第三章 舞台の向かう先
第19話 結界の修復とイリヤの決意
パスカルさんに請われ、わたしはイリヤさんとともに再び北へ向かった。もちろん、国境の結界を完全に修復するためだ。結界は一刻も早く元の状態に戻したほうがいいため、以前のように馬に乗って急ぐ。
前と違うのは、パスカルさんとアドリーヌさんが一緒にいることと、お供がエヴァリストさんを含めた六名の騎士であることだ。
騎士たちのイリヤさんへの態度は
エヴァリストさんだけは、まだかなり隔意があるようだけれど、彼のイリヤさんへの視線も、敵意から戸惑いを含んだものに変わりつつあるように見えた。
現場に近い村で調査団の人たちと合流する。
結界が機能していない箇所は、カーシズ川沿いの開けた草地にあった。昔、国中に跨る結界を造った時、魔法陣を描くために森や林を切り開いた名残だ。川や湖の底に魔法陣を描く必要があった場合は、魔法で水をどけて作業を続けたそうだから壮大だ。
結界を構成する魔法陣を見ると、確かに魔力がほとんど通っていない。必要な魔力の量が百だとすれば、五くらいしか残っていない感じだ。
パスカルさんがしゃがみながら魔法陣の一部を指差した。
「この辺りが破損していた部分だ。既に物理的な修復は済ませてある。ただ、王都から魔力が届くには時間がかかるんでね。速やかに元に戻すためには、直に強力な魔力を通す必要がある」
その説明に、少しほっとする。もし、破損に気づかずに放置していれば、次第にここを中心としてどんどん結界に流れる魔力が漏れ出てしまっていただろう。そうなれば、多くの強力な魔物が入り込んできたところだった。
犯人たちのなそうとしていることの恐ろしさに、改めてゾッとしてしまう。
アドリーヌさんがわたしと目を合わせながら補足する。
「イリヤでも問題はないと思うけど、オデットさんの魔力を通したほうが、早くに結界としての機能を取り戻せるはずよ」
……それって、国王陛下をはじめとした王室の方々の立場が危うくならないかな。
わたしは何も気づかなかったふりをして、パスカルさんの指示に従い、彼の隣に並ぶ。パスカルさんがこれからなすべきことを説明してくれる。
「ここに魔力を直接流し込む光景を想像してみてくれ。そうだな、手は魔法陣に直接触れたほうがいい」
「はい」
わたしはしゃがみ込み、魔法陣に触れた。国中を覆う巨大な結界の魔法陣だけあって、指よりも太い線で大きな図形が描かれているようだ。「ようだ」というのは、空でも飛ばない限り、その全体像を確認するのは困難なためだ。
目を閉じる。小川が大河に流れ込む光景を想像しながら手に魔力を集中させ、魔法陣に流し込んでいく。温かいものが身体の内側から溢れ、皮膚を伝い、指先から外に出ていくのが分かる。
閉じた視界の中に眩しいほどの光を感じる。目を開けると、白い光が尾を引きながら魔法陣を駆け巡っていた。魔力の光だ。光は元から魔法陣にうっすらと残っていた淡い光に溶け込み、その勢いを弱めていった。
成功、したのかな?
パスカルさんのほうを見ると、顔が輝いている。どうやら成功したらしい。
わたしに魔法を教えてくれた先生たちなだけに、パスカルさんとアドリーヌさんは満面の笑みを浮かべた。
「さすがオデットさんだ。これで結界も今まで以上に強固になるはずだ」
「そうね。さっきの魔力のほとばしりは、本当にすばらしかったわ」
この二人って、魔法士になるだけあってやっぱり魔法が好きなんだなあ、と思うと同時に、わたしは嬉しかった。自分が教わった先生たちから褒められるというのは格別な喜びだ。
わたしに魔法を教えてくれた先生の一人でもあるイリヤさんの反応はどうだろう。
立ち上がり、イリヤさんの姿を捜す。彼はすぐうしろに立っていた。
「オデット、よくやってくれた。やはり、魔法のことはお前に任せるに限るな」
優しい笑顔でそう言われ、わたしは天にも昇る心地だった。ああ、イリヤさんの褒め言葉は胸に染み入る……。
イリヤさんはわたしの肩を軽く叩いたあとで、パスカルさんとアドリーヌさんに目をやった。
「二人にも礼を言う。報告書を提出してもらったら、また別の仕事を頼みたいから、領都に残ってくれ」
イリヤさんは他の調査団の面々にも声をかけ、わたしのもとに戻ってきた。
「オデット、結界を破損させた奴らがこの前話した連中だとすると、一筋縄ではいかないだろう」
犯人が「至高の血」かもしれないことは、信頼している相手以外には伏せておきたいのだろう。わたしが頷いてみせると、イリヤさんはこちらから視線を外し、正面を見据えた。
「だから俺は、奴らに宣戦布告する意味も込めて、広く領内にこの事態を布告しようと思う」
驚いたわたしは問いかけた。
「結界が破損されたことをですか?」
「そうだ」
「でも、このことを布告すれば、イリヤさんが領主になったことを懸念している領民たちが、ますます不安に思うかもしれません」
わたしはちらりとエヴァリストさんのほうを見た。この距離なら、彼にまでわたしたちの会話は届いていないはずだ。イリヤさんも同じ方向に視線を走らせたあとで、わたしをまっすぐに見つめた。
「確かに不安を増大させ、やはり俺が領主になるべきではなかった、と思う者も出てくるだろう。だが、民の良心を信じなくては俺もまた信じてもらえん。少なくとも、俺はそう思う」
胸をつかれて、わたしはイリヤさんの目を見つめ返した。
そうだ。隠すことも時と場合によっては必要かもしれないが、今回は民に全てを話し、できることなら協力を仰いだほうがよいのだ。
イリヤさんは少し表情を緩める。
「それに、犯人が奴らだった場合、結界の破損は必ず噂として吹聴されるだろう。そうなれば、民はもう俺を信じてはくれん」
この人は、生まれながらの指導者なのかもしれない。今、わたしはリュピテールの歴史の大切な場面に立ち会っている。そんな気分になり、胸が熱くなるのを感じた。
「そう、ですね。イリヤさんの言う通りです」
イリヤさんがこちらに向けて右手を差し出す。
「手伝ってくれるか」
「はい、もちろん」
わたしはいつも頭を撫でてくれるイリヤさんの大きな手を取り、深く頷いた。
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