【Session57】2016年07月31日(Sun)

 朝から学のカウンセリングルームがある新宿では、慌ただしい動きがあった。と言うのも、東京都知事である舛添要一の辞職に伴い、東京都知事選挙の投票が今日行われるからだ。歴代最多となる21人が立候補し、自民党所属で国会議員の小池百合子が無所属で最初に出馬を表明し、都議会自民党は増田寛也を公認候補として出馬させた。一方、民進党はと言うと鳥越俊太郎を公認候補として担ぎ上げ、実質この三人による都知事選の争いとなった。


 学は埼玉の川口市に住んでいたので選挙権を持っておらず、学には直接関係なかったが、学のカウンセリングルームは新宿にあり、東京都庁から歩いて15分ぐらいの場所にあったので、とても他人事のようには感じていなかった。


今回の選挙の争点が、政治とカネの問題(豊洲市場移転問題)、少子高齢化問題(待機児童解消などの社会保障対策)、2020年の東京オリンピック(パラリンピック)開催費用の負担問題、首都直下地震などの災害への対策(福島第一原発)、韓国人学校への都有地貸与問題などであった。


 今回の都知事選におけるキャッチコピーは、「この東京を決める選挙」とのことで、今後四年間の都行政の政(まつりごと)がどの様に舵を切られるのか、学はとても関心を持って見守っていたのだ。学は自分なりにこれらの問題に向き合ってみた。そしてそもそも政治とカネの問題が争点にされること自体、おかしな話だと思っていたのだ。それは都税(住民税)で政を行っている役人は、当然お金や都行政の政の情報公開と言った部分について、税金を納めている都民や法人税(法人住民税・法人事業税)を収めている企業などに情報公開するのが、当たり前だと思っていたからだ。

 そして豊洲市場移転問題や少子高齢化問題などに我々も他人事とは思わず、関心を寄せる必要がもっとあるのではないかと思っていたからだ。そんなことを考えながら、この日の学のカウンセリングは始まった。この日は朝10時から、みさき一家とのカウンセリングが入っていた。そしてみさき一家は約束の時間ちょうどに学のカウンセリングルームに訪れた。


みさき:「おはよう御座います倉田さん。宜しくお願いします」

倉田学:「おはよう、みさきさん。宜しくお願いします」


 学はみさきに顔を合わしづらかった。それは先日、みずきのお店『銀座クラブ SWEET』での出来事に関係する。あの時、学は彩とみずきのお店に押しかけ、そして学とみずきのデートの結果をみさき達に知られたからだ。また学と彩の関係を、みさきはどう思っているのか気になったからだった。

 みさきの方はと言うと、先日の出来事がとても驚きだった。それはみずきが学のことを好きだと思っていたのに、みずきは学のことを振ったと言う事実を聴かされたからであった。そして木下彩と言う女性が、学のことを好きだと言うことが、みさきにもわかったからだ。その理由として、学と彩のスマホの着メロが同じジブリ映画の着メロだったからである。

 しかしこの時のみさきはそのことに一切触れず、学のカウンセリングを受けることとなった。そのことが余計、学には怖かった。それはみさきが学に対し、どう言った感情を抱いているのか学には全く読めなかったからだ。こうしてみさき一家と学のカウンセリングは始まった。


倉田学:「それではカウンセリングを始めたいと思います。宜しくお願いします」

皆んな:「宜しくお願いします」


倉田学:「それでは前回のカウンセリングで、勇気くんが話していた件ですが、何か進展はあったでしょうか?」

古澤初枝:「倉田さん。勇気が学校で『ゆう菌』と呼ばれている件ですが、この問題はわたし達が学校に言わなければならないことなのでしょうか?」


倉田学:「それはどう言う意味ですか?」

古澤初枝:「わたし達、福島県 南相馬市から埼玉県 上尾市に避難して来たよそ者だから。わたし達のことを本当に理解してくれるでしょうか?」


 この質問に学はどう答えていいか迷ったが、こう答えたのだ。


倉田学:「僕は勇気くんのことをクラスメイトや学校が本当の意味で理解することは難しいと思います。しかし何も言わなければ、勇気くんの本当の気持ちは共感して貰えないと僕は思うんです。そして僕は声を出して助けを求められるのに黙っているのは罪だと思います。自分のことを共感して貰うには、届かないかも知れないけど声に出す必要があると思うんです」


 学がこう言うと、敏夫がこう言ったのだ。


古澤敏夫:「倉田さん。俺たち一家、いや福島第一原発事故の被災者たちの気持ちを本当に理解してくれると思いますか?」

倉田学:「すいません。理解することは、経験したひと達にしかできないと思います。僕たちに出来ることは、理解ではなく共感する努力です」


 学がこう言うと、みさきがこう言ったのだ。


みさき:「倉田さん。それじゃあ、わたし達のことを共感して貰うために手伝って貰えませんか?」

倉田学:「具体的に僕は何をしたらいいのでしょうか?」


みさき:「わたし達一家で、勇気の学校に説明しに行くとき、倉田さんも一緒について来て貰えませんか?」

倉田学:「それは構いませんが、僕は何をしたらいいのでしょうか?」


古澤初枝:「わたし達や勇気の『ゆう菌』について、倉田さんからも説明して貰えませんか?」

古澤敏夫:「俺たち一家のことについて、俺は倉田さんを信用しているんだ。倉田さんなら勇気のことや俺たち一家のことについて共感してくれているからさぁ」


古澤勇気:「倉田さん、お願いします。僕は学校の大人たちを信用してないけど、倉田さんのことは信用してるから」


 学は複雑な思いだった。それは勇気が今まで学校に居ながら、その学校の大人たちを信用して来なかったと言う意味が、勇気の言葉に含まれていたからだ。そして学自身、勇気の学校にみさき達と一緒に行って、果たして勇気の抱えている問題、つまり勇気が学校で『ゆう菌』と呼ばれていることが解決出来るか、とても疑問に思ったからである。しかしみさき一家から、勇気の件で全面的に信頼され任された以上、学は自分の出来ることを精一杯やるだけだった。だから学はみさき達にこう答えた。


倉田学:「わかりました。僕なりに精一杯やらせて頂きます。具体的に僕は何をすればいいのでしょうか?」


 この学の質問に対して、初枝はすぐにこう答えた。


古澤初枝:「勇気の通う高校の上尾の森高校に一緒に来ては頂けないでしょうか? そして勇気やわたし達のことを説明して貰えないでしょうか?」

倉田学:「それは何時でしょうか?」


 初枝は少し考え、そして手帳を観てからこう答えた。


古澤初枝:「夏休みの8月3日(水)でお願いしたいと思うのですが、宜しいでしょうか?」

倉田学:「どこに何時に行けば宜しいのでしょうか?」


古澤初枝:「高崎線の上尾駅に朝10時に来て貰えませんか?」

倉田学:「わかりました。その時間に伺います」


皆んな:「お願いします倉田さん」


 こうしてみさき一家とのカウンセリングは終わった。学はみさき一家のこの問題にどう対応するか考えていた。そして学自身、この問題は学からしたら当事者ではなく第三者の立場なので、たとえみさき一家側からの依頼だとしても学の立ち位置は中立な立場で、裁判で言うならみさき一家を擁護する弁護士と言うより、裁判を執り行う裁判官の立場に近かった。

 その意味は、学がこの勇気の件について、たとえみさき達の依頼であろうと勇気の方につく訳でも、学校側につく訳でもなく、両者の意見に対して中立に話を聴き、両者が納得いく形に収めるのが学の役目であると思っていたからだ。こうして学はみさき一家を学のカウンセリングルームの玄関で見送り、みさき達のカウンセリングは終わったのである。学はみさき一家に学校に対して何を求めるか整理して書き出して置くよう伝えた。そして帰り際、みさきは学にこう言ったのだ。


みさき:「倉田さん。今夜、みずきママのお店『銀座クラブ SWEET』に来ますよねぇ。その時、わたし倉田さんをカウンセリングしますからね」


 このみさきの言葉の意味が、学には良くわかっていた。それはおそらく、みずきや彩に関することだと想像がついたからだ。そしてこの件についてみさきだけでなく、ゆきやのぞみからも質問されるだろうと思ったからだ。学はそんなことを考えながら、この日のカウンセリングを行っていた。

 時間もお昼になり学は昼食をカウンセリングルームで済ませ、新規に訪れるクライエントを待っていた。すると中年夫婦のクライエントが、学のカウンセリングルームに訪れた。そしてこんなことを学に言って来たのだ。


中年女性:「あんたさぁー。この辺じゃ凄腕のカウンセラーらしいじゃない。手からオーラとか出せるんでしょ!」

中年男性:「そうそうこの後、別のカウンセラーのところにも行くんだけど、奇跡の石(スピリチュアル・パワーストーン)で病とか治せちゃうらしいんだよ」


倉田学:「僕のカウンセリングで、そんなことは出来ませんが」

中年女性:「あなた凄腕のカウンセラーなんでしょ! こころの病をスピリチュアル・パワーで治せないの?」


倉田学:「僕は心理カウンセラーです。こころの病を治すのはクライエントさん自身です」

中年男性:「なーんだ、あんた大したこと無いんだなぁ。八沢幸宏って言うスピリチュアル・パワーを持った先生を知らないのか!?」


倉田学:「誰ですか、その八沢幸宏ってひとは?」

中年女性:「先生! スピリチュアル・パワーを持っているカウンセラーですよ」


中年男性:「その幸宏先生のスピリチュアル・パワーを貰えば、病は何でも治るし願い事は何でも叶うと言われているんだよ」

倉田学:「僕はスピリチュアル・パワーは、自分自身の魂(霊性)を自分で磨くものだと。それに願い事はひとから貰うのではなく、自分で叶えるものだと…」


中年女性:「先生、そんなんじゃ幸せ掴めませんよ。そう幸宏先生は言ってます」

中年男性:「そうそう、だから俺たちこの後、その幸宏先生にお願いしておいた奇跡の石(スピリチュアル・パワーストーン)を貰いにいくんだよ」


倉田学:「因みに、その奇跡の石(スピリチュアル・パワーストーン)ってお幾らですか?」


 その中年夫婦は声を揃えたようにこう学に言った。


中年女性:「50万円です」

中年男性:「50万円です」


 それを聴いた学は驚いてこう答えたのだ。


倉田学:「えぇー、50万円! そんなにするんですか!?」

中年女性:「そうよ。今日は幸宏先生の50歳の誕生日なの」

中年男性:「だから今日だけ特別料金の50万円で、幸せを買うことができるんだって」


 学はこの話を聴いて、同じカウンセラーとしてとても許せなかった。それはあたかもカウンセラーがクライエントの幸せをどうにでもできると言う意味合いを利用して、それを喰いモノにして商売をしているからだ。またこのことに何の疑いもなく信じるひと達がいることに対しても、残念な気持ちでいっぱいであった。学はこの日、みずきのお店『銀座クラブ SWEET』での出張カウンセリングまで時間があったので、出過ぎた真似ではあったがこの夫婦にこう尋ねた。


倉田学:「僕もそのひとに会ってみたいんだけど、大丈夫かなぁー」

中年女性:「あなた幸宏先生に勉強させて貰いなさい」

中年男性:「そうそう、君よりよっぽど幸宏先生はすごいひとだから」


 こうして三人は、目黒駅の傍にあるその幸宏のサンクチュアリ(聖域)と呼ばれる豪華な作りのお城に向かったのだ。そして学たちがそのサンクチュアリ(聖域)と呼ばれる建物の中に入ると、受付はとても煌びやかな飾りつけがされていて、高そうな絵画や彫刻と言った洋館を思わせる神殿の様な作りになっていたのだ。その受付には若い女性が数名座っており、老若男女問わず何人ものひと達がその建物に吸い込まれて行くのであった。学たちも受付の若い女性からスピリチュアルカウンセラーである幸宏の生誕50周年式典の案内と、スピリチュアル・グッズのカタログを受け取った。そして本殿へと入っていった。


 そのには幸宏が白装束の衣装に煌びやかなアクセサリーを身に纏って、如何にもギリシア神話に出てくる神様のような出で立ちで学たちを待ち受けていたのだ。そして多くのひと達がこの空間と幸宏の出で立ちに圧倒されたのだ。それは既にスピリチュアル・パワーのご利益を受け取っているかのようなそんな錯覚に陥っていたのである。しばらくして幸宏の生誕50周年式典が始まった。


八沢幸宏:「ようこそ皆さん。わたしの生誕50周年へお集まり頂きありがとう御座います。今日集まったあなた達は選ばれたひと達です。そして今日集まったひと達にだけ、わたしのスピリチュアル・パワーを受け取ることができます」


 そう幸宏が言うと、さっきまで受付をしていた若い女性が幸宏の傍まで来て、その女性に幸宏はスピリチュアル・パワーを送った。するとその若い女性は物凄いリアクションでこう叫んだ。


若い女性:「八沢先生! わたしには先生から光輪が放たれているのが見えます。そしてわたしもその力を分けて貰い、力がみなぎってくるのがわかります」


 そうその若い女性が言うと、それを観ていたひと達は口々にこう言った。


会場の皆んな:「わたしにもその力を分けてください。その力を手に入れるにはどうしたらいいのですか?」


 幸宏は待ってましたとばかりにこう言い出したのだ。


八沢幸宏:「安心してください、ついてます。皆さんもスピリチュアル・パワーを手にすることが出来ます。今日、受付でお配りしたカタログをお持ちですね。そこに載っているスピリチュアル・グッズは、今日の日の為だけの特別なものです。買う買わないは自由ですが、これも何かのご縁です。ご縁と言うものを大切にしたい方は、是非幸せを買ってください」


 この一連の幸宏の説明を聴いていた学は、幸宏が言うスピリチュアル・パワーとは、お金でどうにか出来るもので、またご縁もお金が運んでくれるものなのかと疑問に思い幸宏に学はこう質問した。


倉田学:「お金を払わないとスピリチュアル・パワーもご縁も手に入れることは出来ないんですか?」

八沢幸宏:「君、名前はなんて言うんだ!? 倉田学と言います。新宿で心理カウンセラーをしています」


 すると幸宏は嫌そうな表情を浮かべて学にこう言った。


八沢幸宏:「君はこの場所に来るべきひとではない。この場所は神聖な場所サンクチュアリ(聖域)だ。君はこの場所にふさわしくない人物だ。僕のサンクチュアリ(聖域)からとっとと出て行きなさい」


 幸宏が学にこう言うと、学は後から駆けつけた幸宏の弟子の男性に担ぎ出されて建物の外に追いやられた。学は同じカウンセラーとして、如何わしいことをするカウンセラーがいることにとても残念であり、また許せない部分もあった。そしてこころの中でこう思っていた。


倉田学:「こう言う如何わしいカウンセラーがいるから、僕たち心理カウンセラー業界全体が胡散臭く思われるんだ」


 そして学はいい事を思いついた。そうだ、アイツに仮を返して貰おう。そのアイツとは学の友人で大学時代の研究室のゼミで一緒だった一樹である。早速、学は一樹にスマホで連絡を入れた。


倉田学:「もしもし倉田だけど一樹くん」

峰山一樹:「もしもし、そうだけど。君から連絡してくるなんて珍しいねぇ」


倉田学:「一樹くん、今大学は夏休み中だよねぇ」

峰山一樹:「そうだけど、それが何か」


倉田学:「今晩、暇かなぁー」

峰山一樹:「暇って言えば、暇だけど」


倉田学:「君、銀座クラブに行きたかったよねぇー、確か」

峰山一樹:「もしかして、それって僕を誘っているのかな」


倉田学:「一樹くん、忙しいならいいけど」

峰山一樹:「学くん、君ってヤツは冷たいねぇー。僕は忙しいなんて一言も言ってないよ。むしろ暇を持て余していたんだよ」


 この言葉を聴いた学は、相変わらず調子のいい奴だなぁと思ったが、幸宏のスピリチュアル・パワーの件に協力して貰うため、一樹をこの件に巻き込むのに誘った。そして学は一樹にこう言ったのだ。


倉田学:「今晩、僕は銀座8丁目にあるみずきママのお店『銀座クラブ SWEET』に18時に行くけど、君はどうする?」

峰山一樹:「冷たいねぇー、誘いかたが。はっきり来て欲しいと言えばいいじゃないか。僕はそんな薄情な男じゃ無いよ」


倉田学:「いやぁー。最初、君乗り気じゃなかったし」

峰山一樹:「何を言う。これぞ乗りかかった船だよ」


 学はこの一樹の言葉を聴いてこころの中でこう呟いた。


倉田学:「一樹のヤツ、そのことわざ『乗りかかった船』は違うぞ、君の場合は『渡りに船』ではないか」


 幸宏のスピリチュアル・パワーの件は、石橋を叩いて渡らねばと学はこころの中で思っていたのであった。こうして学はこの日の夕方、一樹と新橋駅で落ち合うこととなったのだ。一樹はこの日、待ちに待った銀座クラブデビューを心待ちにしていた。そして学より早く約束の場所で待っていた。学が一樹に近づくと、早速、一樹は学に向かってこう言って来たのである。


峰山一樹:「やっぱり持つべきものは友達だねぇ。類は友を呼ぶとも言うが、君はやっぱり僕の親友だ。願ったり叶ったりじゃないか」


 この調子のいい一樹の言葉を聴いて、学は今から行くみずきのお店『銀座クラブ SWEET』への道は、茨の道が待ち構えているだろうと想像していた。こうして二人はみずきのお店『銀座クラブ SWEET』へと向かい、お店の中に入っていった。


倉田学:「こんばんは倉田です」

ゆき :「こんばんは倉田さん。倉田さんお店のスタッフの間で噂になってますよ」


 この言葉を聴いた一樹は、早速自分の出番とばかりにこう答えた。


峰山一樹:「おお神よ! この罪深きマナブをどうかお許しください。アーメン」

倉田学:「一樹くん、ふざけるの止めてくれない」


 するとみさきやのぞみも学たちの元に集まってきた。そして二人は学にこう言ったのだ。


みさき:「倉田さん。誰ですかこのひと?」

のぞみ:「倉田さんと一緒に来たひと誰ですか?」


 その言葉を聴いて学が一樹のことを紹介しようとした時、一樹が待ってましたとばかりに自分で自己紹介を始めた。


峰山一樹:「わたくし峰山一樹と申します。学くんとは大学時代の研究室のゼミで一緒でした。学くん人見知りだから何時も僕が相手をしてあげました。因みに大学時代の彼の成績は2番でした。そして僕はその上でした。現在僕はC大学で教授をしています」


 この物凄く嫌味な自己紹介を学たちは聴かされた。ゆきやみさき、そしてのぞみは、驚いた様子で一樹にこう言った。


ゆき :「C大学の教授ですか?」

みさき:「何を教えてるんですか?」

のぞみ:「倉田さんとは良くお会いするんですか?」


 一樹は学を引き合いに出し、自分の方が優れていると言うことを強調して自分に注目を集めさせると言うのが狙いだった。この一樹の作戦はとりあえず成功した。一樹は自慢げに彼女達に説明しだした。


峰山一樹:「そうです。僕は本当は忙しんだけど、学くんがどうしても来て欲しいと言うから。学くんとは親友の仲だから、僕はご縁を大切にする人間だからね」


 この言葉を聴いた学は一樹にこう言ったのだ。


倉田学:「一樹くん。君、嘘をついてはいけないよ。君はC大学教授では無く准教授だよねぇ。それに今、ご縁を大切にすると言ったよね。そのご縁頂きました」

峰山一樹:「君、相変わらず硬い男だねぇ。僕は来年にでも教授になる予定なんだから。実際、教授にならないかって誘いはあるのだよ地方から。それに君が最後に言ったご縁とは何だい?」

倉田学:「今日、このお店に来たのもご縁なら。今度またご縁で付き合って貰うから」

峰山一樹:「ノープロブレム。ウェルカムだよ学くん」


 この一樹の言葉を聴いた学は、この場に居合わせたゆき、みさき、そしてのぞみと言う証人がいる前で一樹からこの言葉を聞き出せたので、学はこころの中で「オーライ」と呟いた。そして次に一樹はみさきの質問にこう答えた。


峰山一樹:「僕は人文学部で哲学を教えているんだ。でも宗教学、民俗学、文化人類学、神学、言語学なんかも結構詳しかったりしちゃって。ねぇー 学くん。君も卒論で僕のお世話になったよねぇ」

倉田学:「僕は君に卒論でお世話になんかなってないよ。君が僕の卒論にちゃちゃを入れて来ただけじゃないか」


 二人のやり取りを観ていたのぞみや他の二人は、こう質問したのだ。


のぞみ:「倉田さんと峰山さんは、大学の卒論で何を書かれたんですか?」


 こののぞみの質問に対して学が答えようとしたら、一樹の奴が学より先にこう答えたのだ。


峰山一樹:「学くんは死生学(Thanatology)と形而上学(Metaphysics)の関係性で。僕は存在論(Ontology)と形而上学(Metaphysics)の関係性みたいなことかなぁ」

のぞみ:「そうすると、ふたりとも同じようなことですか?」


倉田学:「僕と一樹くんでは考え方が真逆です。僕の考えは、人間は死があるから生かされていると言うことが尊いと言う考えです。そして寿命と言う枠(時間)があるから、その中で人間はどう生きるかを大切にするかと言う哲学です」

峰山一樹:「学くん。君の哲学はいかにも善や無、そして空と言った仏教らしい西田幾多郎の哲学だねぇ。僕の哲学は存在と時間だ。マルティン・ハイデガーの哲学だよ。全ては存在から始まる。物質の認識も時間の概念も存在を認めてこそ、我々は存在するものを認識し判断して、そして存在を認めることができるが故に死や無と言うものを判断出来るんじゃないだろうか」


 この学と一樹のやり取りを聴いていたのぞみ、みさき、そしてゆきは、二人の会話について行けなかった。そしてのぞみはこう尋ねた。


のぞみ:「今日、倉田さんと峰山さんはお客様として来られたんですよねぇ?」

倉田学:「いやぁー、実はみずきさんとカウンセリングの約束をしていたのですが、一樹くんもついて来ると言ったので」


 のぞみが少し困った顔をしていると、店の奥のフロアからみずきが学たちの元に近づいてきてこう言ったのだ。


美山みずき:「あなた達どうしたの? お客様の相手をしないと」


 みずきがこう言うと、のぞみはみずきにこう言った。


のぞみ:「倉田さんお見えになってるんですが、お友達の方も一緒に来てますけど・・・」

美山みずき:「あら倉田さん。お友達も一緒なんですか?」

倉田学:「ええぇ、まあぁ」


 その時だ、一樹が嬉しそうな顔をしてみずきにこう言ったのだ。


峰山一樹:「あなたがみずきさんですね。学くんから良く聴かされています」

美山みずき:「あなたのお名前は?」


峰山一樹:「峰山一樹と申します。学くんの親友の」


 こう一樹が言うと、みずきは学と一樹を小さい個室に案内した。一樹は嬉しそうに学にこう言った。


峰山一樹:「君も罪な男だなぁ。こんないいお店を知っていながら僕を今まで誘わないなんて」

倉田学:「僕はこのお店に遊びに来てるんじゃない。出張カウンセリングで来てるんだよ!」


 学は一樹の言葉に、こう不服そうに答えたのだ。すると学たちのいる個室にみずきがやってきた。そしてこう言ったのだ。


美山みずき:「倉田さんのお友達って、さっきお店の子に聴きましたけど、大学時代のお友達だそうで?」

峰山一樹:「そうです。僕たち研究室のゼミが一緒で、坂本先生から教わったんです」


美山みずき:「倉田さんの大学時代はどんな感じだったんですか?」

峰山一樹:「学くん僕より知識はあるのに、成績は何時も僕の次の2番だったよねぇ。それに君、てっきり心理学専攻の大学院に行くと思っていたんだが・・・」


 この話を黙って聴いていた学は、しびれを切らしこう答えた。


倉田学:「その話は昔の話だからよそうよ。過去を振り返っても仕方無いじゃないか」


 この学の言葉は自分自身に言ったつもりであったが、みずきにも感じるものがあった。それはみずき自身、東日本大震災(3.11)で両親を失っていたのと、先日、学から振られる前にみずきは学を振ったからだ。そして一樹はこの二人の素振りを観てこう言ったのである。


峰山一樹:「いやぁー、僕。先日、彼女に振られちゃってさぁ。何で振られたか聴いたんだよ、その子に。そしたらさぁ、一樹さんとわたしじゃ釣り合わないんだって。僕そんなこと一言も言ってないのに、モテる男は辛いよねぇー」


 一樹はこう二人に言った。一樹の言葉は、完全に嘘であると言うことが学とみずきにはすぐわかった。二人は一樹が何を言いたかったのか何となくわかった。そしてみずきは学に向かってこう言ったのだ。


美山みずき:「倉田さん、優しいお友達いるじゃないの。わたしはもう大丈夫。倉田さん、お盆空けておいてください。また『東北被災地の旅』に行きますから」

倉田 学:「はい」


 こうみずきは学に言って部屋を出ていった。そのみずきの後ろ姿は、とても寂しそうで悲しそうな侘び姿だったように学には感じられた。一樹は何も観ていなかったかのような素振りで、テーブルに置かれたウイスキーのグラスを眺めていた。この時、学は一樹に対して「ありがとう」とこころの中で呟いた。みずきはと言うと、学から貰った和歌を思い出し、故郷の石巻のことを思いながらこころの中で和歌を歌ったのだ。


美山みずき:「ふるさとの 海山いとし美しく 清きこころの みずきかな(美山みずき)」


 この和歌をこころ込めて歌い、みずきの瞳から自然と涙が溢れ出た。こうしてこの夜は更けていったのである。


 その頃、東京都知事選の開票結果は、無所属新人で元防衛大臣の小池百合子が緑色を使った「小池カラー」で圧勝を収めたのであった。

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