜いた。
「それで策は尽きたのか。デスモーグの戦士よ」
アレックスが弩で狙いながら言う。俺は顎虫をひとまず凍らせ終わり、オリバーの方も片付いたようだった。顎虫が山になっている。死体をばらして売ればちょっとした金になるだろう。
デスモーグ族をオリバーも弩で背後から狙い、ついでに俺もスリングで狙っておく。
「くそ! お前たちはここで死ぬんだ! 死ね、モーグ族の犬め!」
デスモーグは左手で右腕の装置に触れた。その動きに反応し、アレックスとオリバーの弩が放たれた。
腹と胸をそれぞれ貫かれ、デスモーグ族はその場で膝をついた。しかし左手は動き続け、装置の一部が赤い光を放つ。そしてそいつは、力尽きたように前に倒れ込んだ。しかし矢が地面に当たり、倒れることはなく斜めの状態で止まった。そして動かなくなった。
「死んだ……のか?」
俺は念のためスリングを構えたまま聞いた。
「……心臓が停止した。死んだ」
アレックスが弩を下ろし、俺も構えを解いた。
「ジョンじゃ無い奴だよな? これで片付いたって事か」
「そうだ。しかし……最後のあの動きが気になる」
そう言ってアレックスはデスモーグに近づき、しゃがんでデスモーグの右腕を摘まみ上げる。
「何かが作動している。仲間への合図か、それとも別の信号か」
「その装置は俺も見たことがない。奴らの専用のデバイスらしい」
オリバーも近くに来て言った。
「どうでもいいぜ。終わったんなら行こう。止まっているとその分遅れる」
「ああ、そうだな」
アレックスは立ち上がり、足を踏み出そうとした。しかし、何かに気づいたように足を止めた。
「何だ? 何か気になることが?」
俺が聞くと、アレックスは頭を左右に振って、何かを確認しているようだった。
「何だこの音は。近づいている」
「何? 本当だ……これは羽音か?」
アレックスとオリバーには仮面の力で何かが聞こえているらしい。だが、俺には聞こえない。いや、待て……これは……羽音? 何かが遠くから聞こえる……。
向こうの茂みの方に目をやると、薄暗い木陰の向こうに光が切れ切れに見えた。
赤い光。機械虫の目だ。それも、どうやら飛んでいる。
トンボか? 一瞬そう思ったが、それは違った。
闇の中から威圧的な羽音を響かせ、そいつが現れた。最悪だ。
スズメバチ。銀色に黄色の縞模様。そいつは俺達から
「やばいぜ、こいつは……」
俺は誰に言うでもなく呟いていた。
スズメバチを見たことのある虫狩りはほとんどいない。理由は二つある。
一つ目は、大抵人里離れた場所にしかいないから。他の虫と同じように機械樹の蜜を吸ったりするが、人が手入れしている機械樹は何故か気に入らないらしい。だから人のいない場所によく住んでいて、人がいないから目撃する機会も少ない。
二つ目は、目にした虫狩りは、大抵殺されるからだ。俺の知り合いに見かけたってやつはいない。酒の席の与太話でさえ聞かない。それほどの虫なのだ、スズメバチは。顎虫も凶暴だが、空を自由に舞うこの虫の危険度は、また別の次元にある。
今度こそやばいかもな。俺は自分の背筋が震えるのを感じていた。
※誤字等があればこちらにお願いします。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます