第143話 帰路

 バスに乗って家に帰る。いつものことだから何の感慨もない。やっと帰れる、などとは微塵も思わない。帰らなくても構わないとさえ思う。学校に住むことができたら便利かもしれない。


 信号機は今日も立派に働いている。きっと、この国の誰よりも働いているだろう。少しも休まないし、重大な責任を背負っている。自分が大変なときには周囲の大変さに気がつかないものだ。そういうときは他者を頼れば良い。自分の大変さと相手の大変さを足して二で割ることで、偏りが解消され、ある程度の安らぎを得ることができる。これは何に関する思考だろうか。


 頭の上を通る送電線。送電線も頑張っている。彼らもずっと働いている。その内劣化して交換しなくてはならなくなるが、そうなるまで彼らは働き続けなくてはならない。


 車内にいる人間に目を向ける。


 学生が数人いた。下校時刻だから普通だ。ただし、月夜が住んでいる方面から通っている者は少ない。多くの生徒は電車に乗って帰る。


 本を読んでいる老紳士がいた。その人物を老紳士と表現しようと思った理由は何だろう。艶の浮き出た如何にも高級そうな杖を椅子の背に立てかけているからだろうか。それとも、眼鏡の片方のかけ手から奇妙な金属製の糸が垂れ下がっているからだろうか。


 バスの中で揺られているというのに、彼だけがその影響を受けずに黙々と本を読んでいる。動きに合わせて重心を調節する機構が搭載されているのかもしれない。そうでなくても、同様の機能を自然と獲得していったのかもしれない。バス車内で読書をするためだけに。


 手前に視線を向ける。


 子どもが母親らしき人物と並んで座っていた。


 子どもは大人しく席に着いている。ルゥラより少し幼い感じがした。彼女は座りながらも母親と手を繋いでいて、ときどきその手を握ったり離したりする。接触と離反の繰り返し。接触と離反よりも、繰り返しの方が真理に近いだろうか。しかし、接触と離反がすでに繰り返しを含意しているようにも思える。それとも、接触と離反が繰り返しという動作を生み出すための媒介項として機能しているのだろうか。


 窓の外をじっと見つめているサラリーマンがいた。まだ若い。この時間に帰るのはどうしてだろう。会社を首になったというわけではないだろう。なぜなら、バス停で待っているとき彼がそれらしいやり取りを電話でしていたからだ。話し口調は優れていたが、話している内容は大したものではなかった。仕事とはそういうものだ。


 良い仕事に対してお金が払われるのではない。


 お金を流すために仕事があるのだ。


 いつしか、目的と手段が入れ替わるのは珍しいことではない。

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