§ 1―4 イヴ・ナンバーズ・ユッド



 半年前。主都アラドから大陸内最長の路線を走るリニアレールで、アニスは大陸最西部のバルバライン領に向かっていた。朝一番の便で1泊2日での視察だ。出かける前、イリスが「いってらっしゃい」と今にも泣きだしそうに手を振ってくれたことを思い出して、泊りの出張は次からはすべて副局長か部長たちにお願いしようと心に決めた。


「シャルナさんにまた迷惑をかけちゃったな。おみやげ、ちゃんと買っていかないとな」


 とバルバライン領の特産物やら評判の土産物などを携帯端末で調べながら、列車内の時間を過ごしていた。


 主領アラドのターミナル駅から3時間でヘイゼル領、ギルトック領を経て、バルバライン領に到着する経路だ。ヘイゼル領の雨が降る田園風景を抜け、食品加工用の工場が多いギルトック領に入り、工場地域を抜けると雨も止んで、砂漠化が進んでいる住居もまばらな地域を進む。そろそろバルバライン領か。と窓の外を眺めながら、砂漠地域の緑化には、どうやっても時間がかかるよな。と、気づけば仕事モードに頭が切り替わっていた。




   ♦   ♦   ♦   ♦




 ようやく終点に着いた。そこで、バルバライン領の伝統料理の豆料理を食べたが、どうにも口に合わなかった。そこから、レンタカーを借りて、バルバライン領の技術開発局支部に行く前に、まず現地を見に行くことにした。


 1時間ほど車で進むと、今回の視察の要因になった大規模地盤沈下が起きた土地を一望できる、小高い丘に車を停める。車を降り、周囲を眺める。


「ひどいな……。報告書で知るのと実際に見るのでは大違いだ」


 半径7kmほど円状に沈没している。居住区ではないにしろ、死者・行方不明者数378人、負傷者数641人、施設や道路・インフラの被害総額は今の日本の通貨価値だと3000億円以上にも及ぶ。


 要因は、1か月前に起きたマグニチュード8.3の地震だ。砂漠地域で起こると、地震で亀裂の入った地下の空洞に砂が流れ込み、地盤沈下が起きる。


 今思考中の『地震の揺れを弱める理論』に行きづまっており、自分自身の不甲斐ふがいなさに忸怩じくじたる思いにられざるを負えなかった。



 そんなときだった。後ろから近づいてくる足音が聞こえて振り返ると、見慣れない服装の、キラキラと輝く金色の髪の女性が歩いてくる。顔が見えてくると、激しく戸惑う。


「……エリサ?」


 目が離せなくなる。しかし、より距離が縮まってくると、かすかに違うことに気づく。とはいえ、エリサに似ている。


 彼女の表情は笑顔だった。その笑顔もエリサの笑顔を容赦ようしゃなく思い出させる。5mほどの距離で立ち止まり、彼女はかすかな声でつぶやく。


「マスター……また、会えましたね」


 マスター? なんだ? 誰かと間違えているのか。


「……ご遺族の方ですか? こんにちは。わたしは技術開発局のアニスというものです」


 一礼するが彼女はずっと微笑んでいる。彼女もまた、おれに似ている大切な人がいたのかもしれない。


「アニス? ……アニス様と言うのですね」


「はい。でも、『様』なんてつけないでください」


「そういうわけにはいきません」


「いや、そんな大した人間でもないですし」


「ダメです」


 彼女は笑顔で言う。


 初対面なのに、話しやすい。エリサに似ているからなのか、それとも彼女が笑顔だからか理由はわからないが、彼女の声がみわたる。


「うーん。わかりました。お好きなように呼んでくれてかまいませんので」


「はい。アニス様。そうさせてもらいます」


「あはは……」


 と少し苦笑する。


「あの、できたらお名前をうかがってもよろしいですか?」


「イエス、マスター。私はイヴ・ナンバーズ・ユッドです」


「『イエス、マスター』って。誰かとお間違えじゃないですか?」


「いいえ、間違えではありません。気にしないでください。口癖です」


「……そうですか」


 また笑顔で言う。なんか変わった人だ。


「では、イヴさんですね」


「イヴではなく、ユッドとお呼びください」


「それは失礼しました。ユッドさんですね。ユッドさんはこの震災のご遺族なのでしょうか? どうしてこの場所に来られたのですか?」


「確認です」


「確認ですか……」


 あまり深くは聞かないでおこう。震災後の心のありようはよく知っている。


「アニス様はこちらで何をなさっておられるのですか?」


「ええ、技術開発局の視察で。現地をまず見ておきたかったものでして。こんな震災が無くなって、みんな平和に暮らせるようにと、改めて心に刻もうと思ったんです」


 そして、彼女はまた笑顔になる。


「マスター……。やはりあなたはよく似ていらっしゃる」


 とつぶやく。そして、言葉は続く。


「アニス様は、どのようにこの震災を無くそうとなさっているのですか?」


「かなり技術的なことですよ?」


「構いません」


 随分ずいぶんと科学的な話になるが、簡単に説明すればわかってくれるかな。


「簡単に話すと、地下深くに装置を埋めて、地震のゆれをやわらげようと思ってまして」


「地震波にを重ねて振動を抑えるってことですね」


 なんと! まさに自分が考えている通りの理論の大筋を彼女は言い当てたのである。


「驚きました。ユッドさんは、どこかの機関で研究でもなさってるんですか? あなたが言われた通りで、地震波を緩和かんわさえしてしまえば、揺れを抑えられると思っているんですよ」


「機関に属したり、研究などはしていませんよ。先ほどの話だと、地震が発生したときに震源から伝わる2種類の地震波の最初に伝わるP波を観測してから、本格的な揺れを起こすS波が到達するまでに、P波の地震波の波形を観測し、即座に来たるS波に干渉させるの波を発生させる演算装置と出力装置の開発は必須ですね」


 本当に驚きだ。今まさに悩んでいるのがそこなのだ。こんな人と初めて出会った。


「ええ、まさにその通りなんですよ。そこさえクリアできれば、技術的には実現できるはずなんですが」


 この人なら、その答えを知っている。そう直観が言っている。あまりに唐突とうとつに解決策が見つかろうとしている高揚感こうようかんが全身を走る。


「あの、ユッドさん。できたら、開発に協力してもらえないでしょうか。あなたとならきっと震災をなくすことができる」


 相手の都合など全く考えず、まだ相手のことを何も知らないのに、自分勝手な提案をする。研究のこととなると見境いが無くなるのはアニスの悪い癖だ。


「イエス、マスター。わかりました。アニス様のお手伝いをさせていただきます」


 よし! これで、悲願であった震災を無くすことができるかもしれない。この高揚感が、相手の都合や生活、悲しみなど考える余地を与えなかった。今考えると、失礼過ぎて自分がどれだけ無礼なのかと恥ずかしくなる。


「アニス様。私の要望も聞いていただけないでしょうか?」


「ええ、それ相応のお礼はさせていただきます」


「私はあそこに行きたいのです」


 と彼女が指さしたのは、空だった。


「え! 天国……ってことですか……?」


 アニスは遺族であろう彼女の気持ちに思いを巡らし狼狽うろたえる。


「いいえ、宇宙です。そして、ある星まで一緒に来てもらいたいのです」


 宇宙? 星まで行く? そんなことが可能なのか。震えがとまらない。


「そんなことができれば私も行ってみたいです。考えるだけでワクワクしますよ」


「ええ、必ず行けます。私がお手伝いしますので」



 ユッドは今までで一番の笑顔を見せた。


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