第29話 イリヤの誘いと万雷の拍手

「騎士団長、あなたは間違っています」


 エヴァリストさんに否定されたワロキエは、唖然とした顔をしている。エヴァリストさんは続けた。


「あなたは今回の計画にあたり、人族の領民までをも巻き込みました。それでは、わたしの故郷を襲った獣族たちとなんら変わりはない。子どもが結界の外に出ようとした時、わたしはとっさに動けなかった。あなたも何もしようとしませんでした。結界を張って民を守ったのは大聖女さまとイリヤ殿下です。大聖女さまは民を守るために、すぐにはイリヤ殿下をお捜しになれなかった。民を守るという、それほどのお覚悟があられたのです。そして、あの子をお助けになったのもイリヤ殿下でした」


 ワロキエの顔には再び怒りが浮き上がっていた。


「貴様は我ら『至高の血』の崇高な理念と凡百の民の命を秤にかけるのか! なんのために貴様を拾って育ててやったと思っているのだ!」


 エヴァリストさんは目に見えて落胆していた。


「かけますとも。わたしも元々はその凡百の民ですから。育てていただいたことには今でも感謝しています。ですが、もうあなたを尊敬し、従うことはできません」


 ふと、イリヤさんがエヴァリストさんにお菓子を渡した時のやり取りを思い出す。イリヤさんはエヴァリストさんの過去に何があったかに気づいていて、その上で彼の人間性を信じたのだろう。

 あの時の会話はエヴァリストさんの良心を確認する意味があったのだ。本当に、イリヤさんはすごい人だ。


「この、恩知らずが!」


 ワロキエはあろうことか剣を抜き放ち、エヴァリストさんに斬りかかろうとする。

 危ない! わたしがそう思う間に、イリヤさんが素早くワロキエの側面に回り、その腕に手刀を落とす。ワロキエの剣が乾いた音を立てて石造りの床に落ちる。


「この者を拘束せよ!」


 イリヤさんの命を受けた騎士たちがワロキエを取り押さえる。ワロキエはなおもイリヤさんとエヴァリストさんに罵声を浴びせかけている。イリヤさんがうるさそうに、ワロキエを拘束している騎士たちに命じた。


「そいつを城館の牢にでも放り込んでおけ。両陛下をしいそうとした大逆犯だ。地位が高いからといって温情は必要ない」


「はっ」


 ワロキエはなおも喚き立てながら引っ立てられていく。この国の貴族であり、高位の騎士にして聖職者としては、まことにみっともない姿だった。

 イリヤさんがエヴァリストさん以外のワロキエの部下たちを睥睨へいげいする。


「そなたたちはどうする? 上司のように徹底抗戦するか?」


 彼らは一様に青ざめた顔で否定した。元々、自分たちは仕方なくこの計画に加担したのだと言って。ワロキエは部下からの人望を完全に失ったのだ。

 ワロキエの部下たちから詳しい事情聴取を行うために、イリヤさんは騎士たちに彼らを連れていくよう命じた。そのあとでエヴァリストさんに向き直る。


「さて、エヴァリスト卿、そなたにも話がある」


 そうだ。エヴァリストさんはどうなるのだろう。ワロキエを糾弾したとはいえ、今日まで裏で計画の手引きをしていたのは彼なのだ。それなりの罪はあってしかるべきなのだろう。


 でも、獣族に傷つけられたエヴァリストさんの過去と人族に傷つけられたイリヤさんの過去が重なってしまい、わたしはどうしても腑に落ちなかった。

 自らの行いを悔いているエヴァリストさんを通り一遍に裁いてしまって、本当にいいのだろうか。

 エヴァリストさんはイリヤさんの前に進み出た。


「イリヤ殿下、わたしをいかようにでもお裁きください」


 イリヤさんは束の間、何かを考えるかのように目を閉じた。


「そうだな。罪には罰が必要だ」


 胸を塞がれたような気がした。わたしはイリヤさんのほうに身体を向け、彼を見上げる。


「イリヤさん、わたしは──」


 イリヤさんが優しくほほえみ、わたしの肩に手を置いた。そのままの姿勢で彼はエヴァリストさんを見据える。


「罪を償う気があるなら神殿騎士団を辞めて、うちに来ないか」


 エヴァリストさんは目を丸くして、呆けた顔をしている。


「え……それはどういう……」


「言葉通りの意味だ。神殿騎士団を辞めても、騎士の称号は残るのだろう? 護衛というのはいくらいても足りないくらいだからな。出向ではなく直接雇用したほうが面倒もない」


「ですが、わたしはカリスト領やあなた方に損害を……」


「これから返してくれればいい。俺自身、罪深い身だが、出会った人たちに贖罪の機会を与えられて今がある。だから、そなたも自分を鞭打つのではなく、前を見て罪を償っていくべきだ」


 イリヤさんに固定されていたエヴァリストさんの視線がわたしに向けられる。わたしは微笑した。聖女だった頃、公務で浮かべていた偽りの笑みではなく、心からの笑みで。


「ご心配なく。イリヤ殿下はちゃんとお給料を払ってくださいますよ」


 くすり、とエヴァリストさんが笑みを漏らす。表情を引き締めた彼は、わたしたちに向けて敬礼をした。


「お世話になります」


 その瞬間、うしろから大きな歓声がどっと上がり、劇場内を埋め尽くすような拍手の音が轟いた。驚いたわたしとイリヤさんは振り返る。

 一般席の領民たちが一様に立ち上がり、笑顔でこちらを見つめている。そうだった。わたしがイリヤさんを中心として貴賓席一帯にかけた拡声魔法は、まだ有効のはずだ。


「……やれやれ、俺たちはいつの間にか見世物になっていたようだ」


 イリヤさんも途中から拡声魔法のことは忘れていたようだ。イリヤさんは領民の前でワロキエの罪を暴くために、この魔法をかけるようわたしに頼んだのだろう。

 用意周到な彼でも、自分のした行為を失念することがあるのだ。そんなイリヤさんも可愛らしい。

 ぼやく彼を見上げながら、わたしは照れ笑いをしてみせた。


「でも、劇は中断されてしまったし、みんな命の危険を感じていたのですから、少しでも楽しんでもらえてよかったです」


「まあ、そうだな」


 イリヤさんはふっと笑ったあとで、「逆転の発想をしてくれるお前が傍にいてくれてよかった」と囁くように言った。

 それはわたしだって同じだ。エヴァリストさんのような生真面目な人を赦すことができるイリヤさんが、わたしの未来の旦那さまでよかった。わたしはイリヤさんに今すぐ抱きつきたい衝動を堪えながら、彼とほほえみ合った。

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