第41話 テレビ通話お料理教室

 家に帰ってから、買い物で買った食材を冷蔵庫に入れて行く。

 今日は弥織が家に来てご飯を作ってくれる日ではない──彼女も自分の家の夕飯を作らなければならないそうだ──ので、珠理は家に帰るなり、しょぼくれて一人で絵本を読んでいる。

 弥織が家に来てくれる日は、週末と、その他彼女が家で夕飯を作らない日。大体週三日程うちにくる計算になっていて、彼女の負担になるのではないかと思っているのだが、曰く「全然だよ」との事だ。

 そうは言ってくれてはいるものの、朝夕の送り迎えも一緒にしてくれているし、土日も珠理に費やしてくれている。そのうち彼女の負担が大きくなって疲れてしまうのではないかと危惧しているのだが、それを言うと「依紗樹くんはずっとそれを一人でしてたんでしょ?」と言われてしまうので、何も言い返せなくなってしまうのだった。俺は義務でしているのであって、自分から進んでやっているわけではないのだけれど、その違いを彼女は理解してくれない。

 無論、彼女には無理はしないで欲しいとは伝えているのだけれど、「無理なんてしてないよ」と返されてしまうので、結局口を噤むしかないのであった。

 こちらの夕飯の下準備をしつつ、スマートフォンが鳴るのを待つ。すると、約束通り十九時ぴったりに着信が来た。

 受話ボタンをタップすると、遠慮がちな彼女の声が聞こえてきた。


『あ、えっと……伊宮、です』

「はい。真田です」


 何故か急に余所余所しくなる俺達である。


『今、もう台所にいる?』

「ああ。準備もできてるよ」

『じゃあ、テレビ通話に切り替えるね』


 弥織はそう言うと、通話モードをテレビ通話に変えた。そのタイミングで俺もテレビ通話モードに切り替える。

 四角形の液晶画面の中に、私服に着替えた弥織がエプロンを掛けていた。髪型はうちで料理を作るのと同じく、ポニーテールだ。


『あ、見えた。何だか恥ずかしいね、これ』

「確かに……」


 お互い、四角形の小さな液晶画面で見つめ合って、顔を赤くする。


『んー……ここらへんにカメラ置こうと思うんだけど、ちゃんと台所見えてる?』

「ああ、うん。よく見えるよ」


 彼女は少し高めの場所にスマホを設置し、インカメラで台所の手元が見える様に設置してくれた。

 ちなみに、その設置場所で弥織がスマホに背を向けると、うなじがもろに見えるのだった。うなじと、服の襟元から時折覗かせる彼女の背中。ちらちら見えるのが、とても扇情的だった。

 俺は思わずごくりと唾を飲みつつ、台所の正面に、スマホを立てかける。

 こんな事になったのは、いつも通り珠理を二人で迎えに行って、帰りに寄ったスーパーでのやり取りが切っ掛けだ。

 今日はひき肉が異常に安かったので、弥織が今夜はラザニアにすればどうかと提案してきたのだ。

 今日、彼女は自分の家の夕飯を作らないといけないので、うちには来れない。という事は、俺が全て作らなければならないわけなのだが……ラザニアなんて高等なものは当然作った事がない。俺にそんな高度なものを作る自信はないと言うと、


『あ、じゃあ今日は私も一緒のメニューにしよっと。一緒に作ろ?』


 と彼女から提案されたのである。

 どういう事かと思ったのだが、テレビ通話で教えてくれるのだそうだ。

 そして、それが今に至る。


『じゃあ、まず……たまねぎとニンジンをみじん切りにします』


 スマホの向こうの弥織は、凄い手際でたまねぎとニンジンを切り刻んでいく。


「ちょ、ちょっと待った。そんな早くできないから、待ってて」

『わかってるよー。手、切らない様に気をつけてね』


 弥織がカメラの方を振り返って、くすくす笑っていた。

 俺もあまり待たせては悪いと、なるべく急いでみじん切りをする。随分と不格好なみじん切りになってしまったが、そこはご勘弁頂こう。きっと珠理も許してくれると信じたい。

 それから弥織がしている通り、フライパンに玉ねぎとニンジンを入れて、ニンジンがしなってきたら塩を入れた。

 そして別のフライパンを強火で熱して、ひき肉を投入。少しだけワインも入れて、強火でアルコールを吹き飛ばす。このあたりも全て彼女の動作を真似ているだけに過ぎない。


『大丈夫? ついてきてる?』

「ああ、ギリギリ大丈夫だ」


 その後もなんやかんやを彼女に言われるがままにやり──画面の向こうの彼女の行動を真似ているだけだが──オーブンにぶち込む。あとは十五分間待つだけだ。


『ね、できたでしょ?』

「かなり苦労したけどな。ついていくのでいっぱいいっぱいで、作り方なんてもう覚えてないよ」

『えー、せっかく教えたのに』


 電話の向こうの彼女が、くすくす笑ってスマホを手に持った。

 お互い正面にスマホを持って、目線を交わらせる。もう料理はほぼ完成しているので、通話を続ける必要もないはずだが、それでも電話を切ろうとは言わない。彼女はインカメラに映った自分の顔を見て前髪を直していた。


『あ、そうだ。珠理ちゃんどうしてる?』


 弥織が思い出したかの様に言った。

 もしかして、珠理と話したかったのかな?


「珠理なら拗ねて絵本読んでるよ。代ろうか?」

『うーん……それはやめとこうかな。きっとご飯どころじゃなくなりそうだし』

「まあ、確かに」


 珠理の事だ。きっと『おかーさんと会いたい』と泣き出すに決まっている。


『私も会いたくなっちゃうしね。それに、せっかく依紗樹くんがラザニア作ったんだから、今日はそっちを堪能して欲しいかな』


 それなら、どうして俺との通話は続けているのだろう?

 珠理ではなく、俺と話していたいと受け取ってもいいのだろうか。それとも、オーブンの時間が過ぎるまでの話相手だろうか。


「俺ので珠理が満足してくれるといいんだけどな」


 俺は冷蔵庫に凭れかかって、苦笑いを浮かべた。また『まずい』だなんて言われた日には立ち直れない。


『大丈夫だよ。ちゃんと私と同じ手順で作ったんでしょ?』

「まあ、そうなんだけど、不安でさ。ていうか……」

『うん? なあに?』

「……本家のラザニアも、食べてみたいな」


 俺は、何を言っているのだろうか。

 きっと目の前に弥織がいたら、こんな事は絶対に言えない。しかし、何故か俺は自然と自分の欲求を口に出していた。

 そこまでして、彼女のラザニアが食べたいかというと、きっとそうでもない様に思う。

 ただ──彼女が作った料理を、食べたかったのだ。


『……味、きっと変わらないと思うよ?』


 少しだけ間を置いて、返事が返ってくる。顔が赤いのは、きっと料理の後だからというわけではないだろう。


「それでも、食べたい」


 電話というのは不思議だ。対面していると絶対に言えないであろう言葉が出てくる。何を強気でこんな事を言っているのだろう、と自分でさえも呆れる程だ。

 そんな普段と違う俺が面白かったのか、弥織は『何だかいつもより強引』と笑っていた。


『仕方ないなぁ……いいよ。でも、今度はちゃんと作り方も覚えてね?』


 そして、優しい弥織はそれも承諾してくれる。もしかすると、彼女は押しに弱いのかもしれない。

 もし、何度でも作って欲しいから覚えたくない、と返したら彼女は何と言うのだろう?

 ふとそう思ったが、さすがにそれは我儘が過ぎる。俺は不本意ながら「わかったよ」と返すのだった。


『ねえ、今度さ……夜更かし通話、しよっか』


 少しの沈黙の後、まだ横ではオーブンのファンの音が響いている中で、弥織が唐突にそんな事を言い出した。

 

「え? 夜更かし? 珠理はすぐ寝ちゃうから難しいんじゃないかな」


 俺がそう答えると、電話口の向こうから溜め息の音が聞こえてきた。


『違うよ。珠理ちゃんに夜更かしさせちゃダメでしょ』

「ん? どゆ事?」


 言っている事が理解できず、俺は画面の中を覗き込む。

 すると、彼女が恥ずかしそうにちらちらとこちら──と言っても画面だが──を見て、おずおずとこう言った。


『珠理ちゃんじゃなくて……依紗樹くんとってこと』

「え、俺⁉ 俺は、全然……構わないけど」


 まさかの珠理ではなく、俺のご指名がきてびっくりした。

 何だろうか。何か相談があるとか、そんな感じかな。


『じゃあ、今度の休みの前とかにしよっか。先に寝た方が負けね?』

「何の勝負だよ」

『負けた方の罰ゲーム、何にする?』

「やる事確定なのかよ」


 そんなバカ話を続けているうちに、オーブンが焼きあがりを知らせる音がなった。弥織の方も殆ど同時に鳴っている。


『じゃあ、あとは盛り付けるだけだから』

「崩さない様に頑張るよ。ありがとな」

『ううん、なんだか新鮮で楽しかったし。じゃあ、また明日ね』

「ああ、またな」


 そこで、通話が終了する。

 確かに、ちょっと新鮮だったのかもしれないし、こんな風に弥織を見続けられるなら、料理も悪くないと思えてしまうのだった。


 ──それにしても、夜更かし通話、か。考えた事もない事を提案されてしまったな。


 相変わらず、弥織の意図はよくわからない。でも、彼女と夜も話せるのなら、きっとそれは、楽しい。そう直感していた。

 ちなみに余談ではあるが、彼女に指南されたラザニアはとても美味しくて、珠理からも好評だった。

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