第10話・青龍

「四季さん。妖や神……それらの存在はさすがにご存知ですよね?」

「は? はあ……それはまぁ、概念としてなら」


 目の前の状況に呆気に取られながらも、青葉の問いになんとか頷く四季。その存在は、あくまで概念としてしか認識していないし、実際にいるだなんて夢にも思っていなかったが。


「ここは、実をいうと妖や神の住まいなんです。私の本名は青龍せいりゅう。東の方角を司る神の一人です」

「…………は?」


 再び四季の思考がフリーズした。


「セイリュウ……方角……しじん? もしかして、しじんって、四神?」


 四季の中で、ピコンと閃く。


「四神の青龍!?」

「はい。私は東の方角を司る四神の一人、青龍。訳あってこのあけぼの荘に住み、古都織で働いております」

「……いや、待って、待ってください。あなた養護教諭なんでしょ? 僕の学校の」

「えぇ。非常勤ですが。職務内容はあなたの警護ってところかな」

「…………いやいやいや」

 冗談が過ぎる。

 もしかして、四季は夢でも見ているのだろうか。

 情報が一気に膨らみ過ぎて、最早なにがなんだか分からない。


「申し訳ありません。ちゃんと説明しますね。私達の方はあなたのことはなんでも知っているので、つい説明を省きたくなってしまうのです」


 初対面なのに、なんでも知ってるとはどういうことだ。青龍は戸惑い気味の四季に、さらに畳み掛けるように言った。


「まずはあなたのこと。藤原四季、十五歳。身長百五十二センチ、体重三十七キロ。スリーサイズは……」


 四季の肌が、これ以上ないほどぞわりと粟立った。


「なっ、なんで、そんなことまで分かるんですか!」


 驚きのあまり、声が上擦った。四季は冷や汗を額に滲ませながら、一歩後退る。

「落ち着いて。ほら僕、養護教諭なので生徒の体調管理も仕事のうちですから」

「プライバシーの侵害だろ!!」

「まぁまぁ、そうぷんぷんしないでくださいよ」

「僕、もう帰ります」


 とにかく、これ以上ここにいてはいけない気がする。


 四季は逃げ出すように屋敷を出る。真っ赤な彼岸花の庭を抜け、屋敷の門を出ようとして足を止めた。

 四季の目の前には、遥か先まで石段が続いていた。両脇にはふわりとゆらめく青い提灯。どこまでもどこまでも、真っ暗な闇の中に灰色の階段が果てなく続いている。


 来た時は、石段なんて登ってこなかったはずだ。これを下れば、元の世界に帰れるのだろうか。


 汗がこめかみを流れた。


 階段を見下ろし、息を呑む。到底帰れるような気はしなかった。しかし、このままここにいても状況は好転しない。そう頭では理解していても、四季は恐怖から最初の一歩が踏み出せず、門の下で立ち尽くした。


「……まったく四季さんたら、突然出ていくなんて酷いなぁ。無闇に降りたら、この異界の暗闇に閉じ込められてしまいますよ? なにをそんなに慌てているのです。この屋敷の噂くらい、京都にいれば聞いたことあるでしょうに」


 いつの間にか、隣に青龍が立っていた。足音もなければ、気配もしなかった。この人達は一体何者なのだろう。

 四季の心臓が早鐘を打つ。


「……う、噂?」

「宇治にある、化け物屋敷の噂です」

「なに言ってんの。そんなの知らない。それに、噂は噂でしょ……?」


 四季は睨むように青龍を見る。青龍は四季を見下ろし、ふっと笑った。

「まったく、往生際が悪い子ですね。この現実を目の前にしても、そう言えますか?」


 屋敷を振り返る四季を、青龍がじっと見る。四季も青龍を見つめ返した。二人の間を、沈黙が流れていく。

 と、そのときだった。


「おや。青龍、お客さんかな?」

 青龍とは違う声。四季が声のした方へ振り向くと、そこには雅やかな白い|狩衣(かりぎぬ)と|袴(はかま)を纏った見知らぬ少年が石段を上がってきていた。


 ついさっき石段を見下ろしたときは、この少年の影はまるでなかった。いつの間に登ってきたのだろう。


 石段を昇りきり、四季の前に立ったその少年は、まるで現実離れした容姿をしていた。大きなくりくりの二重の瞳に、白いツヤ肌。


 立鳥帽子たてえぼしを頭にちょこんと乗せて扇を手に持つ姿は、まさに映画の世界からそのまま飛び出してきたような、平安貴族の美少年そのものだ。


「これはこれは晴明せいめい様、お帰りなさい。こちら、藤原四季さんです。以前から晴明様が気にされていた」


 青龍の言葉に四季は眉を寄せた。


「あぁ……連れてきてくれたんだ。ありがとうございます、助かりました。僕は安倍晴明あべのせいめい。四季さん、初めましてで申し訳ありませんが、お話があります」


 青龍に晴明と呼ばれたその少年は、声変わり前なのだろうか。大人の男にはなっていない、少年のあどけない声で四季に言った。


「……えっと、あの」


 いきなり現れたこの少年まで、また話をさせろというのか。四季は困惑する。自分は今すぐにでも、ここから帰りたいというのに。


「話したいことというのは、あなたのご両親のことです」


 この不可思議な屋敷から帰る術を知らない四季は、素直に頷くしか術は残されていなかった。

 それに、両親のこととは一体……。四季はもう一度晴明を見つめた。

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