第35話 それから時は流れ

 式は盛大に街を上げて行われた。


 マナリィはハロルドがどこかの大商会のお偉いさんくらいには思って居たが、実はこの国の法務大臣だとは思いもよらなかった様で、名前を聞いた時に目が飛び出るほど驚いて居た。


 しかし周囲の人間は平民のマナリィにも分け隔てなく愛嬌を振りまく。

 それだけハロルドが慕われてるのだろう。

 そう思うととんでもないところにお嫁に来てしまったものだな、とどこか他人事の様に考えてしまって笑う。


 今までの貧乏時代が嘘の様に富に溢れて居て、ただし調度品から一切の無駄がなく洗練されている。


 きっと前の奥様が徹底的に支持したのだろう。

 そんな奥様に自分が叶うのだろうかと気落ちするマナリィだったが、周囲の温かい目に見守られてすくすくとその才能を伸ばしていった。






 そして2年の月日が流れる。



「生まれたか、マナリィ!」


「ええ、元気な男の子ですって」


「ありがとう、まさかこの歳になって子宝に恵まれるとは思いませんでした」


「何を言ってるんだ。君はまだ若い。可能性が低いのは私の方だった。よく育んでくれた。私はパパとしてこの子に立ちはだかる壁を法律を変えてでも整えていくぞ!」


「やめてください、この子がいじめられる原因を作るのは」


「そうだな、この子が大きくなる頃には私もきっとお爺ちゃんだ」


「そんな事言わないでください。私だっておばさんです。でもこの子にとっては大事なパパとママなんですから胸を張って生きていきましょう?」


「ああ、そうだね。そうしよう」



 ハロルドは再婚して屋敷の中でもよく笑う様になった。

 「鉄の男である法務大臣は新しい奥方様に頭が上がらない様だ」なんて噂がたちまち社交界で噂に登る。


 マナリィは結婚当初こそ「相応しくない」と噂に登る。


 が、ファッションブランド『レイリィ』のデザイナーであることが露見してからはお似合いの夫婦だと噂は一気に鎮火した。


 かつてファッション界で発表する作品が次々と絶賛された実績は衰えず、ハロルドの着飾るスーツから小物まで手がけることによってその手腕を披露した。


 ハロルドとの間に3人の子供を設け、忙しくも楽しい日々を送った。

 しかし楽しい日々はいつしか落ち着く物で……


 ハロルド57歳。

 早すぎる旅立ちだった。


 40代での遅すぎる再婚。

 それでも子宝に恵まれ、眠りにつくまで精力的に仕事に殉じた。

 マナリィは息を引き取る最後の一瞬までハロルドの側に付き、医者の宣告に無言で涙を流した。


 それから葬式からの告別式と慌ただしい日々。

 子供達も学園を休んで喪に服した。


 それから二週間。

 毎日のように墓参りに来ては今日の出来事を夫に語る。

 マナリィにとってハロルドとの日々は忘れられない物で、一生の思い出だった。


 産んだ息子達はまだ手がかかるのですぐに後は追えないけど、それでもハロルドからもらったものを少しづつ渡せていけたらと思っている。


 そんな帰り道、あくせく働く痩せこけた労働者とぶつかりそうになる。


「あ、すいません。私ったら前方不注意で」


「こちらこそ、急いでたもので……って、マナリィ?」


「えっと、私をご存知の方ですか?」


「ああ、いえ。一方的に私が知ってるだけです。すいません、私はこれで」


 労働者は丁寧にお辞儀をして荷物運びの続きを再開した。

 どこかで会ったことがあるような背格好。


「もしかして、ハルク?」


 それは予感だった。

 労働者の男はピクリとした後動きを止め、照れ臭そうに振り返った。


「うん、こんな俺を覚えててくれたのか?」


「忘れられないわよ。私にとっての最悪の夫だったもの」


「知っている。自分でもなんであんなに自信家だったのか今でも不思議に思ってる」


「なに? 随分と殊勝になったわね。丸くなった? 角が取れたみたい」


「そうかもな。何もかも失って自分を見つめ直したんだ」


「そうなんだ。頑張ってるじゃない」


「っと、悪い。配達の途中なんだ。話は後で」



 あのハルクが信じられない。

 真面目に労働に取り組んで汗を流す姿を見れるなんて。



「長生きするものね」


 マナリィはそんな事を零しながら晴れ渡る青空を見上げた。




 ◇




「また会ったね。最近よく会う気がするけど、どうして?」


 ハルクが所在なさげにこちらの様子を窺ってくる。

 探してる時は見つからなかったのに、諦めてからよく出くわすようになれば気にならないはずもない。


「この道は夫の眠る墓跡からの帰り道なのよ。だからよく通るわ」


「そっか、結婚したんだ。おめでとう?」


「もう夫は土の中よ。そういうハルクはレーシャさんと上手くいってるも?」


 ハルクは首を横に振った。

 そのことなんだけど、と言いづらそうに言葉を濁したあと、絞り出すようにかつての出来事を語ってくれた。


「俺は騙されてたんだ。彼女はレーシャさんを騙る偽物で、俺はそんな彼女から大金を巻き上げられてた。君の用意した金も全部。馬鹿だよな……それから一文なしになって、ようやく自分の過ちに気づいてさ」


「え、偽物だったの?」


「うん。商会長と親密な仲だからてっきり本物だと思ってたけど、外で作った子供を引き取って愛人として屋敷に住まわせてたらしい。それを俺は勘違いして……もうこの話はやめようか。自分で言ってて虚しくなる」


「そうなの。じゃあ場所を変えましょう? 近くに私の行きつけがあるのよ」


 マナリィがハルクの手を引いて向かった場所は、ハロルドとの思い出がたくさん詰まった例の喫茶店で。


「おいおい、こんな高い場所。お金足りないぞ?」


「今日は私が奢るから。貴方は近況を教えてくれたらいいわ」


「なんだかマナリィ変わったな。昔はもっとケチケチしてたのに」


「それが生き甲斐だったのよ。勝手に思い込んでたの。二人で困難を乗り越えればより親密になれるって。幸せになれるって馬鹿みたいにね」


「そっか。でもそんな君も素敵だった。失ってから、あの時の生活をいつも思い出す。帰ったら迎えてくれる相手がいて、自分がなにも言わなくてもご飯が出てきてお風呂の準備もできている。毎日フカフカの布団が用意されていて、それを思い出すたびに涙を流すんだ」


「ありがとう、お世辞でも嬉しいわ」



 思いの外会話が弾んだ。

 マナリィの近況を語るとハルクは心臓を押さえて苦しそうにした。

 一人暮らしの男性にはキツい内容が含まれていたようだ。

 呻き声を上げた時にマナリィは思わずくすりと笑ってしまった。

 人の幸せほど心に刺さる物はない。

 不幸のどん底にいるハルクにはご愁傷様と心の中で謝った。



「あの時はごめん。今更遅いけど」


「いいのよ。貴方にこっぴどく捨てられたから素敵な旦那様に拾ってもらったのだから。その点では感謝してるの」


「でも謝らせてくれ。あいにくと今は頭を下げることしかできないけど」


「本当に別人よね、今のハルク」


「いい加減大人になったんだよ」


「そう、でもいいことだわ。こうしてお茶の席での話し相手になれたもの」


「俺、この場所で浮いてないか?」


「そうね。貴族御用達の会員制のお店よ。ドレスコードもあるわ」


「なんてとこに連れてくるんだよ」


「ふふ、貴方のそんな顔が見たかったの」


「酷いな」



 苦笑しつつ、それでも過去の過ちを悔いているからこそ悲しそうな、諦め切った顔をする。

 自分にはこれだけ言われても仕方ない。

 そんな表情が浮かび上がる。



「マナリィは貴族になってたのか。どうりで下町で見かけないわけだ」


「あら、探してくれてたの?」


 ハルクは首を横に振る。


「君の面影に似てる人を目で追ってしまうんだ。ずっと負い目を感じていたからさ」


「そうなのね。私はその時幸せの渦中にいたわ。貴方が苦労してるとは露とも知らず。ごめんなさいね?」


「やめてくれ。その言葉は俺に効く」


「お待たせしましたお客様。本日のコーヒーにございます」


「いい香りね。産地は?」


「エチオピアのイルガチェフェにございます」



 マスターとの流れるような会話に一人置いていかれるハルク。


「えっと?」


「ごめんなさい。飲んで大丈夫よ。これは私のお気に入りなの。そして旦那様との思い出の一杯」


「そんな物を俺が頂いちゃっても?」


「コーヒーに敷居はないわ」


「じゃあ、頂くよ。


 ──!!?」



 ハルクは当時のマナリィと同じ、何かに囚われたような顔をしている。

 あの時のハロルドはこんな気持ちだったのだろうか?

 マナリィは救って貰った相手と同じ気持ちになる事で、ハルクに救いの手を差し伸べていた。


 金銭的手助けをしてやれる資金はあるが、それはしない。

 せっかく気持ちを切り替えたのに、以前のように戻ってもらわれては困るから。


 またここのコーヒーを飲みに来たいと思わせることができれば、自分と同じように頑張ると思えたから。


「美味しい?」


 マナリィの言葉に、言葉を発さずハルクは首を縦にブンブンと振るう。もう余計な言葉は必要ないようだ。


「それじゃ、またここで飲めるようにお仕事頑張って」


「マナリィ!」


 二人一緒に外に出て、入り口から一歩も動かずハルクはマナリィの後ろ姿へずっと頭を下げ続けていた。


 その日からハルクは再度コーヒーを飲むために仕事に打ち込み、ついには自ら商会を立てた。


 まだまだ小さい会社だけど、取り扱う商品の一つにコーヒー豆が入っていたのはきっとあの時味わった『一杯』を知ってからだろう。


 マナリィとは今でもお茶のみ仲間で、元夫婦は別々の道を進んだ。


 マナリィはハロルドの教えを息子達に、ハルクは自分の商会を大きくすることに邁進して。


 fin.

 ──────────────────────


 これにて本編は完結です。

 あと一話おまけをご用意してますが、そちらは蛇足としてお読みいただければと思います。

 恋愛ジャンルは初挑戦だったので色々と不勉強なところもあると思いますが、こんな終わりがあってもいいんじゃないでしょうか?

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