第4話 節目

 招かねざる厄介な客が来たのは、御庭園の樹木が軽く紅葉がかった2002年10月22日の事だった。

 厄介な客とは玄鬼の実働部隊の長、周防の綺紋と熱田の鍵旗で、摂理最右翼の南部家に擦り寄りたいのが、慇懃無礼も見え見えだった。

 史実玄鬼滅亡から800年の大節目で事を大きくしたく無いは、実戦部隊ならではの玄鬼の綱紀粛正相成らずと達観だろう。摂理にとっても安易な妥協は望むべくも無いが、最右翼の南部家が世代交代中であるならば、一定の留めは必要と普段から御当主伊万里さん執政撫子さんとの話のついに出る。

 何より、玄鬼の稀代の梟雄二人のみ自らをと無下に返すとあらば、南部家の家格が地に落ちる。会談ならずともなれば、玄鬼のその残忍さはお話及び白代の映像そのままに至るも考慮する。


 そして、どうしても気にせざる得ない事が起こった。

 大広間に案内する中で、見た目中年の齢244歳にして歴戦の覇者綺紋の左人差し指の三つほくろに釘付けになった。玄鬼の猛者ともなれば、体の部位が切り取られても、そこに施術無しで生身の部位を当てては新たに蘇生させ、鬼畜そのものを体現する。特にこの綺紋は頭以外は5度も全身移し身をしたとされ、事実上の不死を標榜している。

 何故私が左人差し指の三つほくろに注視したかは、それは鬼籍に入ったみまごう事無き父のそれだからだ。つまり綺紋は私の仇敵で、戦の過程で父の左人差し指を挿げ替えたに違いない。百代の以前の忠告の刻印とはをここで悟り、私はただ涼しげに推移を見守る事に務めた。


 会談となる大広間の席次は変則的なものだった。左右の上座で、上座右に玄鬼の綺紋と鍵旗の序列。上座左に摂理の伊万里さんと撫子さん。左の回廊には私始め兼母所が詰めた。さも厳戒体制かは庭園には警備が一切配置しておらず、この図々しさ一切関せずの南部家の総ピケに近い緊張感が御屋敷には漂っていた。


 会談は綺紋と鍵旗が、御庭園の鮮やかな紅葉の手入れ振りに感じ入り、且つ饗には嫌味に近い鯖に負けない程のとびっきり辛さを持つ花垣酒造の日本酒藪坂と、質素な地元野菜の前菜3品の、如何にも早く帰れの意が込められている。

 この饗に感じ入ってるのは鍵旗位で、冷静に言葉少なげに要所で言葉を交わす位でいつ退散するかを澄ましている。もう一人の綺紋は年長と言う事で、ただ覇気を撒き散らし、野放図に要求だけを投げ掛けてくる。それに対して珍しく沸点に達しない撫子さんが、こうとの協議をやや面倒臭くまとめた。


 私は耳を疑ったが、800年協議の内容が摂理をすぐ様割る内容だった。互いに面子を遵守する。互いに無闇に殺生しない。互いに利益を奪わない。そう休戦と言うより許容しがたい共栄で手を打ったのである。


 これで上首尾になったのが綺紋で、一人盛り上がっては止む得ず付き合いの酒席に入った。摂理の仲居に入ったのは鈴緒さん、玄鬼の仲居は朝とは違って何故かあの柔らかな乳液の香りのする明日香さんが、てきぱきとお酌しては間断無く持て成す。回廊の私と愛南さんは、ただ心穏やかに過不足の応援に徹した。


 そして悲劇は始まる。

 日本酒藪坂で真っ赤になった綺紋が無闇に絡み初めて、髪の焼けた臭いが大広間に立ち込む中、綺紋の額に二本の物騒な瑞角が隆盛し、お酌に入った明日香さんの腕をむんずと引いては、仕事着の和服の左襟と右襟を容易く引き裂き、明日香さんの程よい左乳房を音を立ててはしゃぶり尽くし、右乳房を渾身の力で揉み解した。

 明日香さんは日頃の軽やか声と違い、低い声で肉体の趣くままに激しい喘ぎ声を上げた。


 違う。明日香さんはデートだと言っては、その柔らかな乳液の香りを軽やかに残しては寄宿舎を嬉しげに出て行くごく普通のお嬢さんだ。それが情婦の様に忌々しい玄鬼に嬲られている。

 だから違う、明日香は、私の大切な妹分なの。

 ただその漏れそうな声も、百代の映像の数々でそれこそが玄鬼の所業と知ってるから、一欠片の涙も出なかった。


 そして綺紋が満喫したのか、明日香さんをとんと離すと、自らのネクタイを放り投げる。明日香さんは深く察し、立ち上がり帯を解いて一糸もまとわないたおやかな美しい裸身を照れずに晒した。ただ右手にはいつの間に短刀を握っており、両手で握り前のめりに倒れては、綺紋の心臓ど真ん中に飛び込み右に半回転ねじり上げた。

 ここで綺紋はならではの性癖がおぼろに浮かんだ。情が入った明日香さんを優しく前に差し出し、何事も無かった様に語る。


「明日香、俺は不死身なんだよ。こんな男が、この後に出てくると思うか、俺の女になれ」


 綺紋は大仰に手を伸ばし迎え入れ様とする。明日香さんはここで全裸で泣き崩れしなだれた。


 その間断、撫子さんが立膝を上げ、軽やかに右平手で空を交差させた。見えずも切り裂く空波は綺紋の右手左手の全指を吹き飛ばし、女性を抱けなくさせた。

 それは栄蔵式空波。百代の映像から撫子さんが体得に至る迄の訓練を何度も見た。素養の無い人間が行おうものなら、体内循環ままならずで自らが切断される必殺の技だ。そして。


「綺紋、800年協議は破断です。この無礼はそなたの死を持って不始末とする」


 私はその声を待ちに待って、伊万里さんから預かった日本刀を投げ入れ、伊万里さんは振り返りもせず抜群の感性で掴みいつの間に抜刀し、これも百代の映像で見た、踏足循環の武者の踏み手で綺紋を空縛りにし、日本刀の刃に乗った体内循環の斬刃で三手繰り出し、容易く綺紋を膾切りに吹き飛ばし、怨嗟を見事晴らした。


 大広間は古参の玄鬼らしい黒褐色の血が散り、私は血しぶきを受けた明日香さんの素裸をありとあらゆる布で拭う事しか出来なかった。

 明日香さんは泣きじゃくりなら、抑え込んできた身の上を話す。一人で寄宿舎に入る以上、訳ありの被害者だった。そして生首一つで畳に雁首を添えた綺紋が、声帯のみを震わし獰猛さを振るう。


「玄鬼の食事とは、生きて行く術だ。有り難く食した人間の一々を覚えてる筈もあるまい。いや、淡路島愛惜村出身の娘とあらば、そうか、いたよ供養物の最中でも明日香の様に激しく喘ぐ妻輩が。あれは最高の供養だった、抱擁も供養物も存分に堪能しては浄土に行って貰った。だから普段から言ってるんだ、青臭い子供に手を出すなと、成長すれば、また存分に全てをしゃぶりつくせると」


 明日香さんはただ嗚咽する。負の言の葉を吐ける筈が、言葉が一切出ない。真実余りあるで言葉を深く失った様だ。私がその分思いの丈を吐こうとした時、撫子さんの手が軽く遮った。


「自業自得の綺紋、最後に言い残す事は無いか」

「無い。残念だが、俺程に登りつめると、首塚に封書されても誰かが掘り起こし復活出来る。その猛攻を凌げる気概が摂理にはあるまい。玄鬼は今や100万人、そこに部位の枝分け儀式をした一般人も合わせると途方もない数になる。根気だけで勝てる時代では無い、分別はつくな」

「つく訳も無い、無間地獄に辿り着いてみせろ」


 広間に空波と斬刃の轟音がただ鳴り響き、それは綺紋の首一点だけに集中して、皮膚肉片髪部位が根こそぎ舞ったと思えば、頭蓋骨もひび割れ、脳漿と黒褐色の血と骨片が豪快に散り、綺紋の妄執は潰えた


 明日香さんは安堵か漸く気を失い、畳にそっと寝かせた。私は最初に弾き飛ばされた綺紋の両指を拾い集め、ふと顧みた。

 歴戦の猛者にして父綾辻剛健は死なず、枝分け儀式を経て玄鬼として生きているのでは無いかの確信。それは自ら溺れる事なく引き寄せてみせる。

 

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