【Session60】2016年08月09日(Tue)
相変わらず今日も朝から陽射しがまぶしく暑い日が続く、そんな夏の日である。学はこの日の午後から目黒駅で一樹と待ち合わせをしていた。それは例のスピリチュアル・パワーを持つと言われる八沢幸宏の件で、幸宏のサンクチュアリ(聖域)と呼ばれる建物に向かうためだ。そしてここで最後の聖戦が繰り広げられることとなるのである。学が改札前で待っていると、一樹は近づき息を巻いてこう言った。
峰山一樹:「待ってろバルボッサ。今日こそは勝負をつけてやる」
倉田学:「一樹くん、わかったから。そのバルボッサとやらと一戦を交える準備は出来ているの?」
峰山一樹:「相変わらず心配性だなぁ、学くん。君はウィルみたいだねぇ」
この一樹の言葉を聴いた学は、こうこころの中で思った。
倉田学:「一樹のヤツ。完全にパイレーツ・オブ・カリビアンのジャック・スパロウになりきってるな。そして僕が相棒のウィルかい。正義は勝つ。これがハリウッドのシナリオだ。とりあえず一樹に任せれば大丈夫だ!」
こうして学と一樹は幸宏のサンクチュアリ(聖域)と呼ばれる建物に向かった。建物に近づくと大勢のひと達が押し寄せていた。学と一樹はそのひと達に紛れて建物の中へと入って行った。そして中央ホール会場に並べられた椅子に腰掛け、幸宏が現れるのを待っていた。すると幸宏はいつもの調子で、ひな壇の最上部にゴンドラに乗って降りて来たのである。そしてこう言った。
八沢幸宏:「安心してください、ついてます。わたしは持ってます。スピリチュアル・パワーを持ってます。皆さんに分けられるだけついてます。今日はたったの30万円。これも何かのご縁です」
こう幸宏が言うと、一樹が立ち上がりこう言った。
峰山一樹:「先生、こないだは特別に50万円から30万円って言ってたのに、今日も30万円なんですか?」
こう一樹が幸宏に向かって言うと、幸宏は嫌な顔をしてこう答えた。
八沢幸宏:「なんだ君か。わたしはスピリチュアル・パワーの波動の種類を何種類か持っているんだよ。今日の波動は30万円に値する波動なんです」
このなんとも苦しい説明に一樹は勿論納得せず、そしてこう言った。
峰山一樹:「こないだの話だと明日以降は50万円、今日はたったの30万円って説明でしたよ。これって変じゃないですか?」
この話を黙って聴いていた会場のひと達は急にざわめき出し、そして口々にこう言ったのだ。
会場の皆んな:「どう言うことか説明してください、先生!」
幸宏は苦し紛れにこう言った。
八沢幸宏:「安心してください、ついてます。わたしは持ってます。スピリチュアル・パワーを持ってます。ディスカウントと言うヤツです」
一樹は待ってましたとばかりに、幸宏にこう言ったのだ。
峰山一樹:「皆さん聴きましたか。ご縁を大切にするひとが、ご利益をコストダウンしちゃいました。スピリチュアル・パワーって値下げ出来るんですね」
この一樹の言葉を聴いた会場のひと達は一斉に立ち上がり、説明を求めるため幸宏に詰め寄って行った。幸宏のお付のひとや弟子達は、それを制止しようと幸宏を囲みガードしていた。そして学や一樹の元にも、幸宏の弟子が詰め寄って来たのだ。会場は揉みくちゃになり、ただならぬ雰囲気に包まれた。一樹は近づいてくる幸宏の弟子を制止させながら学にこう言ったのだ。
峰山一樹:「学くん、後は任した。僕はジャック・スパロウだ。美味しいところをウィルに譲るのがジャック・スパロウの男らしさだ」
一樹のまたもや訳のわからない指名に学は少し困ったが、学の思っていることを幸宏に向かってこう言ったのである。
倉田学:「僕はスピリチュアル・パワーがあるかどうかはわかりません。でも仮にあるとしたら、それはひとや物(場所)から貰うものでは僕はないと思うんです。自分自身の魂(霊性)は自分で磨くものだと思います。それに、自然の中のスピリチュアルスポットとかは、そこで自分自身を自分で磨くことに意味があるんじゃないでしょうか。僕は心理カウンセラーなので、そういった場所で五感覚を研ぎ澄ませ、しっかりと向き合うことが大切だと思います」
倉田学:「それはひとから貰うものでもないし、またその場所から貰うものでもない。自分自身でしっかりと向き合い。そして感じ取ることだと思います。それをこころで向き合うのか、魂(霊性)で向き合うのかは本人が決めることだと僕は思います」
こう学の思っていることを素直に幸宏にぶつけてみた。すると幸宏は学の言ったことに対して言い返すことが出来なかった。会場のひと達も学の話をじーっと聴いていた。学が話し終わるとまた会場は揉みくちゃになり、その隙に学と一樹は幸宏のサンクチュアリ(聖域)を後にしたのだ。そして一樹は学にこう言った。
峰山一樹:「学くん、君ってヤツは美味しいとこだけ持っていくんだから。やっぱりハリウッドのシナリオだな。うん、正義は勝つ!」
こう一樹は学に向かって言った。学は内心、面白くなかった。それは一樹が勝手に学に振っときながら、あたかも自分の手柄のような表情を浮かべていたからだ。そして結局、学が最後の後始末をさせられたように学には感じられたからであった。
しかし学には、一樹が一緒について来てくれて心強い部分もあった。その部分では感謝していたのだ。また学は今回の件で、如何わしいカウンセラーが少なくなることを望んでいた。これはカウンセラー業界そのものの問題でもあり、そこに身を置くひとりの心理カウンセラーとして、学はクライエントやこれらの業界の在り方に問題があるように感じたからだ。
だからと言って資格で縛り、資格を持っているひと達だけが良いカウンセラーとも言えず、こころと向き合う仕事に、資格と言うのも違うのではないかと思っていたからである。もっと本質的なことをわたし達は観ないといけないのではないかと、学は常々思っていたからだ。その本質とは哲学だったり、死生学、宗教学、神学、神話、美学、民俗学、文化人類学、言語学などの中に隠されていると学は思っていた。またこれらのことを学は一通り自分で学び、本質とはどう言うものか学自身の中にあったからだ。
その中でも学が一番大切にしていたのは人格(人間性)である。この部分については教えようとしても教えられるものではない。いろいろと自分で経験し、自分で感じ取って育てていくしかない。ただ言えることは模範となって行動し、その姿を魅せて行くことで、後は育って貰うことを祈ることしか出来ないからである。
しかしカウンセリングに限らず、ラポール(信頼関係)を築くには自分と言う人物を知って貰い、そして相手にもこころ許せる相手であることを認めて貰う必要があるのだ。こうしてお互いがお互いを尊重し分かり合おうとした時、初めて対等に話が出来ると学は思っていたからであった。それは親子の間でも同じで、同じ目線に立つことにより、こころ許し合えるのではないかと思っていたからだ。勿論、親を尊重することは当然なのだが、全ては対話なしに始まらないと、学は心理カウンセラーをしていて常々思っていたからである。そんなことを考えさせられる今日の出来事であった。
その頃、新宿にある透のお店『新宿歌舞伎町ホストクラブ ACE』では、透の誕生日パーティーの準備が進められていた。そう今日8月9日は透の28歳の誕生日で、お店には透をお祝いするために多くの女性のお客さんが押し寄せていたのだ。そしてじゅん子ママのお店からは、じゅん子ママとひとみが招待されていた。
二人は去年と同様に新宿で、18時に待ち合わせをしていた。じゅん子ママは蝶の刺繍が入ったレース地に、ラメがアクセントのエレガントなドレスに身に纏い颯爽と現れた。そして既に新宿アルタ前で立っていたひとみの傍に近づいて来たのだ。ひとみはと言うと、こちらもじゅん子ママに負けないぐらいエレガントな様相をしており、周りから注目を浴びていたのだ。二人が新宿アルタ前で落ち合うと、ひとみはじゅん子ママにこう言った。
綾瀬ひとみ:「じゅん子ママ、今日は何時もより気合入ってませんか?」
じゅん子ママ:「そうよぉ、わかる」
綾瀬ひとみ:「わかりますよ。だって、嬉しそうな顔してますから」
じょん子ママ:「だってさぁ。透ちゃんの年に一度の誕生日だもの」
こうじゅん子ママがひとみに答えると、二人は透のお店『新宿歌舞伎町ホストクラブ ACE』へと向かった。二人は道中、行き交うひと達から注目の視線を浴びていた。そして透のお店へと入っていったのだ。そこはまるでカオスのようにごった返していた。じゅん子ママとひとみを見た若いホストは、二人を別室の静かな部屋へと案内したのである。
今日この日のために、多くの若い女の子が駆けつけていた。透はと言うと、別の部屋で先輩の響とリラックスして話をしていたのだ。18時半から始まる透の誕生日パーティーは、そろそろ始まろうとしていたのであった。透と響の二人は、この日を楽しみに心待ちにしていた。それは透にはまだ明かせない理由があったからだ。一方の響にも別の理由があった。それは響は今日、ひとみがこのお店に来ることを知っていたからである。そしてひとみに再アタックしようと、こころの中で決めていたからだ。こうして透の誕生日パーティーは始まった。最初にじゅん子ママがこう挨拶をした。
じゅん子ママ:「皆さぁーん。今日は透んのお誕生日でーす さて何歳でしょう?」
こうじゅん子ママが言うと、会場から一斉に黄色い悲鳴とも思える声が聞こえてきた。
会場の皆んな:「にじゅう はっさぁーい♡」
その声を聴いたじゅん子ママは、嬉しそうにもう一度こう訪ねた。
じゅん子ママ:「もう一回、聴いてみよっかなぁー。では、何さぁーい?」
再び会場から割れんばかりの大きな声がこだました。
会場の皆んな:「にじゅう はっさぁーい♡」
するとじゅん子ママは嬉しそうに会場の皆んなに向かって、こう言ったのだ。
じゅん子ママ:「皆んなありがとう。今日は透の28歳の誕生日です。わたしも楽しむから、皆さんも楽しんでいってくださいね!」
こうじゅん子ママが言うと一気に会場のボルテージが上がり、熱気に包まれたのだ。こうしてこの後、透の先輩の響が乾杯の音頭をとったのだ。
吉岡響:「皆さん、お手元にグラスはお持ちでしょうか。では、先輩から一言。ひ・び・き・うれしーい!」
こう響が言うと、会場からどっと笑いが起きた。そしてこれを聴いていた透は笑っていたのだ。この言葉を聴いた透はこころの中でこう思っていたのである。
樋尻透:「響先輩! 美味しいとこ持っていかないでくださいよ。今日は僕が主役なんだから」
そんなことを透が考えていると、響は改めて会場の皆んなにこう挨拶した。
吉岡響:「では、改めまして。透の28歳の誕生日を祝ってカンパーイ!」
こう響が言うと、透そしてじゅん子ママ、ひとみ、会場の皆んなが一斉に喝采をあげて透の28歳の誕生日を祝ったのだ。
樋尻透 :「カンパーイ!」
じゅん子ママ:「カンパーイ!」
綾瀬ひとみ :「カンパーイ!」
会場の皆んな:「カンパーイ!」
こうして会場がひとつとなって、この後拍手がどっと湧き起ったのである。この日のために透を慕う多くの女性達が透の元に近づき、一緒にスマホで写真を撮ったり、お祝いの言葉を交わしたりしていたのだ。その時であった。透のお店のドアからひとりの女性が入ってくるのがひとみにはわかった。その女性はのぞみであった。のぞみはこの日、透から連絡を受けていた。その内容とは次のような内容であった。
樋尻透:「実は今日、俺の28歳の誕生日なんだ。もし良かったら、俺のお店で誕生日パーティーをするので来てくれないかな?」
この内容を知ったのぞみは、行くべきかどうかとても迷っていた。それは今日がみずきのお店『銀座クラブ SWEET』のお店の出勤日であったからだ。しかし彼女の気持ちはとても迷っていた。自分の都合でお店を急に休むことに対して、みずきや他のスタッフに申し訳ない気持ちがあったからである。かと言って嘘を言ってお店を休むことものぞみには出来なかった。その時、ぞみが思いついたのが学である。のぞみは以前、学に透のことを話したことがあった。そして学なら自分のこともみずきのことも良く知っている。だからのぞみはスマホで学に電話した。そしてその内容とは、次のような内容であった。
のぞみ:「もしもし倉田さんですか。のぞみですけど」
倉田学:「ええぇ、そうですけど。どうされましたか?」
のぞみ:「実は今日、 透くんの誕生日で、透くんのお店で誕生日パーティーがあるんです。でも、わたし仕事があって行けないんです」
倉田学:「その透くんの誕生日パーティーに、のぞみさんは行きたいんですか?」
のぞみ:「はい。それで、そのことをみずきママに言いたいんですけど、わたしからじゃ言いづらくて」
倉田学:「そうですか、これはのぞみさんの問題だから僕からみずきさんに言うことではないと思います。でも、僕はそれに立ち会うことは出来ます」
のぞみ:「そうですか。そうしたら倉田さん。みずきママのお店に来て貰えませんか。そしてわたしに付き添ってください」
倉田学:「わかりました」
このような内容をのぞみは学にして、みずきのお店『銀座クラブ SWEET』で、のぞみは正直に透のことについて話した。のぞみはその時、とても緊張した面持ちでみずきに話をしているのを学はみた。学はその時、のぞみを温かい眼差しで見守っていたのだ。みずきにも、のぞみがとても緊張しているのが伝わっていた。そしてみずきはのぞみに、こう言った。
美山みずき:「のぞみさん。その透くんって言うひとのこと本当に好きなの? わたしは今まで、あなたがお店やスタッフのことを大切にしていることはちゃんとわかってます。だから行ってきていいわよ。ちゃんと話してくれてありがとう」
こうみずきが言ったのだ。のぞみは嬉しそうな表情を浮かべ、みずきにお礼を言った。
のぞみ:「みずきママ、ありがとう」
これを見守っていた学も、安心して良かったとこころの中で呟いていた。それはのぞみの発達障害の特性として、頑張りすぎてしまったり、また周りのひとの評価やそれを気にして、自分を追い込んでしまう傾向があったからだ。そしてつくづく学は、職場関係や人間関係が良ければひとは成長し、またお店や会社と言った企業もそれと一緒に、成長するのではないかと考えていたからである。ひとを育てると言うことは、自己成長のために努力している姿を見せ、それが自然とスタッフや社員、そして部下に連鎖していくのではないかと学は思っていたからだ。
しかしこれは簡単そうですごく難しいことである。自分がやって魅せて、どれだけ教えられるかわからないからだ。その為には、日頃からひとが観ていないところでも、自己努力を続けて行かなければならないと学は感じていた。みずきはそれに値する人物で、彼女が今まで培ってきた辛い経験や苦しい体験があるからこそ、今の彼女を輝かせているのではないかと学は思ったからだ。そういう部分が学にとって憧れの存在に感じたのかも知れない。
こうしてのぞみはみずきのお店『銀座クラブ SWEET』で服を着替え、化粧をし直し新宿へと向かった。新宿駅まで学とのぞみは一緒に向かうこととなった。電車の中で学は、のぞみの言う透のことについて尋ねてみた。その内容とは次のような内容であった。
倉田学:「のぞみさん。のぞみさんが前に話してくれた透くんって、ひょっとして新宿歌舞伎町でホストをしているひとですか?」
のぞみ:「ええぇ、まあぁ。そうですが」
倉田 学:「そうだったんですね。今でも彼のことを好きなんですよねぇ?」
のぞみ:「ええぇ、でも再会してからまだちゃんと話してないし、自分でも良くわからないんです」
倉田学:「きっと、のぞみさんの無意識が教えてくれると思いますよ」
学はこうのぞみに言い、そして別れた。のぞみは急いで透のお店『新宿歌舞伎町ホストクラブ ACE』に駆けつけた。こうしてのぞみは今、透のお店の中で立っている。彼女は人混みを掻き分け透の方へと近づいて行った。それに気づいた透ものぞみの方へと引き寄せられて行ったのだ。二人は傍まで近づき、最初にのぞみの方から声を掛けた。
のぞみ:「透くん、28歳のお誕生日おめでとう」
樋尻透:「来てくれてありがとう、のぞみ。今日は楽しんでってね」
こう言葉を交わすと透は他の女の子達に囲まれ、その対応に追われた。のぞみは若いホストからシャンパンを受け取ると、透を遠目から見つめ、小さい声でこう呟き乾杯したのだ。
のぞみ:「透くん、本当にお誕生日おめでとう」
そのときの透は昔見たときの透とは違って見えた。しかし彼のこころの奥底を推し量ることもできず、昔の透がまだ彼の中にあるのかは、のぞみ自身にもわからなかったのだ。だがのぞみは、彼の中に昔の透があるように感じた。そしてそれを信じていたのだ。こうして透の誕生日パーティーは盛大に行われたのだった。その頃ひとみはと言うと、響から猛アタックを受けていた。
吉岡響:「ひとみちゃん。今日も眩しいねぇ。僕はマメな男ひ・び・きです。ひとみちゃんから貰ったボールペン大切に使わせて貰ってます」
こう響がひとみに言うと、ひとみは響にこう言った。
綾瀬ひとみ:「大切にしすぎてまだ使ってないんじゃないの? 別に名刺入れとかでも良かったんだけど」
この言葉を聴いた響は、ひとみに対しこう言った。
吉岡響:「いやぁー。それもいいねぇー。今度、僕にそれをプレゼントしてくれるのかなぁ?」
綾瀬ひとみ:「その中身、わたし要らないから。他の女の子にでもどうぞ」
こうひとみが答えると、響はひとみにこう言ってきた。
吉岡響:「そうだよねぇ。もう君と僕は名刺以上の関係なんだから」
ひとみはもうこの男に付き合いきれないと思い、じゅん子ママの傍でおとなしくしてようとそっちの方に向かったのだ。その時またもや響はこんなことを言ってきた。
吉岡響:「おおぉジュリエット。君と僕は本当は結ばれる運命なんだよ」
この言葉を聴いたひとみはこころの中でこう呟いた。
綾瀬ひとみ:「結局、別れる運命なんでしょ! それにわたしシェークスピアの『リア王』のコーディリアになりたくないし」
このひとみの言った意味は、皆さんのご想像にお任せするにしても、ひとみはこれ以上響と関わりたくないと言うのは間違いなかった。そしてじゅん子ママの傍でおとなしくグラスを手に持って飲んでいたのだ。そこにのぞみが近づいてきてこう言ったのであった。
のぞみ:「彩ちゃん、どうしてここにいるの?」
綾瀬ひとみ:「あなた確か、皐月(五月)の『シンデレラ杯』にいたひとよねぇ。それにわたし彩じゃなく、ひとみだから」
のぞみ:「えぇー、お店ではひとみってそう名乗ってるだけでしょ!?」
綾瀬ひとみ:「あぁー、そうね。まぁー、そうだけど…」
ひとみはこの時、のぞみと言う女性が自分の素性について知っているんじゃないかと、ピンと来るものがあった。だからのぞみの話に合わせるようにした。するとのぞみは、ひとみにこんなことを言い出した。
のぞみ:「彩ちゃん幸せだよねぇー。だって倉田さん、彩ちゃんのこと好きみたいだし、わたし応援してるからね」
この言葉を聴いたひとみは、前々から感じていた予想が的中したのである。それは学のこころの中にひとみでは無く、もうひとりの人格の彩に対する思いが強いと言うことがはっきりわかったからだ。そして彩のことを好きだと言う気持ちが、学の中にあると言うことを確認したためだ。
そのことに対し、ひとみは許せない思いがあった。それは自分と言う人格を否定し、もうひとりの彩の人格だけ認めているように感じたからである。だからひとみは学のことが許せなかった。そして逆に統合してひとみだけの人格になってやろうと言う強い思いが湧き起った。だからひとみはのぞみに対し、こう言った。
綾瀬ひとみ:「わたし決めたの。倉田さんに会ったら伝えてちょうだい。わたしはわたし。ふたりでひとりではない。わたしがわたしになるの」
のぞみ:「彩ちゃん。どう言う意味なの? わたしわかんない」
こうひとみはのぞみに言って決意を固めた。透はと言うと、相変わらず女の子達に囲まれて笑顔を振りまいていた。そこにお店の入口から透の元に、慌てて近づいて来るひとりの女性がいた。それは今日子であった。今日子は脇目も振れず透に近づき、傍にいた女性達を掻き分けて透を呼び出した。透はただならぬ今日子の様子を観て何事かと思い、二人は別室に入って行ったのだ。そうしてこう今日子から告げられた。
今日子:「あなたのおばあちゃん。今、長崎にいるみたいね」
樋尻透:「えぇ、僕のおばあちゃん?」
今日子:「そう、あなたのおばあちゃん心筋梗塞で病院に運ばれ、先日から入院しているみたい」
樋尻透:「それで、どんな状態なの?」
今日子:「そこまでわたしにはわからないわ。ただ、いろいろと調べていたら情報が入ってきたのよ。詳しく知りたかったら、協力してもいいけど」
樋尻透:「またお金を取るんだろ。とりあえずこの件は、俺の方で何とかする」
今日子:「わかったわ」
こう今日子は言って部屋を出て行った。そしてお店を後にしたのである。透はと言うと、自分のおばあちゃんがまさか長崎に住んでいるとは思ってもいなかった。しかし今日子の話しをこの時は深刻に受け止めていなかったのだ。だから気になったものの、わざわざ長崎に行ったり、連絡を取ろうとは考えていなかった。それは透自身、おばあちゃんとの想い出が殆ど無かったので、思い入れが少なかったからだ。
こうして透は、また皆んながいるフロアに戻り、盛大な透の誕生日パーティーの続きを楽しんだ。そしてこの日が、奇しくも長崎市への原子爆弾投下(戦後71年)と言うことなど、透の頭の中にはこれっぽっちもなかったのだ。こうしてこの日の夜は、遅くまで透を祝う誕生日パーティーが続き更けて行くのであった。
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