第24話

 レイシャに付き合って家事も仕事もしない生活を送る事一週間。このままではダメになってしまうと自覚したマナリィ。


 ハルクの事も吹っ切れたし、今では心強い味方もついてくれた。一人でうじうじ悩んでいたのが馬鹿みたいに、マナリィの周囲には良い人たちが集まってくれた。


 それもこれもレイシャという親友がいてくれたからであり、その事については感謝してもしたりないくらいのマナリィである。


 けどそれに甘えてばかりもいられない。



「レイシャさん。私そろそろお家に帰るわ」


「あら、もう少し居てくれても良いのよ?」


「いえ、これ以上この生活に慣れてしまったらあの家で暮らせなくなりそうだもの。だから、お願い」


「マナリィがどうしても帰りたいっていうんなら無理には引き止めないわ。でも帰る場所がなくなったらいつでもあたしのところに帰ってきなさい。いつでも玄関開けて待ってるから、ね?」


「ありがとうございます!」


「良いのよ。最初に言ったでしょ? これは恩返しなの。そんな風にありがたがられると恥ずかしいわ。貰った恩はこんなものじゃ返し切れないくらいなのよ?」


「それは少し困りましたね」


「そ、だから『普通』の暮らしに戻りたくなったらいつでもここに帰ってきて良いからね? ノルマだって大変だったら緩和するし、株主の奥方様も急げだなんて言わないもの」


「はい。こんな私を好きになってくれてありがとうございます」


「こちらこそ、わがままで自分勝手なあたしにお付き合いしてくれてありがとうね。こんな性格だからろくにお付き合いしてくれる友達もいなくてね。ほんとマナリィは親友としても得難い宝物なのよ?」


「大袈裟ですよ。でも、私もそうですから。レイシャさんとあの時出会ってなかったらずっと自分に自信が持てなくて沈んでいたと思います。だから、お互い様ですよ」


「なら良かったわ。じゃあまたね」


「はい、また!」



 そんな軽い挨拶で。

 マナリィはレイシャと分かれた。


 しかし帰路についてみると、何やら悲壮感たっぷりのハルクが這いつくばって何かをしているではないか。


 訝しんでその様子を見ていると、普通に家の掃除に励んでいるのだとわかる。

 今まで自分の仕事だから頼む事もしなかったけど、それをやらない自分がいないから彼がやることになったのかとなんとなく察した。



「何をしてるの、ハルク?」


「マナリィ! 俺が間違ってた。やり直そう!」



 何を言いたいのかよくわからなかったが、その痩せ細った顔つきを見てどんな状況下にあるのかを察する。


 ハルクは贅沢な暮らしをさせていたからお金が尽きたら何もできないのだ。

 ただでさえ家の管理はマナリィの仕事だった。

 引き継ぎもしてないので、分かるわけもないのだが。



「ひとまず中でお話を聞くわ。私がいない間に何があったのかをね」


「ああ、ありがとう。俺を見捨てないでくれて。本当に俺ってやつは君に頼るのが当たり前になってたんだな」


「そうね、その事も含めて改めてお話をしましょう。今のうちの状況と、今後どうするかも含めて」




 ◇




 おおよそのハルクの事情は理解した。

 そして自分の過ちに気がついたハルクは猛反省して、どうにかしてマナリィが戻ってきてくれるように家を自分一人でも回そうとしていてくれたらしい。

 しかしマナリィほど上手くできなくて途方に暮れていたのだとか。

 それを聞いてマナリィは苦笑してしまった。


 レイシャの家で知った普通と、マナリィの中での普通があまりに乖離していた事を思い出したのだ。

 しかしそれらはマナリィが安さのために目を瞑った数々。

 ハルクのやる気もそれを前に空回りしてしまうのも仕方なかった。



「あなたのお話はわかりました。ひとまず今回私が家事を放棄した事については私にも非があるので謝ります」


「いや、違うよマナリィ。俺が全面的に悪いんだ。俺は君のネックレスがいくつかあるうちの一つだと思い込んでいた。けど違うんだな。君の何もない部屋を見てなんてことをしてしまったんだと後になって後悔したよ。俺との唯一の思い出の品を、俺の勝手なわがままで本当にごめん!」


「その件については私は吹っ切れているので謝らなくて結構ですよ。今の家はお金がありません。それは事実です。

 だからあなたがなんとしてでもお金を手に入れようとしていた気持ちはわかります。方法についてはもっと何かあったんじゃないかと思いますが、あれがあなたの精一杯だったのでしょう?」


「ああ、副業も考えたが労働時間に対して割の良い仕事がなくてさ。手っ取り早く手に入る手段が換金だったんだ。本当に軽率な真似をしてしまったと思ってる」


「じゃあ、そうですね。ケジメとしてあなたには休日に私をデートに誘う事で許してあげます」


「えっ、そんな事で良いのか?」


「そんな事、と言いますけど。結婚してから一度も誘ってくれた事ないじゃないですか。いつも仕事を終えたらクタクタで、夜のお勤め以外では顔を合わせる時間も少ないです。だからきちんと語り合う場を設けたいなと思いました」


「うん、そうだったか。分かった。俺の方で時間に都合をつけよう」


「それと家事を分担していただけると助かります」


「ああ、任せてくれ! ただ見た感じ俺の知らないものが多いからやり方を教えてくれると助かる」


「勿論。一から丁寧に教えてあげますよ。まずは裏の井戸の水汲みからお教えしますね。水道も通ってますけど、うちは基本的にこの雨井戸が生命線です。洗顔や入浴は殆どがこれですね」


「知らなかった」


「この桶を井戸に落として、ロープを引っ張り上げるんです」


「結構力がいるな! よし、桶が上がり切ったぞ!」


「そのお水をこの瓶に入れます。大体瓶の半分くらいになったら終了でいいですよ」


「思っていた以上にハードだ」


「あら、この程度で音を上げていては困ります。まだ序の口ですよ?」


「えっ!」



 ハルクが驚きに目を剥いた。

 マナリィにとっては常日頃からの動作だ。

 ハルクにとってはとんでもない重労働に等しい行為をマナリィが毎日やっていると聞いて本当に頭が下がる思いだった。


 たかが家事ぐらいと内心バカにしていたハルクが、マナリィの手伝いを完璧にマスターする頃にはまだ低賃金でも副業を始めた方がいいと思うほどだった。


 なにせその家事はやって当たり前。

 労働に対する賃金が出ないのだ。

 それを一年間もの間音も上げずにやり遂げたマナリィに恐れ慄くハルク。



「俺、君がこんなに苦労してるなんて知らなかったよ」


「言わない私も悪かったのよね。これからは言うようにしますね。その前に旦那様」


「なに?」


「私との子が欲しいのなら一度は病院に顔を出すことをお願いします」


「何故?」


「お互いの為です。お金が大切なのもわかりますけど、私一人が頑張っても子供は生まれてきてくれませんから」


「俺に原因があるって言いたいのか?」


「全てそうとは言い切れませんけど」


「俺は医者の言うことがどうしても信じ切れないんだ。前に行ったことあるだろう? 医者を名乗る男にぼったくられたと。それからどうしても医者を名乗り奴のことが信用できなくてさ、ごめん」


「そうですか。じゃあそれは後でも良いです」


「なんだか今日のマナリィはぐいぐい来るな」


「今までずっと良き妻になれる様に我慢してきましたから。でも貴方は言わないと分かってくれないと学びました。だからこうして発言する様にしてます。だめでしたか?」


「いや、ちょっと当初思い描いてたイメージと違ったからさ。マナリィはもっと大人しい子かと思ったんだ」


「妻になるには強くならなきゃいけないと、多くの方から教わりました。今までの私はハルクを甘やかしすぎていたので、これからは少し厳しくいこうと思いまして」


「うへぇ、お手柔らかに」


「ふふ。なんだかいつもと立場が逆転してしまいましたね?」


「確かに。普段は俺の方が偉そうだったもんな。家事がこんなに大変だったなんて知らなかった。いつも俺なんかのためにありがとうな、マナリィ」


「私がやりたくてやってたことですから。ただ、一つ残念なお知らせがあります」


「なんだろう、俺に関係あること?」


「はい。実は私の貯金を切り崩してハルクのお小遣いを捻出してたんですが、ついに私の貯金が底をつきました」


「は?」


「やはりそうなりますよね」


「いやいやいやいや、俺の給料が少ないのは分かってた。けどさ、まさかそこまで困窮してたとは思いも寄らないって言うか……え? 俺の小遣いってマナリィの貯金から出てたの? じゃあ自分で稼いだお金を自分で使ってないってこと? だからマナリィの部屋にはなにもなかったのか。そりゃそうだよな俺が使い果たしてるんだから。てっきり俺は上手いことやって自分の取り分も取ってくれてるのかと思って……ハハハ」


「あなたが喜ぶと思って伏せていましたが、友達からそれはおかしいと指摘されまして。なので事実を申し上げました」


「そっか。その上で俺はあんな態度を取ったのか。最低だったよな。マナリィが出ていくのもわかるよ。ほんと、何様だって言われてようやく自分の底の浅さが見えた。働いてるから偉いんだって、家でただ待ってるだけのマナリィに偉ぶってたけど。そうじゃないんだな。なんだよ、俺……これじゃあ道化だ」


「ハルク……」


「マナリィ、俺これから生まれ変わったつもりで働くよ。家には早く帰るし、子供はまだ作る時じゃないと思うんだ。俺、たいした稼ぎもないけど一端に稼げてるつもりでいた。マナリィに苦労なんてさせてないって思いたかったんだ。でもそれが間違いだって気がついて、だから」


「はい。私もこれから無理に仕事はせずに、ハルクを通してから受け取ることにしますね」


「うん、そうしてくれ」


「それと私、実はハルクに隠していたことがあるんです」



 マナリィは徐にシャツをはだけ、背中を見せた。

 ずいぶん消えたけど、背中は特にひどい虐待の傷が見える。



「なに、その傷は!」


「私、昔虐待を受けていたんです。もうその人たちとは距離をおきましたけど、やはりこの傷を見られたくなくてあなたにも暗闇の中で手探りをさせてしまっていました」


「……ッ、仕方ないよ、こんな傷。でもどうして今更俺に見せるの? 今まで通りでも良かったじゃないか」


「一歩踏み出そうと思いまして。私は、ハルクの子を授かるために努力してます。けどこんな傷物女じゃその願いは叶えられないかもしれないって、思い始めたんです。

 私の心は幼少期の頃から止まっていて、ずっと結婚することに憧れを抱いていた。

 それが私の全てなんです。だから、ハルクに理想を押し付けすぎていました。こんな私でも愛してるって、結婚しようって言ってくれた時はこのまま死んでも良いってくらい幸せで……」


「そうか、マナリィはずっとその傷を抱えて生きてきたのか。辛かったな、悔しかったな。それで俺の言葉を心の支えにしてたのか? ずっと、ずっと一人で? バカだなぁ、頼ってくれよ。夫なんだから。それくらい支えてやるよ。でも……そんな過去を持ってたら言い出せないよなぁ、ごめんな、不甲斐ない夫で」


「ううん、良いんです。私が選んだ旦那様ですから」



 そのあとマナリィはお姫様抱っこで寝室まで送り届けられ、貪る様に愛を語った。

 少しご無沙汰だったのもあり、そして相手の裸を見ながらだったのでいつも以上に興奮してしまったのもあった。


 喧嘩した時は顔も見たくなかったのに、今こうして触れ合ってる時は嘘みたいに嫌悪感が消え去って、満たされていく気持ちになっていた。

 愛を叫ぶハルクに、マナリィも意識を保つのがやっとだった。



 今までがダメでもこれから上手にやっていけば良いんだ。

 もしハルクに裏切られても、マナリィにはかけがえのない親友がいるから。だから思い切っていこうと張り切った。

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