第四話 託された子供
「逃がすか! 全員まとめて始末してやる!」
後方から男の怒声が聞こえた。どこか常軌を逸したような声。まともじゃない。
俺はスリングで撃とうと奴の姿を探す。しかしいない。いや、暗くてわからない。虫の赤い目は離れた位置にあるが、奴の黒い面は見つからない。
「上よ!」
タナーンが叫び、例の機械をぶっぱなす。豪放。俺はよろけて御者台の方に倒れこんだ。そして虫車全体に衝撃が走り、木材の折れる音が響く。
「ああっ! た、助け――」
バリバリと荷台の後ろ半分が崩れ落ち、タナーンも一緒に落ちていく。上にまたがっているのは顎虫だった。さっき上から落ちてきたのはこいつだ。くそっ。虫車が半壊してる。
「タナーン!」
シャディーンが叫んだ。俺はタナーンをつかもうと手を伸ばすが、間に合わなかった。
「ああっ! いや、死にたく――」
タナーンに顎虫が覆いかぶさり、声が途切れた。タナーンは……死んだ。くそ。依頼人を死なせてしまった。しかも、女を。
だが虫車は止まらない。シャディーンは振り返りもせずにマギーをさらに加速させる。幸い前半分の車輪は生きてるから、なんとか走ってくれている。
「すまない……タナーンを……死なせてしまった」
「……覚悟の上だ。私たちがたとえ二人とも死んでも、その木箱……子供が無事ならそれでいい」
「子供……?」
そう、子供だ。木箱の中に入っていたのは金属の筒で、その中には子供が収まっていた。金属の筒はひんやりと冷気を放っている。まるで氷漬けだ。
「何なんだ、こいつは? 一体……お前たちは何を運んでる?」
こういう仕事の場合、荷物のことは聞かないのがお約束だ。しかしこれは異常すぎる。追手も尋常ではない。シャディーン達もそうだ。あの爆発する機械……爆雷は虫狩りでも限られたものしか扱えない。虫狩りでもないこいつらが、一体何故あんなものを持っているのか。何から何まで謎だらけだ。
「頼みが……ある……ウルクス」
「なんだ?」
俺は周囲を警戒しながら答えた。虫は来ていない。あの男も姿が見えないが、どこにいるか知れたものではない
俺は腰のベルトに差したナイフの感触を確かめる。いよいよとなったらこいつを使わないといけないかもしれない。割に合わない仕事だ。こんなの、俺の仕事じゃないぜ。俺は虫狩りなんだ。
「カドホックの遺跡……巨人の三つ目に……明日の昼までに行ってくれ。その子を、そ、その子を連れて行ってくれ……」
「何? 三つ目? お前はどうするんだ? 一緒じゃないのか」
「もう長くは……ない。やられたよ……血が止まらない」
「何だと?!」
振り返りシャディーンを見る。右手で押さえているわき腹にそっと手を触れると、ぐっしょりと生暖かい液体で濡れていた。
「さっき吹き飛んだ時に……くそ、目が、目が回る……」
「しっかりしろ! 血を……血を止める……!」
シャディーンが前を見たまま俺の腕をつかんだ。
「私はここで降りて奴と戦う……お前は……頼む、その子を……カドホック……アレックスに渡してくれ……」
「……分かった、分かったから……大人しくしろ。こんな体で戦えるわけねえだろ! 今……包帯を、ああくそ! そんなもんありゃしねえ」
「アレックスに……頼む……その子を、ウルク――」
シャディーンの手から力が抜け、がっくりと体が横に倒れこむ。受け止めたウルクスの手が感じたのは、最早命が抜け落ちた肉体の重さだった。
「すまない……」
呟いても、その言葉を聞く者はいない。
ここからは一人で行かねばならない。
荷台の木箱が落ちないようにもう一度くくりなおす。内側の子供は寝ているのかピクリとも動かない。だがさっき顎虫に踏まれたせいか、ガラス面にひびが入っていた。手をかざすと冷気がシュルシュルと漏れている。散乱していた幌の生地を破り取って隙間に詰めたが、それでいいのかは分からなかった。
倒れたシャディーンの手からマギーの手綱を取り、代わりに御者台に座る。
あの黒い面の男は来ていない。さっきタナーンが撃って、それでくたばったのか。くそ、俺は……何の役にも立っていない。カシンダめ! ガブレスめ! お前らのせいでもあるぞ。俺なんぞに警護をやらせやがって。
カドホックまではあと
細い月の下で光はなく、さっきの戦闘で発光機も失った。頼りはマギーの感覚だけだ。
道は岩場が多くなり起伏も激しく、降りて荷台を押してやらないと動けないところもあった。それでも何とかセム川沿いに上流に進み、あと数タルターフでカドホックというところまできた。過去に二度来たことがあるが、大体の位置関係は覚えている。シャディーンが言っていた巨人の三つ目も分かる。
だが、ここにきてもう虫車は使えなくなった。完全に岩場になり、虫車では走れないのだ。マギーも困惑したように立ちすくんでいる。
「あと少しだが……こんなもん、どう運べばいいんだ?」
徒歩でも二時間も行けばつくはずだ。夜明けまでには十分間に合う。シャディーンは昼までにたどり着けと言っていたから、それなら問題ない。
しかし、この木箱はとても運べそうにない。試しに持とうとしてみたが、とても無理だ。大人の男一人より重い。背中に半分乗せて引きずっていくことはできるが、
それにさっきから様子がおかしい。
金属の筒は青っぽい光を放っていたはずだが、今は緑色だ。それに筒の中で盛んに何かが動く音がしていて、中の空気を何度も吐き出している。
これが何の機械かは分からんが、具合がおかしくなっていることは分かった。
どうすればいいんだ? シャディーンは……子供を連れて行ってくれと言っていた。だとすればこの金属の筒は不要なのか。子供だけなら担いでいくことも不可能ではない。しかし、無理に筒を壊して出していいものなのか……俺にはわからなかった。
「かくせいしょりをかんりょうしました」
「何? 何だって?」
筒がしゃべった。何とかが……完了した? そう聞こえた。
俺が泡を食っているうちに、筒は動き出した。上半分が開いて下のほうにずれて、子供の姿が見えるようになった。
男……女か? 十か十二か、そのくらいの年齢だ。
「はあっ! が、はあっ!」
子供は急に眼を見開いて飛び起きた。激しくせき込み、口と鼻に入っていた管が抜け落ちる。口や鼻からは汁がボタボタと零れ落ちていた。
起きたのか? これでいいのか、シャディーン。こんなことならもっと俺を信用して事情を話しておいてくれればよかったのに。
「お、おい……大丈夫か」
俺はなるべく優しい声で話しかける。
「あ……あぁ? は……誰……」
筒の出す光で顔が見えるが、まだ寝ぼけたような顔をしていた。
「俺はウルクス。シャディーンとタナーンに頼まれてお前を運ばなきゃいけない。分かるか?」
「シャディーン……?」
子供の目はまだ視線が定まらない様子だったが、何かを思い出したように顔を上げた。
「シャディーン! ここは……お前誰!」
子供は慌てて起きようとするが、足元に転がってる管に足を引っかけて転んだ。明らかに怯えて、尻餅をついたまま後ろに下がっていく。
「落ち着け! 落ち着けよ。俺はウルクスだ」
「……シャディーンは? タナーン! どこ!」
子供は二人を探し周囲を見回す。だが何も見つからず、不安そうな目で俺を見ている。
くそ。なんて言えばいいんだ。二人は……。
「タナーンは……ここに来るまでに虫車から落ちた。そして……多分死んだ。シャディーンもやられた。ここにいるが、死んでる」
俺は御者台を指さす。シャディーンはまだそこで横になっていた。
「そんな……! シャディーン……タナーン! 助けて! お願い助けて!」
子供は荷台から飛び降りるようにして走り出した。
「おい待て! 勝手に動くな!」
あの黒い面の男が近くにいないとも限らない。勝手に動かれては守れるものも守れなくなる。くそ。今度は子守かよ。
「助けて! 誰か――」
ばたりと子供は地面に倒れこんだ。そして動かない。
「おい大丈夫か? おい!」
子供は地面に突っ伏して気を失っているようだった。息はしているから、死んではいない。
「くそ……くそ……どうしろってんだ?」
虫車は使えないから徒歩で行くしかない。そしてこの子供を連れて行かねばならない。
こいつが意識を取り戻したら色々確認したいことはあるし、俺が悪人ではないというのも説明する必要がある。しかしここでのんきに待ってもいられない。さっきの黒い面の奴が来るのを歓迎するようなもんだ。
少なくとも、人目につかないところに移動しなければ。
俺は子供を背負い、虫車から荷物を取る。マギーの綱は外して、前進の信号を送って自由にしてやる。マギーは不思議そうにしていたが、やがて森の方へと消えていった。こんなところに置き去りにすれば嬲り殺されかねない。タルカスじいさんは悲しむだろうが、こうするしかない。
「シャディーン……このガキは、必ず送り届ける」
シャディーンの亡骸の瞼を閉じ、幌の切れ端をかけておく。埋葬している時間はない。
巨人の三つ目には何があるのか。シャディーンはアレックスと言っていた。人の名前らしい。
一体何が待っているのか。分からない。分からないが、シャディーンとタナーンの為にも、前に進まなければならない。
※誤字等があればこちらにお願いします。
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