第26話 濡れ衣と指し示された者

 わたしたちは野外劇場の中に戻った。イリヤさんは兵たちに素早く指示を出し、黒衣の術者たちを捕縛するように命じた。フィリップ陛下たちがなだめてくれたからか、領民たちは落ち着いている。

 わたしたちが貴賓席に近づくと、フィリップ陛下が喜色を露わになさった。


「おお、イリヤ! 無事だったか!」


「はい、おじいさま。ご心配をおかけいたしました。オデットが迎えにきてくれたので、迷わず帰ることができました」


 イリヤさんが冗談交じりにほほえんでみせると、コンスタンス陛下やルイ殿下もほっとしたお顔をなさる。

 イリヤさんはわたしに視線を向けた。


「オデット、すまんが、拡声魔法を使ってくれないか。俺を中心とした周囲の声も舞台にまで聞こえるようにな」


 土属性魔法が得意なイリヤさんは、土と互いに打ち消し合う関係にある風属性魔法が苦手で、全属性の中で唯一、短縮詠唱で発動させられない。その上、使った時の効果も弱めだ。

 だから、普段は風の精霊シルフを召喚することで、その弱点を補っている。


 先刻、火球の攻撃を受けた際に自ら拡声魔法を使ったのは、シルフを召喚して命令する時が惜しかったため、そして効果の持続時間が短くても構わなかったためだろう。

 わたしはイリヤさんに頷いてみせた。


「はい。……風の神アネモスよ」


 拡声魔法を使い、イリヤさんを中心とした貴賓席一帯の人々の声が遠くまで届くようにする。

 一般的な拡声魔法は個別にしかかけられないし、持続時間も短いけれど、わたしが使う拡声魔法は一人一人にも指定した範囲内にもかけられる。今回のようにある程度広い範囲内にかけた場合、大体、一時間は効果が持つだろう。

 イリヤさんが領民たちに向き直る。


「みな、不安にさせてすまなかった。こちらを攻撃してきた術者は既に倒した。これから捕縛に向かうところだ」


 領民たちから安堵の声が上がったところで、イリヤさんは手を引いてきた男の子を前に立たせる。


「ところで、この子の両親はどこにいる?」


 男の子を目にしたとたん、すぐ駆け出したのだろう。ほどなく、男の子の両親らしき二人の男女が通路になっている階段を走りながら上ってくる。彼らがイリヤさんの前に進み出ると、男の子が両親に飛びついた。


「おかあさん! おとうさん!」


 奥さまと一緒に男の子を抱きしめながら、父親が顔を上げた。


「領主さま、ありがとうございます……! 危険を顧みずに、せがれを助けてくださって……」


 どうやら、イリヤさんが野外劇場から出た理由は、フィリップ陛下たちがご説明くださったらしい。イリヤさんは笑みを浮かべた。


「気にするな。民を守るのが領主の仕事だ。それに、礼ならこいつにも言ってくれ」


 イリヤさんに親指で示されたヴァジームさんは、腕を組んでそっぽを向いた。


「やめてくれ。ガラじゃねえや」


 イリヤさんはふっと笑った。


「さて、せっかくの舞台が台無しになってしまったが、劇団セゾンの面々は続きを演じられるか?」


 舞台に控えていた役者たちがバラバラに頷く。イリヤさんは頷き返した。


「では、最後まで続きを演じてくれ」


 イリヤさんは「黒幕と白黒つける」と言っていた。多分、劇を再開させることにも何か意味があるのだろう。そうでなければ、わざわざわたしに拡声魔法を使わせたりはしない。


「悠長なことを」


 男性の声が割って入った。その場にいた全員が声の主に目を向ける。それは、神殿騎士団長ドニ・ワロキエ卿だった。その肩書きだけでなく爵位も有しているためか、威厳のある壮年の人物だ。

 イリヤさんは気を悪くした様子もなく尋ねる。


「何が言いたい?」


「劇を再開するよりも、先になさることがございましょう? 先ほどの騒動を事前に防げなかったのは、警備体制の不備──つまり、あなたの落ち度ではござませぬか。その責任を追及するほうが先でしょう」


 今、わたしはこの男を心の中で呼び捨てにすることに決めた。


「何をおっしゃるのです。イリヤ殿下は事前に結界をご用意なさっていたではありませんか」


 わたしがイリヤさんを庇うと、フィリップ陛下も加勢してくださった。


「オデットの言う通りだ。おかげで死傷者も出なかったではないか」


「そうです。しかも、イリヤは身を挺して子どもを助けたのですよ。ドニ卿、その時あなたは何をしていたのですか?」


 コンスタンス陛下もそうおっしゃってくださった。意外だったのだろう。イリヤさんの目が驚きに見開かれる。

 ワロキエはふてぶてしい笑みを浮かべた。


「恐れながら両陛下、それは見せかけの行動ではございませぬか?」


 両陛下が眉をひそめる。ワロキエは続けた。


「イリヤ殿下はこの劇場の外に出る必要があったのではございませぬか? つまり、攻撃を仕掛けてきた術者たちに指示を出す必要が、でございます」


 もはやワロキエは、殿下という敬称こそつけているものの、イリヤさんに尊敬語を使っていなかった。イリヤさんを今回の襲撃の黒幕と決めつけているのだ。

 やはり、彼は「至高の血」と繋がっており、イリヤさんを陥れようとしているのだろうか。だとしたら、黒幕側はこの人だろうに。


 何か言ってやろうと口を開きかけたわたしをイリヤさんが手で制した。涼しい顔で首をかしげる。


「ほう? 証拠でもあるのか?」


「あなたが獣族の血を引いていることが何よりの証拠でございますよ。今も不審な獣族を引き連れているではございませぬか」


 ヴァジームさんが白けたような顔で尻尾を一振りする。イリヤさんも冷たい表情で再び問う。


「彼とは旧知の仲で、外でわたしを助けてくれただけだ。それよりも、わたしが獣族の血を引いていることが、今回の事件とどのような関係があるというのだ」


「あなたは以前から、我が国での獣族の扱いに不満を抱いていたのでしょう? それに、今は亡き、獣族の父親が捨て置かれているのも不満だったはずです。ならば、国王陛下と王太子殿下を揃ってしいし、自分が国王になろうとしてもなんの不思議もございませぬ。王妃陛下と聖女猊下は、とばっちりもよいところでございますな」


「ほう、わたしが簒奪を企んだと?」


「それ以外に考えられぬではございませぬか」


 イリヤさんは薄く笑った。


「それはありえんな」


 イリヤさんの雰囲気が急変した。妖しいほどに冷たく、鋭利な刃物のようだ。

 ワロキエは怪訝そうに口を半開きにしている。

 イリヤさんは自信に満ちた静かな声で言った。


「なぜなら、わたしがこれから本当の黒幕を言い当てるからだ」


 イリヤさんは一呼吸置くと、ある人物を人差し指で指し示した。

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