◇本当のそれは


 空はすっかり陽が昇って〈終局都市〉はうららかな春の陽気に満ちていた。

 昨日は見えなかった工業区のコンビナートも遠目に見えて、工業プラントの集合煙突からは真っ赤な排気が濛々もうもうと上がっているのがわかった。

 運転してきた血動車が元の場所に戻るべく、自動運転でゆっくりと走り出すのを見届けたアリシアが日傘をさしながら僕の隣に並ぶ。


「何を子どものように突っ立っているの?」

「ここがアリシアと姉さんの住んでた家なのかって思ってさ」

「『住んでた』じゃなくて『住んでる』家ね」


 言いながら、僕とアリシアはその家を見上げる。

 平たい屋根の真っ白な一戸建てで、欧風アンティーク調の門からは手入れされていないけれど広さのある庭が見える。玄関横にある表札はなぜか無数の掻き傷があり、かろうじて『Hel――』という文字が刻み込まれているのだけは読めた。


 ぱっと見の所感は、『放置された高級住宅』といったところだろうか。

 居住区の中でも高台に位置する立地にあり、商業区も工業区も見下ろすことができるうえ、すぐ近くの公園は満開のチゾメホムラが咲き誇って絶景。終末期以前なら相当な値段のする土地だったんだろうけど現在の周囲は空き家、というか荒れた廃屋ばかりで、目の前にある瀟洒しょうしゃな白い家は異質さすら放っていた。


 今日から僕はこの家に居候いそうろうすることになる――のだけど、なんだか現実感がない。

 本当に住むのか? 女のアリシアと一つ屋根の下で? 一緒に?

 もしかしてとんでもない状況なのでは……今さらそんなことを思い始めていると、アリシアが「ねえ」と声を発した。


「あなたの目的はなに?」


 唐突かつ不明瞭な問いに思わずそちらを見れば、アリシアは日傘を持っていない、もう片方の手には槍を携えたままじっと僕を見つめていた。胸元にお守りのように槍を抱きしめるその仕草はいまだに警戒心を持たれていることの証左だ。

 このまま同棲生活を開始しても互いの間にわだかまりを残すことは確実で、だから僕はできうる限り誠実に応えようとアリシアの方を向いた。


「目的って? 何かやりたいことがあるかとかそういう話?」


 それなら伊丹いたみさんとか学長にも聞かれたけれど……と言ったら、違ったらしくアリシアはゆるゆると髪を揺らす。


「とぼけないで。本当はすでに明確な目的があって〈終局都市ここ〉に来たんでしょう?

 そうでなければこんないつ終わるかも分からない偽装生活を受け入れるはずないもの」

「いや、それは……」

「ほらね、答えられないでしょう」


 答えあぐねる僕に、アリシアは一歩詰め寄ってくる。

 そして僕の鼻先に人差し指を突きつけた。


「だから私はあなたが自身の目的を吐くまでは家に入れさせないことにしたわ。

 答えなかったら今日は野宿してもらうことになるから。

 天気が良くてよかったわね」

「そんなめちゃくちゃな! やましいことは何もないって!」

「めちゃくちゃなのはあなたの方よ!

 そもそも私はあなたが本当にサヨさんの弟かどうかすらまだ疑っているし!」

「えぇっ、なんで⁉︎」


 僕が思わず驚きの声をあげると、アリシアは居心地の悪そうな表情のまま答える。


「だって私、まだあなたの名前を聞いていないもの」

「え……そうだっけ」


 嘘だぁ。絶対どっかで名乗ってるって。名乗ってるよな? あれ?

 首をかしげまくる僕に、アリシアは信じられないという視線を送ってくる。


「まさか素で気づいていなかったの?」

「うん。どっかで名乗ってると思ってた」

「嘘でしょう……完全にわざとだと思っていたのに。

 だから絶対私の方からは言わないようにしようと思っていたのよ!」

「ご、ごめん」


 これは素直に謝るしかない。

 というか名前も知らない相手によくここまで会話してくれたものだ。


「わざとじゃないなら別にいいわ。教えてくれるなら……」


 アリシアはため息をしつつ首を振っていたかと思えば、バッと僕をにらむ。


「それで結局あなたの名前はなんなの!」

「い、出雲イザヤです!」

「ふぅん。イザヤ……イザヤね」


 アリシアの口の中で自分の名前が転がされるたび、鼻の下が伸びそうになるのを全力で押さえる。恥ずかしいからそんなに何度も呼ばないでほしい。でも嬉しいからもっと呼んでほしい。

 アリシアが真赤の瞳で僕を見つめる。


「それならイザヤ、最初の質問に答えて。

 あなたの目的はなに?」


 僕は逡巡した。適当なことを言ってごまかすことはできる。

 というか、そうした方が良い気がする。確実にそうだ。――でも、



「アリシアのことをもっと知りたいから」



 気づけば僕の口からは本心が衝いて出ていた。


「んなっ……!」

 アリシアの顔がてきめんに赤く染まり、ふにゃりとたわんだ口元を細い腕で覆う。


「そ、それってどういう――」

「だって命の恩人だし、まだ何のお礼もできてないし、姉さんと知り合いだっていうし。

 僕の知らない姉さんのことも、姉さんと触れ合ってたアリシアのことも知りたいんだ」

「ああ、そういうこと。びっくりした……」


 アリシアがホッと息を吐き、僕は「それに」と続ける。


「アリシアすごく可愛いし。

 アリシアみたいな可愛い子と一緒に暮らせるってなったら、断る男はいないと思うよ」

「〜〜〜〜!」


 一瞬は平静を取り戻したはずなのに、アリシアはふたたび真っ赤になってもう片方の手に持っていた長槍の石突いしづき部分をガンガンと地面に打ちつける。


「なにが『やましいことは何もない』よ!

 むしろやましさしかないじゃない!

 このハレンチ! 変態! バカ正直!」

「あれぇ? 正直に答えたら余計に警戒されたぞぉ……?」


 なんでだ。ごまかした方が良かったのか。


「っていうか僕の方こそ聞きたいんだけど、いくら女装ができるとはいえ男子と同棲するなんて普通は嫌がると思うんだけど、なんでアリシアは受け入れたの?」


 僕の問いにアリシアは咳払いをして、後ろ髪を払う。


「もちろん、目的があるからよ」

「目的?」


 僕が首をかしげると、アリシアは不敵な笑みを作る。


 ……何か嫌な予感がする。


 そのまま錆びた玄関の黒い門に手をかけると、僕の方へ振り向く。

 そうして、とんでもないことを言った。


「イザヤ、人殺しはできる?」

「…………はい?」

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