04 バンド名なんか ②

 誰も、何も言わない。


「うん、いいね」俺は先ほどよりさらに慎重に言葉を選ぶ。「小桜らしいっていうか、純粋な気持ちが伝わるというか」


「へへ、そうでしょ? 昨日、深夜の十二時までかかって考えたんだもん。——じゃあ、最後はだね」


 不意打ちの突飛なあだ名に、俺と菊井は同時にふき出した。


「え、何? お前もりりんって呼ばれてんの?」


 菊井がからかう。


「いいじゃないですか、別に」


 森はムスッとした顔で歩いてきて、小桜からペンを受け取った。


 心なしか、室内が僅かに明るくなったような気がした。ついさっきまで顔を険しくしていた修善寺も、口元を手で隠すようにして笑っている。壊滅的なネーミングセンスも、そういう効果があるのなら悪くはない。


 四つ並べられたバンド名候補の下に最後の一つを加えて、森はカチッとペンのキャップを戻した。


The Flowerフラワー Paradeパレード


 俺は、少し意外な印象を受けた。


「へえ、メルヘン? だなあ」


 情けないくらい間の抜けた感想を漏らすと、森がすかさず解説してくれた。


「メンバーの名前、です。桜、藤、菊、椿、そして、自分の下の名前は蓮です。全員、名前の一部に花が入っていると気づいたので、このように。フラワーというには和の印象が強い花ばかりですが……」


 言われてみれば、確かにその通りだった。しかし、言われてみなければ、俺では一生思い及ばなかっただろう。というか、これまで何万回と記してきた藤の字が花であると認識したことなんてしばらくなかった。灯台下暗し。


「いいねえ」菊井が上からものを言う。「気づきの男だな、はやしん」


「森です。過ちに過ちを重ねないでください」


「んで、パレードの部分の意味は?」


「それは……」


 森は言い淀んだ。なぜか、ちらとこちらに一瞥をくれる。


「ね、教えてよ」


 いつも通りの圧と距離感で小桜に言い寄られて、観念したように森は口を開いた。


「こういう名前にしておけば、また藤坂先輩のアレが聞けると思ったものですから……」


「あ、ウェルカム・トゥだ!」


 頭を抱えた。まだ俺は許されないのか。


「おいおい、後輩にまでイジられてるぞ、お前」


 菊井がバシバシ俺の肩を叩く。


「うるせあな。ほっとけよ」


 俺はそれを振り払って何か言い返してやろうとしたのだが、菊井はすでにこちらを見ていなかった。


「よし、じゃあこの案に決定で」


「え?」


 あらゆる手順をすっとばされすぎて、脳の処理が追いつかない。


「不満か? じゃあ多数決をとる。この名前が嫌なやつは挙手」


 俺独りが手をあげる。


 ちくしょう、こんなやり方は卑怯だ。


「ほらな、みんなこれでいいってさ。——というわけで、今日から俺たちは『The Flower Parade』だ!」菊井は赤いペンを使って森の字を大きく円で囲んだ。「フルネームだとちょっと長いから、略称は……『フラパレ』でいくか」


 横に小さく書き添える。もちろん汚い字で。


「フラパレ……」


 修善寺が噛みしめるように呟いた。この名前は、どうやら皆の好感触を得たようだった。


 俺だけがどうにも腑に落ちず、部屋の角で壁にもたれてへそを曲げていた。バンド名なんか所詮ただの呼称だから、と平凡な案を考えてそれで良しとした過去の自分を殴ってやりたい気分だ。——と、ふいに小桜が俺の手をとった。


「フラパレじゃ、だめ?」


 柔らかい両の掌が俺の右手を包み込み、柔らかいまなざしが俺の視界を奪った。とっさに身を退こうとしたのだが、俺の背後では壁と壁とが直交している。


 小桜は、さらに容赦なく間合いを詰めた。


「わたしたちにぴったりだと思うんだけどなー。それに、ある意味これは、バンドの顔がふじくんだって、みんなが認めたようなものだと思うんだけど」


 言っている言葉の一つ一つは認識できるのだが、全体の意味を組み立てて理解することができない。注意力が霧散してしまっている。


 右手が熱い。目元から視線を逸らせない。


 まつ毛、こんなに長かったんだ……。


「だめ?」


 もう一度、小桜は甘えた声で問いかけた。


「……いい」


 あっさり懐柔されてしまった。いや、ここまでされて意地を通せるやつがいたら、そいつはどうかしてるに違いない。俺の反応が普通だ。


「やったー!」


 小桜はパッと手を離して、小さく飛び跳ねた。


 まったく、心臓に悪い。


 咳払いをして、なんとなく皆の目を避けるように俯くと、床に日の光が伸びているのに気づいた。部室のドアが、開いている。

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