第2話

「あら、バロックじゃない?どうしたのかしら?」


「皇太子殿下との婚約、おめでとう……念願の地位を手に入れられたんだ、もう彼女には余計な手出しはしないでくれ」


皇太子との婚約発表を終え、屋敷にアレーヌが戻ると、弟であるバロックが彼女の自室の前で待ち構えていた。

その態度と口調は、とても歓迎している様には見えない剣呑な物だ。


「あら、何の事かしら?それより仕事はもう終わったの?」


弟であるバロックは、姉の婚約発表の場に出向いてはいない。

仕事があると、嘘の理由で出席を断ったためだ。


「とぼけるなよ」


アクセレイ侯爵家の、姉弟仲はすこぶる悪かった。

幼い自分はそこまででもなかったのだが、ある事をきっかけに弟であるバロックは姉であるアレーヌを心の底から憎む様になっている。


子爵令嬢――セリン・デ・ポストル。


帝国一の美女と囁かれるその女性を、バロックは愛していた。

だがアレーヌは、そんな弟の思い人を激しく攻撃していたのだ。


何故そんな真似をしたのか?


理由は至って単純。

自身が狙っていた皇太子が、セリンに惚れていたためだ。

アレーヌは自分にとって障害となる存在を排除するため、ありとあらゆる手を使って彼女への執拗な嫌がらせを行っていた。


――全ては皇后の座を得るために。


幼い頃は両親からの愛を求めていたアレーヌの感情は歪み、いつしか自分を愛さなかった両親を屈服させる事にその情念は移り変わっていた。

皇后にさえなれば王国屈指の名門の出である両親も、彼女を無視できず頭を下げざるを得なくなる。


その歪んだ欲望が、アレーヌを過激な行動へと走らせていたのだ。


「ふふふ、心配しなくてもいいわ。陛下からきちんとお約束頂いたもの。もう彼女に構う理由が私にはないわ」


現皇帝に取り入る事に成功したアレーヌは、婚約に当たって二つの約束を取り付けている。


一つはアレーヌが皇后となり、皇太子の思い人であるセリンは皇妃とする事。

もう一つは、彼女が男児を身ごもるまでセリンとの間に皇太子が子を作らぬという約束だ。


自身こそが正妃であり、己が子を確実に次世代の皇太子へと据える。

そういった約束を、彼女は皇帝から取り付ける事に成功していた。


当然の事ではあるが、アレーヌに都合のいいだけのそんな約束など普通なら通る訳がない。

それを通すため、彼女もそれ相応の物を皇帝に――国に差し出している。


彼女は商才において、類稀なる才を持ち合わせていた。

12歳の頃より始めた投資によって、今やその個人資産は莫大な物となっている。

それこそ、国内屈指の資産と言っていいだろう。


――彼女は皇后になる為、それを全て帝国に捧げたのだ。


「いいだろう。だがもしその言葉を破れば……」


バロックは親の仇を見るかの様に、異母姉を睨みつけた。

まるで抜き身の刃の様な冷たい眼差し。

それを受けても、アレーヌは顔色一つ変えずに微笑んでいる。


「あら、怖い。でも不思議ねぇ。絶対に手に入らない物の為に、どうしてそう必死になれるのかしら?」


「あんたには分からないさ。人を愛する気持ちなんてな」


「ふふ、そうね。生まれる前に、お母さまの元に忘れてきちゃったみたい」


バロックの問いに、皮肉ではなく本心でそう答えた彼女は、弟を残して自室に入った。

そして専属の執事に命じ、祝杯のシャンパンを用意させる。


「長かった。でもこれでやっと報われるわ、ふふふふふふふ……」


彼女は楽しげに笑う。

その後に訪れる、自身の絶望の未来も知らずに。

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