第12話 怒りと薔薇

 夏場なので、わたしたちはツチグロトカゲの死体に魔法で防腐処理を施し、国境付近に来た時よりも時間をかけて領都アルシーまで運んだ。

 このツチグロトカゲが結界を通過できる特殊な個体なのかどうかを詳しく調べるため。そして、イリヤさんがちゃんと民を守るという領主の仕事をしている上に、傭兵隊長を引退したあとも武に秀でているということを示すためだ。


 イリヤさんは今でも十分領民のために頑張っているので、「そんなことをする必要があるのですか?」と尋ねてみた。イリヤさんは「こういうことも時には必要なんだ」と答え、にやりと笑った。

 為政者たる者、時には格好をつけることも大切らしい。


 それに、国境付近に強力な魔物が出た、という噂は嫌でもアルシーまで押し寄せてくるだろうから、イリヤさんが隠蔽体質でないことを領民たちに強調する意味もあるのだそうだ。これには納得した。


 台車に乗せられ、十六頭の馬に引かれていくツチグロトカゲの姿を、アルシーの人々は興味津々といった様子で見守っていた。


 城館に戻り、イリヤさんやわたしを含めてお抱えの魔法士や学者たちと調査した結果、このツチグロトカゲは特異な個体ではないことが判明した。つまり、問題があるのは結界のほうだということだ。


 結界の調査団は既に国境へ向かっており、少し遅れて王都に住む師匠たちも加わるはずだ。結界に関しては調査結果の報告を待つ必要があるだろう。

 ツチグロトカゲの死体は近くの森の土に還すことになった。

 事件はまだ解決していないとはいえ、ひとまずツチグロトカゲの件は終息を迎えた。


 だが、わたしにはまだやるべきことがある。エヴァリストさんのことだ。

 ツチグロトカゲ討伐の際、なぜ彼があそこまでイリヤさんに食ってかかったのかを確かめなければ。


 あらかじめ下調べをして、エヴァリストさんがイリヤさんの護衛を交代する時間を狙う。

 そう、イリヤさんは未だにエヴァリストさんを護衛に任じたままなのだ。多分、彼を泳がせているのだろう。


 それでも、こちらとしては不安が残る。エヴァリストさんの武術と魔法の腕が確かで、護衛として優秀なのは認めざるをえない。だからこそ、その鋭い剣先がイリヤさんに向けられたら非常に危険だ。


 廊下で待っていると、エヴァリストさんが歩いてくるのが見えた。わたしに気づいた彼は、いつもより若々しく感じられる表情で足を止める。


「大聖女さま、どうかなさいましたか」


 わたしは彼に向き直った。


「少し、お話があります」


「お話とは?」


「イリヤ殿下に関することです」


 わたしの答えに、エヴァリストさんは逡巡するような表情を水色の瞳に浮かべた。

 こういう時は強く出るに限る。わたしは「ついてきてください」と告げ、庭園に向け歩き出す。


 庭園を選んだのは室内で二人きりになるのを避けるためだ。婚約者がいる身でさすがにそれはまずいし、誰かに見られたらイリヤさんにいらぬ心労をかける。


 少し間を置いて、エヴァリストさんの靴音がわたしの歩く速度に合わせ聞こえてきた。回廊に出たわたしは中庭を目指す。

 中庭には七月という季節柄、赤、黄、白、桃色など、様々な色の薔薇が咲き誇っている。イリヤさんと一緒に花を愛でることもある場所だ。


 立ち止まると、エヴァリストさんも足を止める気配がした。振り返り、彼の姿を見つめる。エヴァリストさんが袖口につけている徽章きしょうが、強い陽射しを反射して光っている。

 わたしは口を開いた。


「ツチグロトカゲ討伐の際、どうして殿下にあのようなことをおっしゃったのですか?」


 エヴァリストさんは答えない。仕方ないので、わたしは問いを変えた。


「イリヤ殿下が獣族の血を引いていらっしゃるからですか?」


 エヴァリストさんは沈黙を守っている。

 ふと、彼が小さな声を出した。


「大聖女さまは……」


 わたしはエヴァリストさんの言葉を待った。


「大聖女さまは、本当に望んでイリヤ殿下とご婚約なさったのですか」


 思わぬ言葉に、わたしの声はひっくり返りそうになった。


「……はい?」


「なぜ、獣族の血を引く殿下をお選びになる必要があられたのです? 大聖女さまほどの魔力なら、王太子殿下とご婚約なさる道もあられたのでは──」


 目の前が真っ赤に染まったようだった。鼓動が速くなり、身体が震えそうになる。

 この人は何を言っているのだ。獣族の血を引いているとか、第二王位継承者だとか、わたしはそんなことはどうでもいいのだ。ただ、イリヤさんを好きになったから、彼もわたしを望んでくれたから、こうして婚約した。それだけだ。


「わたしはイリヤ殿下を心からお慕いしております」


 あまりの怒りに、想像していた以上に強い口調になった。

 エヴァリストさんは目をみはり、たじろいだようだった。


「……ですが、このままではあなたさまも──」


 思わずといった風にそう口にしたあとで、エヴァリストさんは、はっとしたように口をつぐむ。


「……失礼、いたします」


 エヴァリストさんはそう言い残し、逃げるように中庭を去っていった。

 あの人は何かを隠している。わたしはそう直感した。


 彼のイリヤさんへの──いや、獣族への悪感情は憎悪に近いのではないだろうか。だから、わたしにあんなにも腹立たしい質問を放てたのではないだろうか。


 このことはイリヤさんに報告したほうがいい。

 わたしは決意を胸に、薔薇の鮮やかさが眩しい中庭をあとにした。

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