03 歌詞なんか ②

 作詞をやれとの命を受けてから二日、俺はまだ一文字も書き出せずにいた。誰も来ていなかった部室の前の通路からグラウンドを見下ろし、ぼんやりと考える。


 日本語さえ知っていれば書ける、との菊井の言いぶんは分からんでもない。が、残念ながら、俺はその日本語が下手なのだ。新歓ライブの前置きで、十二分に見せつけたじゃないか。


 初めて作詞をしたときは、腹に一物あったというか、フラストレーションというか、そういうものを言葉にしてみようと試行錯誤したのだが、今回はその取っ掛かりすら掴めずにいる。だから俺は、こうして何かきっかけになるものがないかと周囲を観察しているのだ。


「ふぁいおー!」


 真下の地面から黄色い声援が聞こえてくる。姿は見えないが、陸上部のマネージャーの声に違いない。


 やはり集中力の続かない俺の頭は、「ふぁいおー」ってなんだろう、と、どうでもいい事を考察し始めてしまった。恐らく、中学や高校の運動部に特有のやつだと思うのだが……。「ファイトー」からTの発音が抜け落ちたものだろうか。それとも、「ファイト」の後に掛け声的な「オー」がくっついたのだろうか。いずれにせよその言葉は、菊井が嫌いな「頑張れ」の意味らしい。


 頑張ることを強いられているのは、走り高跳びの練習をする男子生徒のようだった。たぶん同級生だが、名前も知らない。彼はいま、自分の身長ほどもある高さのバーに挑もうとしていた。


 低い姿勢から駆け出して、軽やかに助走して、力を溜めるようにカーブして、踏み切った。体は高く宙を舞い、優美な弧を描き、バーに触れることなくマットに落ちた。自己記録更新の瞬間だったのか、彼は小さくガッツポーズしてみせる。


「なんか、楽しそうだな」


「何がですか、藤坂先輩」


 ふいに声をかけられて、俺も跳び上がってしまった。


 音もなく忍び寄っていたのは、ギターのソフトケースを担いだ背の高い男だった。


「な、なんだ、森か……。いや、あれを見てたんだ」


 森は俺の隣に並んで、同じように下を見た。


「あれって……。ああ、高跳びですか。楽しいばかりでもないですよ。落としたバーの上に自分が落ちると、背骨折れるかと思います」


「それは痛そうだ。——って、詳しいんだね。やってたことがあるの?」


「はい。中学の時は陸上部で、三年間高跳びをやっていました」


 俺は、森の引き締まっていて縦に長い体を見た。


「ああ、なんかしっくりくるかも」


「よく言われます。あそこで練習されてるのは、同じ中学で先輩だった方です。確かに、なんだか楽しそうですね。自分と練習していた頃よりも」


 それは、応援してくれる女子マネージャーがいるから、という意味だろうか。気にはなったが、森の様子があまり愉快そうではなかったので躊躇してしまった。


「森は、どうして陸上部じゃなくて軽音部に?」


 結局、当たり障りのない質問をするにとどめる。


「それは最初に言ったように、先輩達の演奏がとても……。いえ、なんとなく、楽しそうだったから、かもしれません」


「そっか。誰か、この人と一緒だったら楽しそう、みたいなのが?」


「まあ、そんなところです」


 沈黙。


 上手く会話が転がらない。というより、やはり俺の日本語が下手なのだろうか。


 小桜や菊井なんかは、積極的によく喋ってくれるからやりやすいが、後輩と二人きりになるのは少し苦手かもしれない。相手が修善寺のときもそうだったように、会話が続かないと変に気を使ってしまう。


「先輩」森がおもむろに口を開いた。「この前の楽器を買いにいった日、修善寺と一緒に来てましたよね。その、どうでしたか?」


「どうって言われても、何が?」


 質問の意図をはかりかねて、問い返した。


「なんといいますか……。関係に進展があった、とか」


 森はちらりと鋭い視線をこちらに投げた。


 この目も、少し苦手かもしれない。


「多少は仲良くなれた、かな。でもなんで——」


「いえ、すみません。なんでもないです」


 身を翻して、森は部室に入っていった。

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