第7話
また本部に戻ってきたのは夕方ごろで、移動移動に疲れた二人はロヴェインが到着しましたよ、と言っても目を醒さなかった。ロヴェインはふっと息を吐き、外に出て伸びをした。
「あ、ごめんなさい。お疲れ様です」
ヒバリは車の揺れが止まったことで駐車したことに気づく。目をこすりながら、ロヴェインに礼を言った。
「ティア」
そう呼びかけたが、ヒバリは帰り際リーに言われたことを思い出す。
『チューニングによってレティシア准尉には本人も無自覚な負荷がかかっています。優しく接してあげてください』
レティシアの寝顔を見て、ヒバリは微笑んだ。いたずら心でヒバリはレティシアの耳元に息を吹き込む。うっ、と表情を変えたのでヒバリは満足した。
「レティシア、最後だ」
そう言ってヒバリはレティシアを起こした。
夕暮れが黒塗りの車体を赤く照らしている。
*
仄暗い廊下が先に迫る不安を伝えてくる。退勤間近の時間帯ということもあって、人の動きが活発だった。
二人は眠い目を擦りながら、しかし会話を弾ませていた。
「いよいよだねー」
レティシアが呑気にそう言う。そんなレティシアがいつもより可愛く見える。
「なんか想像した?」
ヒバリは目を逸らす。「いや、してないよ」
「してるでしょ」
「してないよ」
ヒバリはこほん、と咳をする。案内してくれる受付の人のヒールがこつこつと響いている。
「緊張してる?」
「うん、ちょっとね。けど、大丈夫。私の中に、ちゃんと記憶があるから。今はまだ、はっきりと思い出せないけど」
「そうか……」
「そんな重く思わないで。大丈夫だから、ほんとに」
レティシアは不器用な笑みを浮かべた。
「俺はティアを信じるだけだからさ、君がそう言うなら、そう思っとくよ」
そこで見覚えのある廊下に出て、すぐ行けば研究室というところだった。
受付の人に扉を開いてもらう。
「やあ、来たね」
スミノフが飄々と佇んでいる。
「ケリをつけに来ました」
さながら映画の主人公みたいに、レティシアはセリフを決めた。
「ということは……。わかった。準備をしよう。少し腰掛けて待っていてくれ」
ヒバリは研究室にある木製の椅子に腰掛けようとしたが、レティシアはそこにおさまり切らないということに気づく。
スミノフが察して、〈ダイナリノン〉の研究室にもあった、あのヘッドレスト付きの椅子に案内した。
いそいそと作業をするスミノフを遠目に、ヒバリは出されたコーヒーを啜った。レティシアは頭を下ろして、深く呼吸をしている。
「よし、これから行うことをヒバリくんにはちゃんと説明しておこう」
そう言いながら、スミノフはヒバリに近寄った。遠くからレティシアがひらひらと手を振っている。
「まず、レティシアくんの電脳ネットワーク上で、ナンバー0と繋げる。そこから記憶データを共有し、それが終わったら意識を写し込む。全てが終われば、レティシアくんは生まれ変わる」
どうだね、簡単だろう。彼は大袈裟に手を振った。単なる実験だとでも思っているのか、ヒバリからするとスミノフの態度は軽過ぎた。
もっと慎重に、丁寧に、かつ命を賭けるようにやってほしかった。
「わかりました。レティシアにも同じことを伝えてもらいますか?」
ヒバリがそう願い出ると、スミノフはレティシアの方へ赴き、同じ説明を繰り返した。今度は真剣な口調で。
「では、始めるよ。まずは記憶から」
スミノフが威勢よく切り出した。キーボードを打ちつけ、ケーブルに繋がれたレティシアは意識を水面下に落としていく。
ヒバリは固唾を飲んで見守る。〈ダイナリノン〉で既に成功していたが、スミノフには何か裏がある──そう思わせるほどにスミノフの表情はいつにもまして朗らかで、ただレティシアの結末がどうなるか楽しんでいるようにも思えて、ヒバリは彼の一挙一動を注視していた。
「──成功だ」
待たされたのは十分ほどだ。室内の時計がそれを示してくれる。
「では、一端レティシアくんを起こそうか」
ヒバリは椅子から離れ、レティシアのもとへ寄った。様々なケーブルに繋がれたヘルメットを被っているレティシアの意識は表層へと昇っていく。
ヒバリはレティシアの顔を覗いた。陰鬱な表情を湛えたレティシアが、ヒバリのことを認識すると、わずかに顔を揺らした。
「成功したって」
「よかった。なんだか頭の中がごちゃごちゃして、よくわからないの。徹夜した時みたい」
徹夜したことないけど、とレティシアはかすかに笑った。
「ティア、気分が優れないのか? やめるか?」
「そこまでというわけではないから、続けて」
レティシアはなんでもないことのように言った。昔から、レティシアは気丈に振る舞う癖があった。自分が損をするだけで皆を守れると思っているのだ。
ヒバリはレティシアのそれを悪癖だと考えつつ、それでも彼女の意向を尊重した。もとより、彼にはどうすることも出来ないのだが。
「これから最終段階に移る。レティシアくん、次に目覚めた時は君の体はあっちに移っている。それでいいんだな?」
「はい」
レティシアは一言、そう言った。
スミノフがまたキーボードを叩きつける。レティシアが腰掛ける椅子のケーブル部が規則的に光る。
──意識が、移っている。
ヒバリはケースの中で眠っている、レティシアを象ったものに視線を遣った。
次目覚める場所があそこなのだと言われても、ヒバリはにわかに信じられない。
声をかけるとしたら、なんて言おう。頑張ったね? それともおはよう?
わからない、だってレティシアはここにいる。
ヒバリはレティシアの合金の指先を握った。金属特有の冷たさが伝わるも、ヒバリの体温が次第に伝熱していった。
刹那、どこからか緊急アラームがなった。
「なっ!」
スミノフが間髪いれずに叫んだ。紅いライトが輪転し、部屋の様子を赤く染る。
「何が起こったんですか!」
ヒバリは激昂した。スミノフはヒバリの大声にたじろいだ。
「ネットワーク上にウイルスが侵入した。どういうことだ……なんてことだ」
スミノフはわなわなと震えている。
「最悪の場合、私の研究データも消えてしまうぞ……!」
頭を抱えながら、誰にも届かない悲鳴を上げる。
「なんとかしろよ、クソジジイ!!! ぼけっとしてないで、レティシアを守ってくれ……」
最後の方は言葉にもならなかった。嗚咽が混じり、涙で声が掠れる。
大丈夫だから──ヒバリは手に力を込めた。
「はあ、はあ、原因は?」
ヒバリの一喝に、スミノフは気を取り直してログを漁った。デバッグを済ませなければ、レティシアの命はない。
「大変だ、建造していた複製機が覚醒する──!」
「はあ?」
アラームが役目を終えたように鳴り止んだ。研究室内の照明が消え、入り口と平行にある壁の一辺が隠し扉のように転換した。
明転した時には、ヒバリは息をするのを忘れた。絶句というよりは、ヒバリ自身が生きているのを忘れるくらいの衝撃を味わった。
建造、という言葉がさす通り、ナンバー0と呼称された体とは全く違う異質な複数の人型のシルエットが浮かんでいる。それらはウィンドウショッピングのごとく陳列されていた。
人形、もしくは兵器。人を殺す為に特化されたロボット。気持ちの悪い光景だった。
レティシアと思しき人形が、多数並んでいるのだから。
「……」
スミノフは髪をむしゃくしゃに掻き乱し、それから
「失敗だ。意識の転送に失敗した。〈ダイナリノン〉でチューニングする時にウイルスが混入したんだ……。おそらく、記憶データごと八つ裂きにあって、そう、データを見れば……、チューニングしたデータは全部ナンバー0の方へ行ってしまっている……」
誰に求められるでもなく、スミノフはたった今自分が理解したことを言葉にした。
「どういうことだよ!」
ヒバリはスミノフの肩を揺さぶった。ぶつくさと会話不能に陥ったスミノフの発する断片的な言葉が、頼りだった。
「ナンバー0は複製機の主機だ……あれをトリガーにして、複製機は目覚める、つまり中途覚醒だ、あれには今、戦争の記憶しかない、つまり、人を殺すのに感情はない、マシーンだ、だ、だから」
スミノフがあれ、と言って目を遣ったのは紛れもなくナンバー0のことだった。
「どうするんだよ! どうすれば、レティシアを救える?」
「救うには……どちらかを殺せばいい……。分断された記憶のデータは後から再ダウンロード出来る──」
「殺すって、」
「どちらかを潰さなければ、確実に『レティシア』くんは、この世から消える」
選択肢は二つ。機械を体に宿した人間か、兵器の力を管理下における、限りなく人間に近い肉体か。
「はは……私はどちらを選んでも咎めやしないぞ。計画の一部が露呈した今、もう軍には居れなくなるだろうしな」
諦念と嘲笑が入り混じった発言に、ヒバリはぴりつく。スミノフはもう役に立たない。自分の手で──どちらかを選び愛する人を殺さなければいけない。
ヒバリがふと思い出したのはいつかの記憶だった。ヒバリがレティシアへ告げた原初の記憶。
『俺は、ティアを健やかなる時も病めるときも愛すと誓うよ。だから、結婚してください』
レティシアはあの時、その答えにひとつ条件を付け足した。ヒバリは極限の中で、彼女が付け足した誓いの言葉を反芻した。
「私を愛して。私が死んでも、私が私でなくなったとしても」
*
研究室のアラームに反応して人が流れ込んでくる。多くは本部の警備員で軍の人間ではなかったが、今のヒバリにとってはその全てが敵だった。事情を聞かれる前に、すぐにその場を離れなければならない。
ケーブルを外して、ケースから愛する人の体を抱き寄せた。近くにあった大きめの布地を引き寄せて、彼女の体に巻いた。
騒然とする空気の中でヒバリの発した言葉だけが、腰掛け、物言わぬ残骸に取り憑き、いつまでも残った。
「レティシア、ごめんな」
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