第17話・人魚姫の嘆き
首を傾げる四季に、晴明は御池を泳ぐ金魚を見ろと視線で訴える。四季はもう一度水中を覗く。
――ぴちょんっ。
四季がじっと御池を覗いていると、鮮やかなオレンジ色の金魚が一匹、跳ねた。
と、思えば。
それは、瞬きほどの時間だった。
跳ねて空中に舞った金魚の朱色の鰭は鮮やかなオレンジ色のウェーブがかった長髪に、純白の胸鰭はひらひらと白いマーメイドドレスに変わっている。
そして、純白のドレスの下から覗くのは、人間の足ではなく朱色の魚の尾鰭だった。
黄金色の瞳は水面の光が反射して、眩しいほどに輝いている。
しかし、不思議とその瞳には、人と目を合わせると感じる生気のようなものを感じない。妖独特の仄暗さを称えた瞳だった。美しいが、まるで底なし沼のような、闇を秘めた瞳がゆっくりと瞬く。
空中に飛び上がった金魚は、美しい人魚に変化して四季たちの前に現れた。
背筋がぞくりと粟立つ。四季はその瞳に恐怖を覚えた。
四季は目の前の光景に、言葉を失う。
しかし、その二つの瞳が四季を捉えると、途端に人魚の表情が強ばった。
「あなたは……」
四季に対して、明らかな拒絶反応。それは四季自身に向けられたものなのか、それとも人間に向けられたものなのか。
その人魚に、四季はなにか違和感を感じた。
四季と人魚は一定の距離を保ったまま、無言で見つめ合った。
そんな二人の様子に構うことなく、晴明は人魚を紹介する。
「四季さん、こちら人魚の
「えっと……み、ミナモ? そんな淡々と紹介されても」
四季は晴明と人魚を交互に見比べながらも呆気に取られ、上手く言葉が出ない。
すると、弓の方が先に動いた。御池の縁に立つ四季に、少し躊躇いながらも近付いてきた。弓が水の中で鰭を動かす度、波紋が御池全体に広がって消えていく。
「……初めまして。人魚の弓と申します」
「あ……初めまして」
人魚というものは、歌で人を惑わすと言い伝えられるだけあって、弓もやはりとても美しい声をしていた。
しかし弓の声にも驚いたが、四季はそれよりも妖が人の言葉を話せることに驚いた。
「妖って、人の言葉喋れるんですね」
四季の問いに、晴明が答える。
「ええ。もちろん、すべての妖が話せるわけではありませんが……。玉藻や弓さんのように、姿を自在に操れるような高位の妖などは大抵話せますね」
「……なるほど」
そうだ。言われてみれば、あの妖狐も咆哮を上げながら人の言葉を話していた。……ろくなことは言っていなかったと思うが。
「弓さん、この方は四季さんです」
「……四季様ですか」
人魚が水面に首から上だけを覗かせて、四季をじっと見つめた。四季の中で、なんとも言えない違和感が広がっていく。
これが妖の雰囲気なのだろうか。
「えっと……どうも」
「四季さん。実は今回の神隠し事件、弓さんのお兄さんが関わっているみたいなんです」
「え」
衝撃の事実に、四季はぎょっとする。弓は加害者の妖の妹だったのか。できれば先に言ってほしかった。
「お願いです。どうか、兄をこちらへ戻して」
弓は美しい声を震わせて言う。
「神隠し事件の犯人は、
戻してということは、その犯人である兄を連れてこいという意味だろうか。しかし、何人も人をさらっているかもしれない妖を、そう簡単に連れ戻せるとは思えないが……。
今回の依頼は弦をこちら側へ連れ戻すこと。弓は連れ去られた人たちについては言及しない。
妖には、罪という概念が希薄なのかもしれない。
「……あの、どうして弦さんは人間を誘拐しているんですか?」
「……復讐だと思います」
「復讐?」
不穏な響きに、四季は息を呑む。
「兄は、恋人を人間に殺されているのです」
「えっ」
弓の瞳に、さらに影が差す。弓の四季を見つめる瞳は、どこか仄暗い感情が宿っているように見えた。
その理由はこれかと、四季はやっと納得がいく。
(この妖は、人間が嫌いなんだろうな……)
四季が黙り込むと、再び弓が話し始めた。
「兄は、よくこの御池から現世へ行っていました。恋人の
(御池から現世へ?)
四季は目の前の小さな御池を見下ろした。
「この御池は水のある場所すべてに繋がっているんです。いわゆる石段の水中版ですね」
じっと御池に視線を落とす四季に、晴明が説明を付け足した。
「なるほど」
「零さんも金魚の妖ではあったらしいのですが、完全な妖ではなかったようで」
四季は想像する。
恋人の妖。その恋人は果たしてどんな姿をしているのだろう。弓のように美しい人魚の姿をしているのだろうか。それとも、また別の姿をした妖なのか。
四季が悩んでいると、晴明は表情で勘づいたのか、言葉を付け足した。
「零さんは、弓さんと同じ金魚です。元々はただの金魚だった方なので、自身を自在に変化させられるとまではいえませんが……。一定の時間だけ人魚の姿に変化したり、妖と通じるだけの妖力はあったようです」
「ほぉー……」
つまり最初はただの金魚だった零は、時が経つにつれ、妖の力を得たというわけだ。四季は想像する。
「半妖みたいなもの?」
「うん。まあ、そんな感じですね」と青龍が頷く。
代々人魚の一族の
並の妖なら、三途から現世へそう簡単に移れるものではないと晴明はいう。けれど、弦ほどの妖力の持ち主であれば簡単にできてしまうとのことだった。
弦は、現世のとある池で金魚の零と出会った。
零は元々屋台で売られていたただの金魚だったが、人間に捨てられてその池に来たあと、年月を重ねるうちに、少なからず妖力をその身に宿したという。
そして現世で巡り会った弦と仲良くなったらしい。それから弦は、足繁く現世と三途を行き来して、零と愛を育んだ。
――しかし、そんな折、零が忽然と姿を消した。
前日まで特に変わった様子がなかっただけに、弦は懸命に零を探したそうだ。元々ただの金魚だった零は、妖力自体はとても弱い。零の妖力はすぐに他の気に消されてしまう。辿るのは難しかった。
それでも弦は諦めきれず、幽かな妖力を辿り、数年かけて零を見つけ出した。
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