第6話 十六夜の出逢い
呪文を唱えた途端、白銀の煌めきが流星が如くセレーネの身体から溢れ出る。それらの光は形を為し男の腕を包み込み、夜の静寂が戻る頃には、失われた筈のそこは完全に再生していた。
最後のひと粒が夜闇に霧散して消えたのを合図に、誰かが放心したように息をつく。と、今しがた腕を再生された男のまぶたが微かに開いた。固唾を呑んで見守っていた周りの兵士達が、一斉に彼に声をかける。
「……っ!司祭様!お目覚めになられましたか!?」
司祭様司祭様と、すがるような声音で幾度も呼ばれ、セレーネの膝枕で横たわっていたその男性はようやくしっかりと目を覚ました。
「聞こえていますよ、こんな夜分に騒々しい。自分は大丈……っ!?」
若干気だるげに髪をかきあげ、すぐにハッとなった司祭の男が今使ったばかりの自分の右手を見つめる。一度は失ったはずのそれを数回握ったり開いたりを繰り返した後、彼の口から溢れた本音は『信じられない……』と言う、疑いとも感嘆ともとれる一言であった。
「意識ははっきりされているようですし、もう大丈夫そうですね。右手に違和感はありませんか?」
「ーっ!えぇ、大丈夫です。ありがとうございます、可憐なお嬢さん。時にお前達、こちらの女性はどなたです?」
治療が大丈夫であったか確認したセレーネに向き直り不思議そうな顔になる司祭の彼に、一部始終を見ていた兵士達は一斉に事の次第を語り始めた。
「司祭様と衛生兵がやられてあの廃遺跡から脱出した後、川辺に現れたこの方が治療を買って出て下さったのです!何でもながしの治癒術士様だとか」
「警戒して不躾な態度を取った我々に怒ることすらせず自らの身体を使い癒し手である証明までしてくださいました。本当に、感謝してもしきれません」
「加えて食いちぎられた司祭様の腕を数分と掛からず再生させたそのお力……!お見逸れ致しました。是非何かお礼をさせてください」
「えっ!?いえ、そんな、私はそんな大層な者では……!本当に、お気になさらないでください。あなた方の命が救われて、何よりですわ」
両手を組みながら困り顔で微笑んだセレーネの姿を見て、誰かが無意識に『聖女様』と呟く。途端に先程の比じゃなくざわめいた兵士達に、セレーネはこれ以上の長居は危険だと判断した。
聖女と言う単語から連想されて教会に連絡でもされたら、今度こそスピカ大聖堂の者達はセレーネを消すだろうと。
「そう言えばミーティアは今丁度、次の聖女選定の時期らしいな!もしや貴方様が次期聖女様なのでは?」
「あり得るな、この国は兼ねてから聖なる力の審査に魔物の巣窟に術者を放り込む儀式を行ってきたようだし……」
「い、嫌ですわ。私はただの流れ者で、聖女様だなんて恐れ多いことです。それより皆様、体力が回復次第すぐに下山された方がよろしいかと」
一瞬チラっと廃遺跡の方に目配せをしてから、神妙に申し出る。
「先程の魔物の暴走を感知して、朝にはミーティア国から調査団が派遣されるはず。彼等にお姿を見られるのはまずいのではありませんか?皆様は、ルナリアのお方なのでしょう」
その指摘に、場の空気が先程までの明るい賑わいから、不穏なざわつきに変わる。銀色に光るメガネを軽く押し上げ息をつき、司祭の男が口を開いた。
「何故、そう思われたのです?」
「難しい事ではございませんわ。皆様のお召し物の製法から判断したまでです」
星の加護を示した飾り縫いに特化したミーティアでは、服の縫い合わせの糸にも華やかな色を用い敢えて柄の一部として見せる物が主で。逆に、上質なシルクを売りにしているルナリアでは、布地の美しさを損なわぬよう縫い合わせの部分を一切表に出さない製法を用いている。そして、目の前の彼等が纏っている衣の縫い目が後者だっただけだ。
それを噛み砕いて話すと、彼等は納得したように感嘆の息を漏らした。
「服の縫い目から出身を見抜くとは。治癒力の高さといい先程からの物言いと言い、中々聡いお嬢さんですね」
「いいえ、たまたま裁縫を学んでいた際に見た本の内容を記憶していただけですので。それでは、ご納得頂けたようですので私はこれで……」
浮かべている笑みこそ優しいが、メガネの奥の銀色の瞳がすべてを見透かしてくるようでどうにも居心地が悪い。
しかし、今度こそと撤退を試みたセレーネの手首を司祭の男が掴んで引き留める。戸惑いながら振り返ると、ばっちりと視線が合ってしまった。
「まあまあ、そんなつれない事を仰らず、我々としばし語らいませんか?日の出まではまだ数時間ありますし!」
「いっ、いえ、ですが私、そろそろ帰らないと……」
「またまた!帰る先など無いのでは?刺繍を破き特徴を取り除いたようですが、貴女のそのご衣装……ミーティアの教会の物でしょう」
ビクッと跳ねた肩が、そのまま肯定の意だ。周りがざわつく中ら急に図星を突かれ固まったセレーネを司祭の男が近場の岩に座らせる。
「それに、貴女ご自身かなり辟易されているご様子。こんな闇夜に可憐な女性を一人で歩かせるなど男の名折れ!まずは食事でもしながら月夜の語らいと参りましょう!」
司祭の男の言葉に、周りの男達がサッと焚き火と携帯用のパン、更に魔法で温めたスープまで用意してくれた。カップを持つ指先が暖まり痺れるような感覚が上がってきて、そこでようやく、自分の身体が弱りきっていることを自覚する。
何日ぶりか……否、スピカ大聖堂にいた頃は同僚から押し付けられる仕事で手一杯で、普段の食事も冷めきったものしか口に出来ていなかったから、実に数年ぶりの温かい食事。ひとくち飲んだスープの温かさが、痛い程、渇いた心と身体に沁みる。
紺碧の瞳から、一雫の涙が零れ落ちた。
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