夜明けの章
俺は莫迦だ。どうしようもない莫迦なのだ。
俺が今から意地汚くも悪あがきのように書く、この文章は俺の全てだ。俺のこころの奥底からの叫びだ。嗚呼、書き殴らずにはいられぬのだ。
俺は生まれる場所を間違えたのだ。生まれる時代を間違えたのだ。そもそも生まれたこと自体間違いだったのだ。俺のような
俺の道は、俺の辿ってきた人生は後悔ばかりだ。悔いても悔いても悔い切れぬ、陰鬱にして何の意味もないようながらんどうの人生だ。ただ空気を無駄に吸い、飯を無駄に食らうだけのしょうもない男を、今まで生かしてくれた全てのものに感謝をする。そして俺は全てを恨むだろう、怨むのだろう。
始まりは何時のことだったのだろうか。
どうか己の罪を他人へと浅ましく
これは、誰に宛てた手紙でもない。俺の本心をひたすらに書き殴った、世界で一等稚拙な遺書だ。
どうかこれが誰にも発掘されず、古本の城と共に燃やされ朽ちることを、ただひたすらに願っている。
*
俺は五つの時に父からある真実を教えられた。それは俺がこの男の実の息子ではないという事実だった。俺は当惑し、父だと思っていた男へと詰問した。男はゆるりと首を振った。俺はたったそれだけの動作で人生で一番深く、一番長い絶望へと叩き落とされたのだ。
その男曰く、俺は男の兄の息子なのだという。俺の父は思わぬところに出来た俺を疎ましく思ったのだろう、体良く結婚したばかりだった弟へ生まれたばかりの赤子の俺を押し付けたのだと言う。その通り、俺は生まれた時から生まれ落ちるべきではなかったのだ。しかし男はこうも言ってくれた。「しかしお前は私たちの大切な息子に違いはない」と。俺はこの言葉に救われた気になったのだ。途方もない深淵に、
しかし、俺はその一年後、再び絶望の底へとその身を沈めることとなった。弟の誕生だ。何故、俺では足りなかったのだろうか。俺はもう必要無いと言うのか。幼いながら俺は思った。そして俺は悟った。どれだけ
俺はあの男を恨んだ。生まれたばかりの弟を憎んだ。その弟を産んだ女に殺意を抱いた。しかし全ては唯の八つ当たりに過ぎなかったのだ。全ては生まれてきてしまった俺が悪く、本来恨まれ憎まれ殺意を抱かれるべきはこの俺なのだ。
幸いにして俺のその小さな弟は器量も良く、要領も良かったため、俺とは違い日の差す世界で健やかに育っていった。背丈ばかりは俺の方が
彼奴の名前は「真二」とつけられたそうだ。俺と同じ「
それからさらに二年ほど経った頃、今度は可愛らしい
「真理」などと言う理知的な名をつけられた彼女は、これまた名に沿う様に賢い少女へと育った。
高等学校を卒業した俺は、部屋へ篭って本を読む事に熱中した。特に目的があった訳でも、研究したい事があった訳でもない。
精神的に向上心がないものは、馬鹿だ。
それ以来俺の生活は自分の書斎と週に一度の大学、そしてごく稀の古本屋だけで完結する様になった。
俺は、喋らなくなった。無駄に知識だけ増えたまま、莫迦のままの頭では正しい言葉が引き出せなくなった。それを悩んでいるうちに教授先生たちは会話を終え、こちらを無感情な目で見つめてくる。名由多くんは今日も喋らないのですね、きっと喋るのも億劫なのでしょう、天才には変人も多いと聞きますから。そんな会話を聞きながら、俺はこころの中でかぶりを振った。もしこの俺が天才などに見えると言うのなら、きっとそれは俺の愚かしい努力の結晶なのだろう。それに俺が何時
ある日、固く閉じた書斎へ弟が入ってきた。真二はその明るく煌めく瞳を伏せ、不安げに黙ったまま戸口でもじもじとしていた。あまり関わることもなかった相手だ、
御嬢と俺の関係は、一言で言うなれば悪くはなかった。御嬢は当然のように俺に挨拶をしにやって来た。どうやら真二は俺への相談事をそっくり御嬢に話してしまったらしい。御嬢は俺に向かって微笑み、「可愛らしい真二様を
それから更に数日後、今度は末の妹の真理が俺の書斎を訪れて来た。否、俺が呼び出したのである。彼女が御嬢と上手くいっていないことは流石の俺でも知っていた。真理が普段の生活で
*
かくして俺はこの二つの相談によって満足のゆく自分の立場を手に入れたのである。愛い
しかし数日経ってみると如何だろうか。弟も妹も新しく屋敷にやって来た器量の良い御嬢に連れ添い、俺だけがこの薄暗い深淵の書斎へ取り残されているではないか。俺の得た「兄」は儚いまやかしで、俺はまた書斎の深淵に一人取り残される罪人へと戻った。俺を置いて光の方へと歩み続けるお前たちが憎らしかった。俺のことを振り返りもせずに突き進むお前たちが恨めしかった。そしてその全てを招いたのが、俺の得意げで空っぽな助言であることが、如何しても赦せなかった。俺をこの奈落へ突き落としたのは、他でもない俺自身だったのだ!嗚呼、俺は俺が憎い。俺は自分を赦せぬのだ!自ら深淵へその身を堕としておきながら、眩しすぎる光を望むこの俺が!この後途方もない闇へ他人までも引き摺り込もうと画策するこの浅ましい俺が!俺の全てが、俺の今まで生きてきた全てが、俺は如何しても赦せぬのだ!
俺はまた、がらんどうへと戻った。
悪いのは、俺なのだ。書斎の襖を開け、日の差す外へと踏み出さなかった俺が悪いのである。弟の差し出した小刀を、自らの
障子の向こう、縁側の辺りが
俺など、お前たちが生まれてくるよりも前に死んでしまうべきだったというのに。
文机に刺さった小刀は、昔から変わらず鈍い光を放っている。俺にはこの程度の光が丁度お似合いだ。否、この様な光すら望むのも
俺の、名由多一真の深淵は、きっと
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