いまさら魔王の週末異世界

放睨風我

第一部: 週末異世界

第01話 魔王召喚 #1

ぼんやり校庭の木を見上げる岩崎いわさき月光ルナは、カキィン、と響く小気味よい音を聞いた。

飛来してきた物体が、若葉の生い茂る木に突き刺さる。折れた小枝を引き連れて、ルナの足元にソフトボールの球が落ちて来た。


「ごめーん! 岩崎さーん!」


ルナの名を呼び、体操着の女生徒が駆けてくる。

クラスメイトの一人であることは確かだ。中高一貫校に高校一年で編入したばかりのルナは、彼女の顔と名前が一致していなかった。

一方のクラスメイト側は、珍しい外部生であるルナのことを既に認識しているらしい。


「はあ、はあ……大丈夫だった?」


顔の前で拝むように手を合わせる彼女に、


「うん。あたしは、ぜんぜん」と、ルナは笑顔で応える。「ソフト部?」

「そー」クラスメイトはボールを拾って、ぽす、とグラブに収めた。「球拾いなの」


ごめんねー、と手を降りながら去っていくクラスメイトを見送る。

そして足元に落ちた木の枝に視線を落とすと、腰を屈めてそれを拾い上げた。


「……」


ルナはポケットからハンカチを取り出して、木の枝をそっと包む。


(……部活で使ってあげよ)





人気のない放課後の廊下が、ルナは嫌いではなかった。教室の寂しさから、そこに居ない生徒たちの生命力を間接的に感じ取れる気がするのだ。

校庭から届く運動部の掛け声を聞きながら、ルナは華道部の部室に向かう。


角を曲がったところで、修道服の女性とばったり対面した。

彼女はルナに気が付くと柔和な笑みを浮かべ、優雅に一礼する。


「あら、岩崎さん。ごきげんよう」

「……ご、ごきげんよう。シスター穂乃果ほのか」と、ルナはたどたどしく挨拶を返した。


ルナが通うのはキリスト教系の中高一貫女子校である。構内に教会が併設されており、朝夕に礼拝が開かれているが、本当にキリスト教徒として熱心に宗教行事に参加する学生はそう多くない。

それもあってか、シスターや神父は常に教会に籠もっているわけではなく、授業を受け持ったり部活の顧問になったりと、部分的に教員の役割も兼ねている。


シスター穂乃果は、ルナの所属する華道部の顧問を兼任していた。つまり――二人の向かう先は同じだった。

シスターはルナが握りしめているハンカチを目に留める。


「岩崎さん、そちらは?」と、首をかしげる。

「これは……」ルナはハンカチを開き、中の枝をシスターに見せた。「折れてしまったので、活けてあげようと思って」

「まぁ。素敵ですね」シスターは、にこりと微笑む。

「いえ、そんな大したことじゃ……」


ルナは半分謙遜で、半分は本心から、そう答えた。


――昔から、植物が好きだった。

中学まで、自然の豊かな片田舎で過ごしたためだろう。ルナは木や花々に、不思議と親しみを感じていた。兄たちによれば幼い頃から近所の森に入り浸っていたという。


だから、都心の学校にしては立派な校庭の木を見かけるたび、つい物思いに耽ってしまう。遠い実家を思い出してホームシック、なんてワケでもないけれど。

華道部に入ったのも、花に触れる機会が増えると考えてのことだ。でも、大地から切り離された枝を無機質な花器かきに飾る行為には、根底に自己満足の色合いが存在することを、確かに感じてもいた。


二人は、校舎の隅っこに位置する華道部の部室に到着した。

校内で唯一、畳のある部屋である。受験を控えた三年生の先輩がほとんど寄り付かなくなったいま、ルナともうひとりの一年生部員、そして顧問のシスターだけがこの部屋を使っている。


百合ヶ峰ゆりがみねさんは、もう、いらしてるでしょうか」

「どうでしょう……」


と、ルナがシスターに応えながら扉を開けた瞬間。

部屋の中から声が飛び出してきた。


「――ああああもおぉ、どうして出ませんの!?」


座布団を枕に寝そべり脚をジタバタさせながら、

一人の女生徒が、ズダダダダとスマートフォンを熱心にタップしていた。

ぴったり学校指定長のスカートは脚の動きにあわせて暴れ、よく手入れされた長い髪が畳の上に広がっている。


もうひとりの華道部部員、百合ヶ峰ゆりがみね桜花おうかである。


(ちょっと、桜花ちゃん、何やって……!)


ルナは焦る。

格式高い伝統校、ということになっているこの学校は、本来は携帯持ち込み禁止だ。

現実問題として、いかにお嬢様校とはいえ現代の高校生が携帯を持たないことはありえないが、建前としてそうなっている。そして教会に仕えるシスターという存在は、神の前に嘘はないという思想のもと、建前を百パーセント厳格なルールとして運用するのであった。


「……岩崎さん? どうしました?」


後ろからシスター穂乃果に問われ、ルナはとっさに部室の扉を閉めた。

それがむしろ怪しまれる行動であると気付いた時にはもう遅く、シスターの笑顔にプレッシャーが上乗せされる。


「ほら……早く入りましょう?」

「あ、ちょっと待っ……!」


ルナの静止も虚しく。

シスター穂乃果は、しゅるり、と絹のようにルナのディフェンスをい潜り、部室の扉を一息に開いた。

そこには――


「――あら、シスター穂乃果。それに岩崎さん。ごきげんよう」


桜花が座布団に姿勢良く正座して、にっこりと二人に微笑みかけていた。

その手は、しずしずと花器を整えている。


「本日は、花木かぼくの奥行きの出し方を学びたいと思っておりますの。――どうしました?」


桜花は、きょとん、とした顔を作り、入り口で静止するシスターとルナに交互に目線を寄越す。

ルナはイリュージョンのごとき早業を目の当たりにして、戦慄を覚えざるを得なかった。


――お嬢様、おそるべし。





数刻後。


「――それでは、今日の活動はこのあたりに致しましょう」


華道部顧問であるシスター穂乃果は自らの道具を片付けてしまうと、ではごきげんよう、と、柔らかく微笑んで部室から退出した。どうやら、夕方の礼拝があるらしい。

あとはルナと桜花が戸締まりをするだけである。


「ふいー……」と、ルナが正座でしびれてしまった脚を崩す。まだ慣れない。

「お疲れ様です、岩崎さん。……それ、使わなかったのですね」


桜花は、ルナが傍らの畳に置いていたハンカチを指差した。

ルナは頷き、包みから枝を取り出して夕日にかざす。


「ん。やっぱ難しいね」


結局、校庭で拾った枝は、その日の生け花に組み入れていない。

ルナたちのために予めシスターが用意していた華麗な花材と、計算されたレイアウト。その中に偶然拾った枝を取り入れられるほど、ルナの技術は高くなかったのだ。


ルナはちょっと悔しさを感じながら、枝とハンカチをくるくると弄ぶ。


「そういえば桜花ちゃんさ」ふと思い出し、ルナは笑みを噛み殺す。「最初ドアあけた時の瞬発力……すごかったね」

「ふふ」と、得意げな笑顔を浮かべる桜花。

「また、あれ?」

「ええ。ちょうど本日からピックアップ召喚ですから」


と、桜花は座布団の下から――そんな場所に隠していたとは――スマートフォンを取り出して「あら、スタミナが消費できていませんわ」と呟いた。

お嬢様らしい外見と言動のギャップにルナは苦笑する。


……お嬢様らしいというか、桜花は本物のお嬢様であるのだが。


彼女――百合ヶ峰ゆりがみね桜花おうかは、「森羅万象経営」などと呼ばれるほど多種多様な業種に手を伸ばし、経済界を席巻する百合ヶ峰グループの末っ子である。

つまり正真正銘、超が九個は頭に乗る「お嬢様」だ。

石を投げれば財界人のご息女や社長令嬢に当たる本校において、金銭的パワーで言えば百合ヶ峰家は頭ひとつ抜けている。


ルナはそんな桜花を、入学間もない頃、とあるソーシャルゲームに誘い込んでしまったのだ。

ルナ自身はすぐに飽きてしまったが、ばっちりハマって廃課金お嬢様と化した桜花をハラハラと見守る、奇妙な友人関係が続いている。


「そういえば最近、召喚エフェクトが変わりましたのよ」

「へぇ、そうなの?」


桜花の言う召喚とは、いわゆる「ガチャ」である。

剣と魔法のファンタジーな世界観を持つそのゲームでは、新たな操作キャラクターを入手する仕組みを「召喚」と呼んでいるのだ。


「ええ。地面に描かれた魔法陣が光って――そうそう、ちょうどですわ」

「……そんな感じ?」


桜花は、ルナの座る畳を指差していた。

釣られて目をやったルナが目撃したのは、自身を中心として畳の上に広がる、まごうことなき――


、であった。


その文様は紫に輝き、夕暮れの部室を、そしてルナを、この世ならざる光で照らしていた。


「な、なに……これ……?」


混乱したルナはそう呟くことしかできない。

遅れて桜花も、目の前の光景が異常なものであることに思い当たったらしい。二人は畳を凝視したままの姿勢でフリーズする。


二人が行動を起こすよりも先に、事態は進行した。


――、と。


まるで、水中の捕食者に引きずり込まれる水鳥のように。

ルナの身体は波紋だけを残して、紫の魔法陣に飲まれてしまったのだった。


「……」


――たっぷり十秒は経過しただろうか。


広がった波紋が収まり、すぅ、と、魔法陣自体も消えた頃。

ようやく現実に思考が追いついた桜花は、もはや何の痕跡も残らない畳に向かい、お嬢様らしからぬ大声を張り上げた。


「い、岩崎さぁぁぁん!?」

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