第六話 白い鎧の男
蒸し暑さに辟易としながらも足は止めず、カドホックまであと僅かという所まで来た。木と下草の密度が減り、正面の視界が開けてくる。線を引いたように森が途切れ、ここから先は岩場が続いている。
左手にセム川の音が聞こえる。見えないが、
「おい、アクィラ。起きろ」
「……ん……ぅう……」
背中のアクィラは眠っていた。暑いやら臭いやら文句を垂れていたが、十分もしないうちに眠りこけやがった。子供め。気楽なもんだ。
こっから先は岩場で、足を取られるような物はない。こいつにも自分で歩いてもらう。それに視界が開けるから、追手が来ているのなら見つかりやすい。背負っていては動けない。
「……何? 着いたの?」
「もうすぐだ。少しは自分で歩け」
俺はしゃがんでアクィラを立たせる。体が軽くなった。せいせいする。ガキを抱えている女の苦労が少しは分かったぜ。
「あとどのくらいなの?」
「
「分かった」
アクィラの足取りは少々覚束なかったが、今度は転ぶことはなかった。森の切れ目から周囲を確認する。遠くに青い光が見えるが虫か機械樹だろう。赤い目をした虫がうろついている様子はない。ここで悩んでいてもしょうがない。俺はアクィラと一緒に小走りで岩場を進む。
なるべく岩壁の角から角へ進む。前後を確認し、スリングはいつでも撃てるようにしておく。今の所は何もいない。岩場には草もないから昆虫もいない。森のざわめきは遠くなり、静寂が辺りを包んでいく。一番うるさいのは、アクィラの足音だ。
しかし、一つ気になることがある。
シャディーンは明日の昼までに巨人の三つ目に連れて行けと言っていた。日付が回って今日の昼までだが、昼に来いという意味なら、今は早すぎる。十時間近くも待っていられない。
どこかで身を隠すべきか? あるいは誰かがずっと見張っていて俺たちを助けてくれるのか。後者であることを祈って、俺たちは急ぎ足で進む。巨人の三つ目はもう直だ。
「ここか……」
闇の中で目を凝らす。
「見えるか、アクィラ。正面の壁、あれが巨人の三つ目だ」
「壁? 全然……暗くて見えない……」
「まあ巨人の三つ目はどうでもいい。問題は誰かいるかってことだ……行くぞ。こけるなよ」
「馬鹿にしないでよ、もう」
周囲を警戒しながら進む。周りには遮蔽物がない。隠れられそうな物がなく、急に不安になる。まだ虫に囲まれている方が気が楽だ。人間の殺し屋の相手なんざ、俺の仕事じゃねえ。嫌だぜ、こんなところで死ぬのは。
それに……こいつもだ。俺はすぐ後ろをついてくるアクィラを見る。攫われて、頭に変なものを埋め込まれて、散々な目にあってる。これ以上変な奴らの勝手な都合で振り回してたまるか。ガキは、その辺で飛んではねて果物でも食ってりゃいいんだ。
「三つ目……ここだな」
突き当りの壁に手を突く。見上げると頭の少し上に穴が三つ並んでいる。まさかこの中に人がいるわけじゃあるまい。周囲にも人の気配はない。何か目印があるかと目を凝らすが……暗すぎて分からない。
「ここでいいのか? 違うのか?」
暗い中で焦燥だけが募る。ひょっとしてあのアレックスって奴も襲われていて、やられちまってるって事も考えられるんじゃないか。そうだったら最悪だ。八方塞がりだ。
「ねえ……」
「何だ? パンはねえぞ」
「ねえ、ちょっと……」
アクィラが俺のシャツの袖を引く。
「あれ、赤い目……」
「何?」
「あの黒い面の男か……! 生きてやがったか」
俺は一歩前に出てアクィラの前に立つ。周囲にアクィラを隠せそうな場所はない。くそ。やるしかない。
俺は帯電球を手に三つ持ち、スリングを引き絞る。
「アクィラ。下がってろ」
「え、やだ……何なの?」
「追手だ。奴にシャディーンとタナーンもやられた。戦うしかない」
幸い赤い光は一つだけだ。虫はいないようだ。それだけが救いだが、奴は得体が知れない。帯電球を食らっても奴はくたばらなかった。それに爆発する機械も持っている。
「そこで止まれ!」
俺は向かってくる男に呼びかけた。男は
「虫は止められても、俺は止められんぞ。そんなスリングではな」
「そうかい。じゃあ確かめてみるとするか」
奴は動かない。闇の中で赤い光が微かに揺れる。音はしない。光もなく、この男との間に殺気が走る。自分の呼吸がひどくうるさい。撃たねばならない。しかし、先に動いてもかわされるだけだろう。何か、奴の動きを乱すきっかけがあれば……。
「一つ教えてやろう。お前には希望は無い」
冷え冷えとするような男の声だった。
「何だと?」
「聞こえないか、足音が? そろそろ来る頃だ」
足音だと? こいつは何を言って……いや、聞こえた。最悪だ。金属が石を削る音。装甲の擦れ合う音。虫だ。機械虫……あの顎虫だろう。
遠くの闇に赤い光が見えた。ひのふの……十二ある。六匹。それがガタガタと揺れながら近づいてくる。
「哀れな虫狩り。あいつらに関わらなければ、お前も死ぬことはなかった。いくらで雇われた? 命に見合う価値はあったか?」
「へっ……こちとら貧乏人でね。金には縁がねえや」
せめて、アクィラだけでも。しかし助ける方法など思い浮かばなかった。
「止まれ」
男が右腕を上げて合図し、顎虫の群れは止まった。男のすぐ後ろでガチガチと顎を噛み合わせている。
「さらばだ虫狩り。やれ」
男の腕が下げられ、顎虫が一斉に動き出す。
「くそったれ!」
スリングで男に向かって帯電球を撃った。だが男は驚くべき身軽さで跳躍した。はるか頭上、右側に跳んで岩塊の上に着地した。
もう一度男を狙うか? しかしさっきより距離がある。それに顎虫が俺に殺到してきている。
「虫っけらめ!」
顎虫に向かって帯電球。三匹に当たり、足が鈍る。もう一発。さらに二匹が遅れる。
袋にはもう帯電球はない。凍結か、烈火か。くそ、間に合わねえ。
死ぬ? 冗談じゃねえ。俺はスリングを捨てて腰のナイフを抜く。くそったれ。刺し違えてでも一匹は殺してやる。
俺が覚悟を決め、顎虫に踊りかかろうとした瞬間、顎虫が何かに貫かれた。
金属音。顎虫の装甲を軽々と貫き、巨大な矢が地面に縫い留める。
「そこの虫狩り。君は下がれ」
背後、頭上で風を切る音。俺は思わず頭を下げ、そのまま横に転がる。
新たな矢が顎虫を貫く。さらに一射、もう一匹も死ぬ。三匹とも一撃で目の光が消え、即死だ。
「アレックス! 貴様か!」
岩塊の上で黒い面の男が叫ぶ。白い光が見えた。あれは……虫車を吹っ飛ばした奴だ。
「逃げろ! 吹き飛ばされるぞ!」
俺は叫んだ。
閃光。爆音と風圧が俺の体を叩いた。俺の頭上を何かが通り過ぎ、岩の塊を抉った。石の欠片が風と共に落ちてくる。まずい、アクィラは無事か?
「ジョン。お前たちの企みは我々が止める」
俺の頭上の男がそう言い、黒い面の男に向かって撃つ。当たりはせず、しかし黒い面の男は遠く後ろに逃げた。
その間にも頭上の男は顎虫を射た。強力な矢だ。弩だろうか。頑健な顎虫の装甲をいとも容易く貫いている。一射一殺。あっという間に死体の山が出来上がる。六匹、全部だ。
頭上を仰ぎ見ればそこには白い鎧が見えた。顔も体も白一色。黒い面の男とは対照的だった。闇の中で僅かな月明かりを反射し、そいつの白い姿が明確に浮き上がっていた。
白い鎧の男は黒い面の男に向かって続けざまに矢を射た。
「ぐあっ」
金属を貫く音が響き、黒い面の男が地面に転がる。
「くそおっ! その子供は必ず……返してもらう! 我らの悲願は必ず果たされる!」
赤い光が遠ざかっていく。そして、闇の中に消えた。
「逃げたようだ。ここからではもう見えんな」
白い鎧の男は上の岩場から飛び降りた。そして音もなく俺のそばに着地した。
「君は……シャディーンではないな? 誰だ」
若い男の声だった。顔までびっちりと面に覆われ、顔は分からない。あの黒い面の男と同じ面にも見える。
「てめえこそ……誰なんだ?」
まずいな、この位置取りは。アクィラは白い鎧の男の背後だ。こいつは敵ではなさそうだが……そういえば、さっき黒い面の男がアレックスと呼んでいたか?
「お前が……シャディーンの探していた男か」
「そうだな。私はアレックスだ……その物騒な物を仕舞ってもらえると助かるのだが」
俺の右手のナイフのことらしい。お前だって小脇にでかい弩を抱えてるじゃねえか。
ナイフなんざどうせ持ってたって大して使えない。俺はナイフを鞘に戻した。スリングはさっき投げてその辺に転がってるが、手元にあったとしても
「アレックス……お前のエイゾーを見た。シャディーンの荷物にあった、なんか平べったい奴。お前たちは仲間なのか」
「仲間だ。会ったことはないがね。二人はどうした」
「死んだよ。さっきの黒い奴にやられた」
「そうか……残念だ。それで君は?」
大して残念でもなさそうに、男、アレックスは言った。何だか苛つくぜ、こいつは。
「虫狩りのウルクス。二人に雇われた……お前に子供を、アクィラを届けろと」
「そうか。よくぞここまで彼女を連れてきてくれた。感謝する」
「……それで、どうするんだ? あの子を……」
「これ以上のことは君には関係ない。しかし……ここで帰れというわけにもいかんな。まだジョンもその辺に潜んでいるかもしれん。私に同行してもらえるかな? 君が良ければ、だが……」
「どこへ行く? この辺にゃ村も町も無いぜ」
「君らの知らぬ場所だ」
アレックスは後ろを向いた。
「アクィラだね? 怖がらせてすまなかった。私はアレックス……君を保護したい」
アクィラはアレックスの後方、
「ウルクス……大丈夫?」
「俺は無事だ? お前は? 怪我はないか?」
「私は平気……その人がアレックスなの?」
アクィラの問いに、アレックスが答えた。
「そうだ。私がアレックスだ……と、この面を被っていては分からないか。失礼。普段人と会うことが少なくてね、ついこのまま喋ってしまう」
小さな機械音がし、アレックスは面を外した。肌が……白い。髪の毛も色が薄い。シャディーンたちと同じだ。
「私達の施設に案内する。ついてきてくれ。そこで話そう」
アレックスは言った。感情のこもらないその言葉を、まるで機械のように感じた。得体のしれない男だが、ついていくしかなさそうだ。
※誤字等があればこちらにお願いします。
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