§ 2―4 お隣さん
2030年5月
GWに静岡の実家に呼び出され、卒業後の進路やら、結婚はどうするのやら、うんざりするほど聞かれ、ようやく自分の部屋に帰ってきた。
おれの住んでいるマンションは、大学から歩いて10分ほどの学生向けに
自分の部屋に着き、荷物をその辺にほっぽりだして、涼が以前、レポートを手伝ってくれたお返しにと勝手に買ってきたソファに座る。
「結婚か……。薫先輩はどう思ってるのかな……」
まだ付き合ってすらいないのに、そんなことを考えてしまう。
「結婚なんて、とりあえず卒業してからの話だよなー」
と疲れからか問題を先送りして、ボーっとしていた。
そんなときだった。
「ピンポーン」
とインターフォンが鳴る。誰だろう、涼かな? とインターフォンに出る。
「すいません。夜分遅くにー」
画面には赤い髪の女性が映っている。
「昨日、お隣に引っ越してきまして、その挨拶にきました」
そういえば、隣の部屋は3月から空き部屋になっていたな、と思い出す。
「そうですか、今、出ますね」
と答え、ドアを開ける。鮮やかな赤いロングヘヤーで、左耳に赤いイヤリングをした若い女性が立っていた。顔を見ると、彼女は目を丸くして、こちらを見ていた。なんとなく薫先輩に似てる。
「マスター……」
ん? マスター? 何のことを言っているんだ。よくわからないが、挨拶をしておこう。
「あの、この部屋に住んでる建早と申します」
「あ! 建早様ですね。私は、イヴ・ナンバーズ・ヨッドギメルと申します」
『様』? それに、イヴなんたらって名前からして、留学生かな?
「留学生の方ですか? それにしては日本語お上手なんですね」
「え! ……ええ、そうなんです。この度、留学してきまして」
こんなに流暢にしゃべる留学生もいるんだな、と感心した。
「えーっと、イヴさんでいいのかな?」
「いえ、イヴではなく、ヨッドギメルとお呼びください」
ファーストネームで呼ぶのは失礼だったか。
「わかりました。ヨッドギメルさんですね。えーっと、ここに住むってことは同じ大学ですよね?」
「そ、そうです。同じ大学に通うことになりますね」
「とりあえず、同じ大学の生徒どうし、よろしくお願いします」
「イエス、マスター。こちらこそ、よろしくお願いします」
「はい。まぁ、困ったことがありましたら、何でも聞いてくださいね」
「そうさせていただきます」
と挨拶を済ませ、ドアを閉めた。なんか変わった外国人だな。髪があんなに赤い国ってあるのかな? 日本のアニメ大好きなフランス人だったりして。それに『様』とか『イエス、マスター』とか、なんのアニメの影響を受けたんだ?
そんなことを思って、彼女とこれから始まる1日目が終わった。
♦ ♦ ♦ ♦
次の日の夜、ピンポーン、とインターフォンが鳴る。
「こんばんは、建早様。少しよろしいでしょうか?」
お隣のヨッドギメルさんだっけ。何だろう。
「こんばんは。ヨッドギメルさん。どうされたんですか?」
「晩御飯を作り過ぎてしまいまして、おすそわけにまいりました」
彼女の両手は、お鍋を握っている。
「そ、それはありがとうございます。何を作ったんですか」
「肉じゃがです」
肉じゃが! 一昨日引っ越してきたばかりの留学生が、肉じゃがを作るなんて。
「ヨッドギメルさんは、日本について詳しいんですね。肉じゃがなんて、よっぽど日本に精通しているんですね」
「え! ええ、そうそう、精通しているんです」
「へ、へぇー。とりあえず、ありがたくいただきますね」
「はい。建早様のお口に合うと思いますので」
「あー、『様』なんてつけなくていいですからね。アキトって呼んでください。みんなそう呼ぶので」
「イエス、マスター。アキト様ですね」
はぁー。会話が
「それでは、ありがたくいただきます」
「はい。お召し上がりください」
「あ、ありがとうございます」
そう言って、鍋を受け取りドアを閉めた。なんとも言えない人だな、ヨッドギメルさんは。それにしても、言いにくい名前だ。そんなことを思いつつ、鍋の蓋を開けてみると、確かに美味しそうな肉じゃがが入っている。
恐る恐る、指で一摘み口に運ぶ。……上手い! これは驚いた。おそらく今まで食べた肉じゃがの中でも、断トツに美味しい。空腹だったのも相まって、一息に食べきってしまった。また作ってくれないか、お願いしてみようかな。
彼女が挨拶に来てから2週間、彼女は必ず毎晩、おれの部屋を訪ねてくる。バイトやゼミで遅くなっても、帰ってくるのを確認しているのか、部屋に入ってしばらくすると、訪ねてくるのだ。毎度見る度と薫先輩に少し似ているなと感じる。それに、肉じゃが、すき焼き、煮物、手作りコロッケなど、どれもこれも、非常に上手い。食費もかからずに済むし、彼女が訪れてくるのも悪くない、と思っている自分もいた。
今日はレボートをやるために早めに帰ってきた。案の定、10分ほどしてインターホンが鳴る。
「こんばんは、アキト様」
そう言われて、ドアを開ける。
「こんばんは、ヨッドギメルさん」
「はい、こんばんは。アキト様。今日はカレーを作りすぎてしまいまして、おすそわけにまいりました」
と言われたところでエレベーターから出てくる涼の姿をチラッと確認した。
マズイ! こんなところを見られて、薫先輩に知られることにでもなれば、無用な誤解を
とっさに彼女の腕を引き、部屋に入れ、鍵を閉める。小声で囁く。
「すいません。ちょっとだけ静かにしていてもらってよろしいですか?」
「イエス、マスター」
「シー! 静かにー」
人差し指を口の前にもっていき、静かにするようポーズをとる。これに彼女はうなずく。
「ピンポーン」
玄関で、彼女にさらにポーズで静かにするよう
「ピンポン。ピンポーン」
いいから早く帰れ。こういうときの涼の洞察力は
「あれ? いないのかなー」と、ひとり言が聞こえてくる。もう少しだ。と、今度はスマホが反応しだす。
「ブウゥゥゥ、ブゥゥゥゥ」
ナイス! マナーモードにしておいてよかった。これでなんとかなりそうだ。
「買い物にでも行ってるのかな? しょうがない。今日は帰るかー」
そうそう。後でコンビニにでも行って、本当に買い物に出ておこう。まったくの嘘はやつには通じない。
諦めたのか足音が遠ざかっていき、エレベーターに乗る音がした。念のため、ドアを少し開けて確認する。どうやら、ホントに帰ったらしい。ふぅー。一安心だ。
「なんかすいませんでした」
と、彼女を見ると、カレーを持ったまま、腕を
「あ、ごめんなさい。連れ込もうとか、変なことしようとかしてるわけじゃないですからね」
と赤くなって鼻の頭を掻いている。
「マスター……」
彼女が小さくつぶやくのが聞こえた。
「あの、その『マスター』っていうのは何なんですか?」
「口癖です」
「そ、そうですか。あの、すいませんでした、お詫びといってはなんですが、お茶でも飲みますか?」
「はい、ありがたくいただきます」
彼女は笑顔で答えた。
ダイニングのソファに彼女を座らせ、電子コンロでお湯を沸かす。
「なんかすいませんね。あと、持ってきてもらってるご飯、とっても美味しいです」
「お口に合うと思ってましたので、よかったです」
「本当に美味しいです。そのカレーも楽しみですよ」
と彼女のほうを見ると、机の上のレポートを見ている。
「A型インフルエンザウイルスH1N2の研究をなされてるんですか?」
え? レポートには、その名称の記載はないはずだ。
「あの、なんでわかるんですか?」
「えぇ、こちらに書いてある特徴を読めば、わかりますよ」
驚いた。あのレポートの内容だけで。正式な名称をきっちり答えた。
「ヨッドギメルさんは、ウイルスとか詳しいんですね」
「それなりに解かっているとは思いますよ」
「すごい。いろいろこれからも伺ってもいいですか?」
「はい、答えられる範囲であれば、お答えしますよ」
これは心強い隣人だ。ものすごい天才なのかもしれない。
お湯が沸いたので紅茶を入れて、彼女に出そうとしたら、彼女はソファーから移動し、今度はTVの下の棚を見ている。紅茶を机の上に置く。
「なにか気になるブルーレイでもありましたか?」
「えぇ。見てもよろしいですか?」
ガラスの扉を開き、彼女が何枚かブルーレイを取り出す。
「これはどんな内容なのですか?」
「それは、正義のヒーローが仲間と力を合わせて、悪の魔王を倒す、ていうよくあるアニメですよ」
「では、こちらは?」
「それは、どうしようも無くなった現実を、タイムリープして過去を変える、ていうアニメですよ」
「タイムリープ……面白いんですか?」
「よかったらいくらでも貸しますので、観てください。勧善懲悪のわかりやすいファンタジーものも、こういうシリアスなSFものも、どっちも好きなんですよ」
「それでは、これらはお借りしますね。次にこちらは?」
「それはですね……。あぁ! それは、あの、なんというか、ちょっと……」
と言って
「『美人家庭教師、禁断のレッスン』とは何ですか?」
「あー。そう、それはですねー。あ! そうそう、大人になるためのバイブルですね」
「そうですか。わかりました」
笑顔の彼女に、鼻を掻いて照れていたが、なんとか話を変えようとする。
「そういえば、あの、ヨッドギメルって名前、呼びづらいですね」
「そうですか? アキト様のお好きな呼び方でよろしいですよ」
「ん……。じゃぁ、『メル』さん、と呼んでもいいですか? 呼びやすいですし」
「イエス、マスター。メルとお呼びください」
「マスターって。まぁ、分かりました。では、これからはメルって呼びますね」
アキトとメルはお互いに笑っていた。
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