1-3 メイドさんの推し

 いや、だから、近いんだって!


 セヴィリオは生き返った嫁を執務室に招き入れてからずっと、べたりと横に張り付いて離れなかった。

 腰に手を回された瞬間、リアナーレの意識は嫌な思い出から、現在の異様な状況へと戻って来る。


 偽物の嫁は、ティーカップを手にしたまま体を縮こまらせて震えた。紅茶はとっくに飲み干してしまい、意識を逸らす先がない。


 腰に腕を回すだけでは飽き足らず、寄りかかったり、じっと顔を見つめたり。彼は構ってほしいと言わんばかりの態度をとる。


「リアナ……」


 セヴィリオは耳元で熱っぽく聖女様の名前を呼んだ。これ以上は無理だ。限界だ。

 このまま放っておいたら、長椅子の上に押し倒されそうな勢いだ。最悪、書斎の奥にある仮眠室に連れ込まれるかもしれない。


 書棚と並んで置かれた、人の背よりも高い時計は、振り子を揺らしながら夜の始まりを刻んでいる。そろそろお暇しよう。

 

「あ〜っ!」

「どうしたの?」


 リアナーレはわざとらしく叫んで立ち上がった。


「薬を飲まなくては! ということで、失礼します」

「それなら送るよ。今夜はリアナの部屋で過ごそうか」


 仕事をしろ。仕事を! 


 机に書類が山積みされているではないか。リアナーレが最後の挨拶に訪れた時には、仕事から手を離さなかった癖に。


 思い出して、また悔しさと悲しみが胸を覆う。


「今日は色々あって混乱してるから、一人にさせて」

「だからこそ一緒にいたい」


 セヴィリオは納得がいかないようだった。端正な顔を歪め、不貞腐れた表情で、聖女様の手を取ろうとする。

 リアナーレは彼の手を叩き落とし、宣言した。


「私、仕事を疎かにする人は嫌いです」


 嫁を看取りに来ない彼を非難していたリアナーレだが、勘違いだったことを嫌というほど理解した。惚気を見せつけられるのはもう十分。


 彼の手を取ることが嫌なわけではない。愛されているのがリアナでなく、リアナーレだったとしたら、照れつつも手を重ねただろう。


 けれど、彼が真に求めているのはリアナ=キュアイスだ。リアナの皮を被っただけの他人には、彼の寵愛を受ける資格がない。


「分かった。仕事はする」

「そうして」


 リアナーレは逃げるように執務室を飛び出し、来た道を駆け抜け、聖女様の部屋へと戻った。





 リアナの基礎体力が低いせいだろう。全速力でも思ったより速度は出ず、部屋にたどり着く頃には心臓が狂ったように脈を打っていた。


 天蓋つきの可愛らしいベッドに飛び込んで、リアナーレは息を整える。


「リアナ様、大丈夫ですか?」

「大丈夫じゃない……死ぬ……」

「そっ、そんな! ドクターを呼びますね」


 慌てて医者を呼びに行こうとしたルーラの、メイド服のリボンを掴んで引き留める。


「いや、そうじゃなくて。セヴィー、じゃない。セヴィリオ様っていつもあんなに甘ったるいの?」


 リアナーレは口から砂糖を吐いて死にそうだった。


「甘ったるい? セヴィリオ様が?」

「リアナを溺愛しているでしょ?」


 ルーラは瞬きを繰り返した後、不思議そうに首を傾げる。


「リアナ様ご自身が旦那様に興味がないようでしたし、あまりそのように感じたことはありませんけど……。実はそうだったのですね!」

「そうみたい」


 本物のリアナはセヴィリオに興味がない、というのはその通りなのだろう。一度リアナ本人と会話した際に、リアナーレも感じたことだ。

 

「それにしてもセヴィリオ様って、本当にかっこ良いですよね」


 ルーラは胸の前で手を重ね、うっとりと目を細める。


「見た目だけはね」

「若いメイドの間では、とても人気ですよ。氷の王子セヴィリオ様と、炎の戦女神リアナーレ様」

「えぇ……二人ってそんな風に並べられてるの?」

「ちなみに私はリアナーレ様の大ファンです」


 ルーラは腰に手を当て、胸を張った。リアナーレの女性人気が高いことは生前から承知していたが、目の前でファンと言ってもらえるのは初めてのことだ。


「ありがとう」

「へ?」

「あ、間違えた」


 未だ別人になった感覚のないリアナーレは、つい戦女神のつもりで返事をしてしまう。


「勿論、リアナ様も素敵ですよ! リアナーレ様はなんというか、女性ですが、男の人よりも格好いいんです。美しくて、優しくて、強くて……結婚してほしいくらい」


 興奮気味に語るルーラに、リアナーレは微笑んだ。


「それを聞いたら彼女、きっと喜ぶよ」

「面と向かっては絶対に言えません〜! 私なんて地味で身分も低いですし、迷惑がられるだけです」


 どうやらこのメイドさんは、自分に自信がないようだ。

 リアナーレはベッドから上体を起こした。騎士がするように彼女の手をとり、甲に軽く唇を落とす。


「そんなことない。ルーラは可愛いよ」

「今日のリアナ様は、リアナーレ様みたいですね」


 ルーラは頬を染め、すっかり人が変わってしまった聖女様を見つめる。


 昔、仕事でヘマをしてメイド長に叱られているところを庇ってもらってから、ずっと戦女神のファンなのだと彼女は教えてくれた。


 そんなこともあったかもしれない。リアナーレは基本的に、若い女性に優しいのだ。


「えーっと。この前リアナーレ……様に会ったから影響された、かも?」


 リアナーレは苦しい言い訳をする。


 戦女神と聖女様がまともに話をしたのは、一度きり。セヴィリオの冷たい態度に腹を立てながら、リアナーレが死地へ発とうとした時のことだ。


「あの時のリアナーレ様、素敵でしたよね。すらっと高い背、鮮やかな朱色の髪と金の瞳に、黒の軍服がお似合いでした……」

 

 ルーラはあの日の逢瀬を脳裏に思い浮かべたのだろう。うっとりと、目を細める。

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