第20章までのあらすじ

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 高校一年生の春、暗闇月夜は一人の少女と出会った。彼女はルゥラといい、自らが物の怪であることを自覚していた。一方、月夜の知り合いである小夜は、物の怪が月夜を殺すことを目的としていることを、予め伝えていた。そうであるにも関わらず、月夜はルゥラを自分の傍に置くことにする。つまり、小夜の忠告を無視したことになる。


 このように記述すれば、月夜が判断力のない、どうしようもない人物のように聞こえるが、人の判断というものは、その時、その場所の状況に深く依存する傾向があり、故に彼女がそのような判断をしたことに、彼女にすべて原因があるとはいえない。


 そもそも、人は環境に属するとともに、環境を形成する要素ともなりうる。したがって、環境から影響を受けるとともに、環境に影響を与える。その繰り返しが生じることで、人は環境を変え、それによって、自分自身をも変えていく。


 要するに、何が言いたいかというと(別に何も言いたくはないのだが)、月夜がとった行動は、論理的かつ明晰な判断のもとに成されたものだったが、それでも、このような結果が導かれた可能性も、ないとはいえないということだ。


 結果というものは、文字通り結果であって、それが実際に生じるまではどんなものか分からない。もちろん、ある程度の予測はできるが、予測が外れることはしばしばある。それは、人は思考する際に、その判断の基準となるフレームを設けるのに対して、人が属する環境にはフレームなどなく、すべての要素が含まれているからだ。この大小関係がある限り、人には現実のすべてを把握することはできず、それによって、予想外の結果が生じる可能性がいつもつきまとう。


 さて、話をもう少し生産的な方に寄せると、ある結果が得られたら、今度はその結果をどのように活かすかが重要となる。つまり、フィードバックをするということだ。これをしない限り、人は成長しないというのが、現代における一般的な解釈となっている。


 成長することを望んでいるか否か、という問題は別として、今回の件で何らかの結果が得られたわけだから、月夜は何らかのフィードバックを行うはずだ。それによって、自らの行動が軌道修正されるかどうかも、また別問題だが、しかし、何も変わらないということはないだろう。


 月夜は、まだ生きているわけだから、生きている限り、明日はやって来る。

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