09 過去なんか ③

 午後二時までの一時間半、俺たちはみっちり杉浦の指導を受けた。俺は誰かからギターを教わるのは初めてだったし、森も俺から教わったのを除けば初めてだっただろう。やはり自発的に学ぼうとするのと、相互にやり取りのあるレッスンとでは大きな違いがある。教えることが仕事になるわけがよく分かった。


 ギターやシールドをしまっている間に、杉浦は椅子だけ片づけて出ていってしまった。よほど忙しいのか、それとも軽音部とは極力関わりたくないという意志の表れなのか。


 森と一緒にオレンジのアンプを倉庫に返却してから受付に戻ってくると、杉浦の姿は既にそこになかった。


「杉浦くんならもう帰ったよ」安竹さんがカウンターの向こうから顔を覗かせた。「支払いを済ませてね」


「またですか」


 やはり、あの教師は何を考えているか理解できない。やたら素っ気ない態度をとるくせに、わざわざ時間を割いてギターを教えた上に、お金をとるどころか払っていくのだから。


「もう少し素直になればいいのにねえ。清高の軽音部に思うところがあるのは分かるけど」


「安竹さんは、杉浦先生とは付き合いが長いんですか?」


「そうだねえ。あの子が高校生の頃からだから、もう十年以上の付き合いになるかな。いまでもたまに社会人バンドの練習で使ってくれるし。あれはほとんどお遊びのようなものみたいだけど」


 菊井に見せられた動画の、あのバンドのことだろうか。


「じゃあ、どうして杉浦先生が軽音部と関わりたがらないのか知ってますか?」


「え、まだ何があったか聞かされてないの? そりゃあ杉浦くんの言動は奇妙に見えたろうね」


 店長は、話してもいいけど長くなるから、と俺と森を待合のテーブルにつかせ、どこからともなくぬるいスポーツドリンクのペットボトルを取り出してきて、一人につき一本ずつをテーブルに置いた。持ってきた本人が真っ先にフタを開けてひと口飲み、それからおもむろに話し始めた。


「杉浦くんは軽音部の顧問だったんだ、四年前はね」


「あの杉浦先生が? 絶対に軽音部の顧問はやらないと言ってたのに」


「いまはそうかも知れないけど、あの頃は違ったんだよ。顧問を辞めざるを得なくなるまではね。まあ、順番に話していくんだけど。当時の杉浦くんはまだ教員免許をとってから二年目で、なんというか、キラキラして熱意に満ち溢れた感じだったなあ」


 現在の杉浦の様子からはとても想像がつかない。それが四年前ということは、いまの歳は二十八くらいだろうか。正直、三十は過ぎていると思っていた。


「ギターを教えてもらったなら分かると思うけど、彼、ロックに捧げる情熱も相当なものなんだよね。大学生の頃はプロのミュージシャンになることも真剣に考えてたらしくて。結局は地元の高校の先生になったわけだけど。その音楽への思い入れと、新任ならではのやる気が合わさって、これが良くない方向に働いちゃったんだなあ」


「熱が入っているのは、いいことのように思えますけど」


「うん、熱心なのはいいことだ。でも、音楽に対してどう取り組むかなんて人の自由でしょ? きみたち高校生にだって、それなりに信念のようなものがあって、それが仲間と少しずれていることに気づいたり、なんて経験もしたことがあるんじゃないかな。杉浦くんはね、自分のやり方を軽音部の生徒に押し付け過ぎちゃったんだ。いや、うちに練習しにきてくれた子たちの言葉を借りるなら、あれは部活の私物化だったってね」


「ああ……」


 俺たちが置かれている状況から比べれば羨ましいような気もするが、行き過ぎた指導で努力を強いられるのも、それはそれでストレスが大きいであろうことは容易に想像できる。


「そういえば、オレンジのアンプはあの子がよく使ってたなあ……。いや、話を戻そう。杉浦くんが暴虐を働いた結果、積もり積もった生徒たちの不満が爆発して、暴動が起きたらしい。あげくに階段から突き落とされて、鎖骨を折る大怪我をしたってさ。はっはっは」


 安竹さんは豪快に笑った。


「笑い事じゃないと思うんですが……」


「いや、笑い事にしてしまった方がいいのさ。杉浦くんは未だに責任を感じているみたいだからね」


 真意を測りかねる言葉だったが、どうやら本当に面白がっているのとは違うようだ。


 俺は四年前の溌剌とした杉浦を想像しながら考えた。全て、杉浦は杉浦なりに良かれと思ってやったことだったに違いない。その一件で、もしかすると杉浦は、生徒たちに裏切られたように感じたかもしれない。顧問を辞めざるを得なかったのも分かるし、もう二度とやらないと決意したのも分かる。が、それでも分からないのは——。


「そういう出来事があったなら、杉浦先生の行動の半分は理解できると思います。でも、その事件は俺たちとは直接関係ないのに、責任を感じるとかは必要ない気がするんですが」


「そうかな? 本当にきみたちとは関係ないのかな」


「それはどういう——」


「きみたちが練習すらまともにやらせてもらえないのは、なぜだと思う?」


「それは、軽音部には実績がない……」


 言いかけた俺の言葉は、尻すぼみになって消えた。


 確かにおかしい。いくら評価されてない部活とはいえ、俺たちの置かれた状況は異常と言っていい。なおかつ、先生たちは——少なくとも杉浦と顧問の橘先生は——このことに気づいているはずなのだ。それでも改善されないのは——。


——それにさ、軽音部ってあんまり評判良くないよ?


 ふいにコンビニで聞いたジャズ研の生徒の言葉が頭をよぎった。自分が内部にいるからあまり意識することはなかったが、どうやら軽音部は単に評価されていないのみならず、積極的に悪い印象を持たれているらしい。だから教員たちは軽音部について触れたがらないのではないか。橘先生は、軽音部の顧問をのではなかったか。


 だとすれば、その原因は、悪評のもととなった出来事は——。


「気づいたみたいだね。そう、きみたちが置かれた可哀想な境遇は、もとをたどれば杉浦くんのせいなんだよ」


 俺はしばらく何も言えなかった。一度に多くのことを知り過ぎて、どう反応すべきか分からなかった。


 安竹さんは、俺たちに飲み物を飲むように勧めてから、自分のものを一気飲みした。


「ふう。それで、おじさんの話を聞いて、杉浦くんのことを恨めしく思った?」


「え?」


「杉浦くんは自らの過ちに責任を感じているから、きみたちのことを気にかけているんじゃないかな。そのことについて、どう考える?」


「……そんな昔のことで、いまさら憤りを感じたりしませんし、責めたいとも思いません。むしろ同情のような気持ちの方が大きいです」


「うんうん。じゃあ、きみは?」


 基本的に黙って聞いているだけだった森だが、急に話を振られても冷静だった。


「俺も同じ意見です。俺たちにとっては、活動に協力してくれる、いい先生でしかありません」


「そうか。じゃあ、当事者たちはみんな過去なんか気にしないわけだ。ならやっぱり、杉浦くんはいつまでも引きずってないで、笑い飛ばしてしまうべきなんだ。——と、おじさんは思うんだけどなあ」


 安竹さんは白い丸テーブルに片肘をついて、物思いに沈むような深いため息をついた。


「なんとか、ならないんでしょうか」


 森が重々しく口を開いた。


「うーん、なんとかしたいんだけどねえ」


 首を傾げつつ空返事をする、愛想のいいおじさん。


 具体的にどうすればいいかまでは思い及ばないが、なんとかしたい気持ちは俺も同じだった。


 三人揃って頭を捻ったが、この日、その答えが出ることはなかった。

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